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初めて訪れた多摩御陵

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御陵とは皇室のお墓のことです。

あなたは訪れたことはありますか?
 

私は44歳になるこの歳まで訪れたことはありませんでした。

写真で見たことがあるくらいです。
 

しかし、実際にその場に足を踏み入れて分かったこと。

それは『体感する』ことは大切だと改めて感じたということです。
 

もともと今回のツアーはこの多摩御陵がメイン。
 

理由があります。
 

このツアーを案内してくれる山田祥平さんが団長を務める『明日の神話を生きる会』の一員として、

今回のツアーメンバーのほとんどが10月末からの皇居勤労奉仕に参加します。
 

それもあって、皇居勤労奉仕前に多摩御陵に参拝したかったというわけなのです。
 

みなで感じ取った多摩御陵の印象は、一体どんなものだったのでしょうか?

到着したけれど、時間が、、、

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15:00過ぎに、高尾山口駅から出ているバスに足早に乗り込み、多摩御陵へ。

しかし、到着してみたら16:00で閉まってしまうことが判明。

時間は15:20分くらい。
 

『あまり時間がない』

とみなで中へ中へと、足早に進んでいきます。
 

多摩御陵は4陵から造営されています。

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・多摩陵(たまのみささぎ)大正天皇

・多摩東陵(たまのひがしのみささぎ)貞明皇后

・武蔵野陵(むさしののみささぎ)昭和天皇

・武蔵野東陵(むさしののひがしのみささぎ)香淳皇后

まずは、武蔵野陵(むさしののみささぎ)の昭和天皇から参拝します。

昭和天皇は、明治天皇で神格化され過ぎた天皇という存在を地へと降ろしてきた存在だと祥平さんが言います。

それは敗戦という出来事があったのもあります。
 

昭和という激動の時代。

有名な玉音放送(敗戦を告げる放送)というものがあります。

あれは天皇の肉声が初めて一般市民に公開されたものです。
 

いまでは当たり前のようにテレビでお姿を拝見したり、お声を聞いたりしていますが、

当時では在り得ないくらい大変なことだったのです。
 

それくらい天皇という存在は雲の上の存在だったというわけですね。
 

みなで御陵の前で手をあわせます。
 

その御霊の存在感は凄く感じるものの、どこか親しみやすいような印象はありました。

祥平さんの説明の通り、まるでその場に降りてきてくれているかのようです。

次は武蔵野東陵(むさしののひがしのみささぎ)の香淳皇后です。

歴代皇后の中では最長寿で満97歳没です。

激動の昭和という時代に昭和天皇を支え続けた香淳皇后。
 

書や日本画、刺繍、ピアノ、謡など多趣味であったそうです。

また奈良漬けがお好きで、しばしば食事には添えられたといいます。

おおらかでおっとりとした円満な性格だったとのことです。
 

手を合わせみなが感じ取ったことは、どこか明るくて朗らかな印象でした。
 

ここまでで後10分くらい。

閉まる時間が迫ってきます。

足早に、多摩陵(たまのみささぎ)の大正天皇の所へ。

大正天皇は14年5ヵ月と在位もかなり短いです。

明治天皇と昭憲皇后との間には子が生まれなかったのですが、複数の側室が子が産みます。

しかし、結局生き残ったのは大正天皇だけでした。
 

大正時代は短いながらも、大正デモクラシーの影響もあり政治が安定していた時期です。

その後の第二次世界大戦前の日本における転換期とも言われています。
 

複数の側室を置いた明治天皇とは対照的に、大正天皇は結婚後も一夫一妻を貫きます。
 

みなで手を合わせますが、昭和天皇が私たちのところへ降りてきてくれたのとは対照的に、

上の方で高貴な存在としてとどまっているかのように感じました。

まるで、そこから温かい眼差しで見守ってくれているかのようです。
 

そして、残り時間はあとわずか。

多摩東陵(たまのひがしのみささぎ)の貞明皇后のもとへ向かいます。

健康で、華族女学校ではクラスの人気者。

色浅黒く活発なので、クラスメイトからは「九条の黒姫さま」と呼ばれたとのこと。

病弱な大正天皇の后に選ばれた一番の理由も健康だったからだと言われています。
 

大正天皇が病に陥った時は、天皇に代って皇室を取り仕切り、重臣たちと渡り合いました。
 

警備の方から『4時で閉まりますので』と声を掛けられ、急いでみなで手を合わせます。

そして、急いで出口へと向かいますが、着く頃は4時を数分過ぎていました。
 

『やはり実際に来てみないと分からないね』

『すごい存在感だった』

とみんなで同じようなことを感じていました。
 

時間は短かったですが、みなで心を込めて参拝させて頂きました。

その込めた想いを胸に、今月末からの皇居勤労奉仕に参ります。

私にとっては5月に続き2度目となるこの皇居勤労奉仕。

きっと前回とは感じることもまた違うでしょう。
 

今上天皇が来年で御退位することが決まり、ご会釈を受けられる機会もあと僅か。

この貴重な機会にしっかりとご奉仕をしてきたいと思っております。
 

そしてまた改めて、この日本という国に生まれたこと、日本人であるということ、

自分自身の足元を再認識することになるでしょう。
 

でも、それは国に縛られるということだとは思っていません。
 

自分の国が日本だから、自分が日本人だからという外側からの解釈ではなく、

自らの深い深い内側から思い出すようなものだと思っています。
 

人は自ら目的を持って、この世に生まれてくると言いますよね?
 

そして、きっと生まれてくる時代や国も自ら選んでくるのだと思います。
 

神社や御陵に行くのもそうかもしれませんが、勤労奉仕もまた、

『自分は日本に生まれた日本人である』

そんな自分の中から自然と湧き上がってくる想いを再確認するという意味合いがあるのかもしれません。
 

だから『日本のため』『日本人だから』と声を大にして言い聞かせなくても、

きっと自らの御霊を輝かせることを心掛ければ、それは日本のためになっていく。

そして、きっと、その輝きは日本に限定せず、世界に届いていくことでしょう。
 

神武天皇の御勅令に『八紘一宇(はっこういちう)』という言葉があります。

「八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむ」

天下、全世界を一つの家にするという意味です。
 

自らが天と地としっかりと繋がり柱を立てる。

そして、それが天と地に糸のように伸びていき、そこでみなと繋がっている。
 

祥平さんが以前、八紘一宇について語ってくれたことです。
 

まずは自らの足元、根っ子はどこにあるのか? 

自らの御霊でそれを感じたり、再確認するのが勤労奉仕だとも思っています。
 

山田祥平団長を中心に全国各地から集まってくる仲間たち。

その中には、普段一緒に行動を共にする大好きな仲間たちもいれば、初めて会う人もいます。
 

勤労奉仕で、全国から集まった人たちと、どんなことを体感し、共有するのか。

いまから楽しみで仕方ありません。
 

団体名は『明日の神話を生きる会』
 

きっと、今回の勤労奉仕で受け取ったことを、それぞれの人が自らの神話を生きることに活かしていくことでしょう。
 

それぞれの明日の神話を生きるために。

 

祥平さん、一緒に参加された皆さん、素敵な時間を共有できたことを心より感謝致します。

ありがとうございました!
 
 

ところで、

『神伝人(つたえびと)山田祥平さんってどんな人?』

と思った方はこちらをどうぞ。
神伝人(つたえびと)
 

(※こちらは、今年の5月に皇居勤労奉仕に参加したときの体験記事です。)
皇居勤労奉仕があなたの人生観を変える理由