心書✖パステル150305「臨終」

『臨終』

死ぬときは
後悔せずに
迎えたい
笑顔で終える
この世での旅

 

・・・縁起でもないですか?
『臨終』なんて書は(笑)

生まれたら必ず訪れる死という瞬間。
誰もそれを逃れることはできないです。

僕たちは『オギャア』と言って息を吐いて
生まれてきて、息を吸って息を引き取ります。

『吐いて吸う』

呼吸という言葉の順番どおりですね。

呼吸というのは『生きる』象徴でもあります。
生きている間、意識・無意識に関わらず
絶えず続いているものです。

その呼吸が止まった時に生が終わります。

人の寿命がどれくらいなのかはわかりません。
おおよそは運命で決まっているのでしょう。

それも生きているときの行いで変わってきます。
身体というのはバロメーターみたいなものです。

思考・食事・運動・睡眠などに左右されるからです。
病気はなるというよりサインみたいなものです。
『何かが間違ってるよ』と。

不平不満ばかり言っているからかもしれないし、
暴飲暴食かもしれない。
運動不足かもしれないし、
睡眠不足、または昼夜逆転生活かもしれない。

でも多くの人は気づきません。
自分が原因を作っているということを。

病気になったとき、病院に行き、診断されます。
薬をもらって治れば御の字ですが、
そうではない場合もあります。

糖尿病や肝硬変、ガンなどの重い病気です。
もちろんショックですよね。

遺伝的なものもあるでしょう。
でも多くの場合、後天的な原因でなります。

よくガンや糖尿病は遺伝だと言われます。
でもこうも考えられます。

食事や生活習慣は家系的な影響を大きく受けます。

味付けが濃い。
甘いものをよく食べる。
タバコをよく吸う。
酒をたくさん飲む。
暴飲暴食。

育った環境や食生活は当たり前のように
思っているので疑いを持ちません。

だから本人はそれが原因と
なっていることに気がづきません。

考え方もそうですね。

親が不平不満ばかりを言っているとします。
不平不満というのはこういうことです。

『自分は悪くない。悪いのはあいつだ』

この影響を受けると最悪です。

自分が作り出している悪因を自覚できずに
他人が原因だと思いこむからです。

ある意味いちばん可哀想な状態とも言えます。
なぜならそこに気づかない限り、
延々と不幸の現象を自らが創り出すからです。
悪循環が止まることはなく、、、結果は、、。

そんな人を結構見てきました。
でも人の話に耳を貸さないのです。
『自分は間違っていない』
かたくなにそれを信じています。

そして決まってと言っていいほど
身体の調子がよくないです。

人によっては大きな病気を抱えています。

そんな人たちに対して、
最初は怒りがあります。
そのうち呆れてくるようになり、
やがて可哀想に思います。

人の心は振り子のように揺れ幅が
あるほうがいいと思っています。

『どういうことですか?』

説明しますね。
善悪という概念があります。
これは西洋のものです。

正義か悪か。
天使と悪魔か。

みたいな構図ですね。
ここにはどちらかしかありません。

善か悪か。
中間はないのです。

一方、東洋には『陰陽』という概念があります。

これは、

光と影、男と女、高いと低い、
多いと少ない、正義と悪みたいに、

この世はその対極で成り立っている。
どちらかを認識するためには
その対極のものが必要と考えます。

宇宙の万物は全て陰と陽の二つのエネルギーで構成されている

という考え方です。

そこには西洋の『絶対』という概念はありません。

振り子で考えてみましょう。

振り子の右に触れたところが善、
左に触れたところが悪だとします。

西洋的な考えは振り子が右か左で停止している状態です。

一方、東洋的な考えは違います。

善と悪という考えがあっても、
それらは存在するためには対極として認知します。

だから善と悪どちらかに止まることはありません。

あるときは善、あるときは悪に触れますが、
やがて真ん中に戻ってきます。

仏教でいう中道ですね。
儒教では中庸といいます。

揺らぐことのない絶対的な信念

これは諸刃の刃です。

確かに大きなことを成し遂げる力にはなります。
ですがバランスを欠いて不具合が生じることがあります。

本質(エッセンス)は固定した概念のところに
とどまっていては理解できません。

振り子のように左右に揺れる幅が必要です。
そしていつでも真ん中に還ってこれる。

全体も中心も理解している。

その境地に本質があります。

なんか難しい話になってきましたね(笑)

ゴールを決めて書かないといつもこんな感じです。

中道というのはお釈迦さまが
長年の修行の末に到達した境地です。

簡単には理解できないと思います。

でもおそらく人がたどり着く境地は
そこにあるような気がします。

そこにたどり着くために人は何度も生まれ変わり、
さまざまな経験をするのでしょう。

魂が学ぶスピードに早い遅いが
あるのかは分かりません。

学びが進んでいる人は、
転生の回数が多いのかもしれません。

ただ言えることは、

いまある生を大切に生きてほしい

ということです。

人が学ぶことはあまりにも多く深いです。
たとえこの生ですべてを学べなくても、
その肉体で体験できる生を大切にしてほしいと思います。

人はこの世に生まれ変わってくるときに
学びや使命を決めてくると言います。

『死ぬときに後悔する』
これはその学びや使命を達成できなかった
ということではないでしょうか。

死ぬときには走馬灯のように、
いままでの記憶がよみがえるといいます。

あなたは死ぬときのことを想像したことはありますか?

たぶんほとんどの人が想像したくないと思います。

でもあえて聞きますね。

あなたはどんな死に方がしたいですか?

『やりたいことはやり尽くした』と言って
この世を去りたくないですか?

大切な人に笑顔で「ありがとう」と言って
この世を去りたいとは思いませんか?

そのためにあなたはいま何をしていますか?