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日本人は無宗教って本当なんだろうか?
 

こんな素朴な疑問をもち始めたのはいつからだったろう。
 

神社仏閣はたくさんあるのに、日本人の多くが無宗教だと
答える人が多い。
 

子どもが生まれればお宮参り。
七五三もする。

初詣に行く。
お祭りで神輿を担ぐ。
盆踊りもする。
お盆にお彼岸。

死ねばほとんどの人はお坊さんを呼ぶ。

どれも神道と仏教に関わることばかり。
 

それでも多くの人が『無宗教です』と答える。

なんかスッとしない感じがずっとあった。

幼いころ神社は遊び場だった

今でこそ神社を見かけるとお参りするくらい神社好きな
僕ですが、幼いころは神社の参拝と言えば初詣くらい。
 

お参りするというより、神社の境内は遊び場でした。
 

『両親から神様や神社の話を聞いたことはあったかな?』

と記憶をさかのぼろうとしても出てこない。
 

『神様』という存在を意識するようになったのは、
二十歳を過ぎて読書に目覚めてから。
 

一神教や多神教など世界にはいろいろな神様がいること。

それが争いの原因になっているケースもあること。
 

日本の神様を知るには『古事記』や『日本書紀』を
読むといいらしいと知って手にしたものの、、、

正直よく分からなかった。

日本の神様の名前はやたら長いし、神話的記述が全然頭に
入ってこない。
 

当時の僕には『古事記』も『日本書紀』も難しすぎた。
 

それでも神社や日本の神様という存在や概念を感覚として
意識するようにはなりましたが。
 

たぶん大多数の日本人は『古事記』や『日本書紀』を
読んだことがないと思います。
 

それでも『神社には神様がいる』という感覚は
多くの人が共有しているのは確かです。

神道には聖典がない

ユダヤ教には旧約聖書。
キリスト教には新約聖書。
イスラム教にはコーラン。

これら三大宗教には聖典と呼ばれるものがあるので
非常に分かりやすいです。
 

仏教にはさまざまな経典がありますが、
同じ仏教の中でもさまざまな宗派に分かれているので、
この一冊で仏教が理解できるというものはありません。
 

では神道はどうなのか?

ないんですね、聖典が。
 

強いて言えば『古事記』や『日本書紀』が理解を助けて
くれるものになるのでしょうが、聖典というものでは
ないことは確かです。
 

だから非常に分かりづらい。

というか概念的に説明が難しい。
 

森羅万象あらゆるものに神様が宿っている。
八百万の神様ともいいますよね。

感覚的にはこれだけでもいいのかもしれません。
 

日本人は外国から入ってきたものを日本風にアレンジ
するのが得意な民族です。
 

仏教も鎌倉時代にたくさんの宗派ができましたが、
開祖であるお釈迦さまが説いたものとはかなり違います。
 

作家の芥川龍之介はこれを『造り変える力』と表現しました。

排除するというよりも、自分たちに合うように
造り変えて受け入れる。

それが日本人の性質なのだと。

 

『無宗教です』と答えても神道と仏教が日本人に影響を
与えているのは確かです。
 

それは多くの日本人が無意識の領域で共有しているもので、
あえて言語化する必要がないものなのかもしれません。
 

一礼して鳥居をくぐり、参道を歩き本殿へ向かう。
手水舎で手と口をすすぐ。
軽く会釈をしてお賽銭を入れる。
鈴を鳴らす。
ニ礼ニ拍手一礼。

これら一連の作法で神様と向かい合う。
 

森羅万象を感じる。
神様を感じる。
 

宗教を信じるor信じない

ではなくて、

手を合わせ、神様と向かい合い、
神様を感じる。

それでいいのかもしれません。
 

ただ敢えて付け加えるとすると、

自国の歴史を知る上でも、外国で起こる問題を理解する
上でも宗教の理解は必須です。
 

インターネットのインフラが整い、あらゆる面で
世界は繋がってしまいました。
 

国境を行き来しなくても世界中の人と簡単に
つながることができるのが現在の世界の在り方です。
 

そんなときだからこそ、

感覚的で捉えどころがない自分たち日本人を客観的に
見つめることは大きな気づきを与えてくれることでしょう。