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「本質はどこにあるんだろう?」

とつい考えてしまう癖(?)があります。

いろいろな人がいろいろなことを自由に伝えることができる現在。
 

でも、自分が絶対正しいと思っている持論があったとしても、

それが誰かの受け売りだったりすることもあります。
 

「では、その誰かの受け売りってどこからきたの?」

と思ったりします。
 

過去に起こったことには、解釈に解釈が加えられていきます。
 

これは、ある意味仕方がないことでもありますが、

もともとの意味や本質とはかなりズレてしまうこともしばしば。
 

しかし、たとえそれが本質とはズレたことだったとしても、

それが普及し始めると、世の中ではそれを『真実』と呼ぶようになります。

ウイスキーから見えてくる普及の真実

井沢元彦さんが書いた『逆説の日本史』というシリーズものがあります。
 

30代の頃に好きでよく読んでいたのですが、こんな話が紹介されていて、

『なるほどなあ~』

と思ったことがあります。
 

かなり昔なので、細かい描写までは覚えていないのですが、宗教の普及をウイスキーに例えたものです。
 

要約するとこんな感じです。
 

お釈迦さまやキリストなどの宗教の創始者が伝えたかった本質(エッセンス)は限りなく濃くて、

それはウイスキーをストレートで飲むようなもの。

これを全ての人が飲むことはできない。
 

でも、水割りで限りなく薄めれば多くの人が飲めるようになる。

宗教の普及とはそういう側面があり、本質がかなり薄まったものになってしまう可能性があるというようなお話です。
 

 

例えば、

平安時代の浄土教には『観想念仏』と『称名念仏』あります。

『観想念仏』とは極楽浄土の様子を思い描くことです。
 

そのために立派な寺や仏像を建てたりしました。

十円玉の裏に描かれている「平等院鳳凰堂」もその一環で建立されたものです。
 

でも、この方法は教養があり、裕福な貴族には可能ですが、一般庶民には無理ですよね?
 

そんな経緯から普及したのが『称名念仏』。

これは多くの人がご存知の「南無阿弥陀仏」を唱えるというものです。
 

ただ唱えればいいというだけあって一般庶民を含め広く普及しました。
 

この方法が本質からズレているということを言いたいわけではありません。

ただ、ここしか知らないと、

『もともとの意味や本質はなんだったの?』

ということもあります。

伝統と革新は宗教だけではなく、どの世界でもあります。

伝統芸能、武道、茶道、書道などなど。

どこに価値を置くのかは人それぞれの自由です。
 

しかし、

『その本質ってなんなんだろう?』

と自問自答すると、
 

『お釈迦様やキリストが見ていた光景ってどんなものだったのかな?』

なんて思ったりもします。
 

『書物だけ読んで、分かったつもりになるなよ』

なんてツッコミを入れたくなる自分がいるからです(笑)
 

まあ、簡単に理解できる境地ではないでしょうけれど。

伝言ゲームから分かる人それぞれの世界観

伝言ゲームは、数人で並び、あるメッセージを耳打ちして伝えていくものですが、

多くの場合、6~7人先の段階で、元のメッセージと面白いくらい違うものになるそうです。
 

人は同じ世界に住んでるようで、実はそうではないと言われます。

なぜなら、それぞれの『自我』というメガネでこの世界を観ているからです。
 

伝言ゲームはそれを象徴しているかのようですね(笑)

人の縁は不思議で、不確定なもの

心書✖パステル150303「機縁」

物事の普及は人から人へと橋渡しみたいに伝わっていきます。

その人と人の縁もまた不思議で不確定なものです。
 

この世界の真実や本質を理解するには、ひとりの力では難しいものです。

誰かに教えを請うたり、友人や仲間と語り合ったり。

そんな繋がりも必要です。
 

世の中にはさまざまな考えを持っている人がいて、当然分かり合えない人もいます。
 

その中で人はさまざまな縁をつないでいきます。

そして、袂を分かつ縁もあれば、ずっと続く縁もある。
 

地球の人口が約74億人。

日本の人口が約1億2700万人。
 

分かり合える人、そして、本当に分かり合える人と出逢えるというのは奇蹟的な確率だなあと思います。
 

そして、本当に分かり合える人と奇蹟的に出会えたとしても、その関係がどれだけ続くのかは分からない。

人の意識も常に変わっていくからです。
 

それでも長く続いていく関係もあるでしょう。

でも、それは結果としてそうなっただけで、いまの時点では分からないし、分かる必要もないと思います。
 

だからこそ、いまこの瞬間に一緒にいれることが有り難いし、かけがえのないものになるのです。
 

そして、そのかけがえのない瞬間が続いた先に、

『そう言えば、結構長く一緒にいるよね』

なんてお酒を呑みながら、しみじみと語り合うような日がくるのかもしれません。

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