日本人にとっての神様の概念

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「なんで神社に人間が祀られているのだろう?」

神社に興味を持ち始めたころ、こんな疑問をもっていました。
 

日光に行くと、徳川家康が祀られていたり、天満宮には菅原道真が祀られています。
 

浅草寺の横にある浅草神社には、土師真中知(はじのまつち)、桧前浜成(ひのくまのはまなり)、桧前竹成(ひのくまのたけなり)の三人が祀られています。

桧前浜成(ひのくまのはまなり)、桧前竹成(ひのくまのたけなり)は漁師で、隅田川で漁をしているときに聖観世音菩薩を見つけた兄弟です。

土師真中知(はじのまつち)は、その聖観世音菩薩のために自宅を寺(後の浅草寺)として、自らは僧になった人です。
 

「えっ?漁師さんを神様として祀っているの?」

と思った人もいるかもしれません。
 

かつては私もそうでした(笑)
 

「天照大神も神様、人間も同じ神様?」

いまいち釈然としませんでした。
 

 

『ホツマツタヱ』を学ぶようになって、

「神」は「守」だということを知り、

「なるほど、そういうことだったんだ」

とこの釈然としない疑問が晴れました。
 

漢字の「神」を当ててしまったので、西洋でいう「神(GOD)」と混同してしまうのですが、日本でいう「カミ」は「守」、大岡越前守などで知られる「守」で、私たちの祖先だということです。
 

確かに、神話の中にも天孫降臨というお話があって、神様と人との繋がりがあるのは分かります。

しかし、この「神」は「守」というお話を聞いたときに、「神話」という物語をより身近に感じることができたのです。
 

 

そして、もう一つ。

神伝人(つたえびと)山田祥平さんの神社ツアーで「靖国神社」を参拝したときに聞いたお話があります。
 

それは、日本人にとって、

「神様は信じるものではなく、感じるもの」

だということです。
 

つまり、日本人にとっては、

『お陰様でありがとうございます」

と感じられる存在は全て神様になるということです。
 

日光で徳川家康が祀られるのも、天満宮で菅原道真が祀られるのも、浅草神社で土師真中知(はじのまつち)、桧前浜成(ひのくまのはまなり)、桧前竹成(ひのくまのたけなり)が祀られるのも、この日本人特有の感覚があってこそだと納得しました
 

この記事で取り上げる「象山神社」に祀られている佐久間象山もまた幕末の天才学者として才覚を発揮した人です。

吉田松陰小林虎三郎勝海舟坂本龍馬などを弟子にもち、多大な影響を与えながらも意外と知らない人もいます。
 

それは、佐久間象山という人の有り余る才覚と情熱ゆえなのかもしれません。
 

今回、「象山神社」を参拝するご縁を頂いたこともあり、佐久間象山について書いてみたいと思います。

時代は違いますが、幕末というかつての混迷期に多大な影響を与えながらも儚く散っていった佐久間象山。

彼のお話が、新たな時代の変わり目でもあるいまこのときを生きる人の参考になれば幸いです。

「そもそも幕末って何なの?」

佐久間象山を理解するには、幕末の歴史的背景を知る必要があります。
 

なので、「そもそも幕末って何?」というお話からしますね。
 

歴史に詳しい人には馬の耳に念仏でしょうが、そうでない人もいますので。

ただ、細かい話をするとキリがないので、あくまで簡単に概要を書いていきますね。
 

「幕末」は(江戸)幕府の末期のことです。

源頼朝が開いた「鎌倉幕府」から始まった武士による政治が武家政権
 

それまでは朝廷(天皇)が全てを取り仕切っていたのを、国を治める「政治」に関しては武士が代わりするようになりました。

でも、武士が政治をするようになったと言っても、武士をはじめ民衆は、朝廷(天皇)には権威があることをよく理解しています。
 

なので、なんでも好き勝手にしていたというわけではありません。

お伺いを立てなければならないこともあったからです。
 

外国人から見たら、

「なぜ朝廷と幕府が両立できるの?」

となります。
 

彼らにしてみればトップは一つだからです。

だからこれ、かなり日本人特有の感覚なのです。
 

「鎌倉幕府」から始まった武家政権ですが、「室町幕府」、群雄割拠の戦国時代を経て、「徳川幕府」と続きます。

戦国時代を制した徳川家が開いた「徳川幕府」は1603年~1867年までの264年間も続きました。

扉を閉じていた日本、扉を開けにきた外国

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徳川幕府は「鎖国(さこく)」という政策を取っていました。
 

外国人と日本人の出入りを禁止したということです。

オランダなど一部の国は許されていましたが、当然その他の例外などもあったと思います。
 

とにかく国全体としては、扉を閉じて孤立に近い状態だったわけです。
 

「なんで鎖国をしたの?」

と思ったかもしれませんが、キリスト教が入ってくるのを防ぐためです。
 

当時の欧米列強の侵略方法は、まずキリスト教の宣教師を送り込み、布教して、その後に植民地化するという流れでした。

それを防ぐために国の扉を閉じていたというわけです。
 

もちろん厳密に言うと完全ではありませんが、幕府はそれを警戒していたというわけです。
 

で、そこに、ペリーがやってきたわけです。
 

有名な「黒船来航」ですね。

扉を閉じていた日本に「その扉を開けろ!」と要求してきたということです。

さあ、どうする日本?どうする日本人?

 

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鎖国と言うのは、国の扉を閉じていたわけですから、安心できる面もありました。

外部からの余計な干渉を排除していたわけですから。
 

しかし、その扉をこじ開けられようとしたとき、日本は大騒ぎになったわけです。
 

で、ここから日本人の中でいろいろと揉めるわけです。

幕府は「攘夷(じょうい)派」「開国派」の2つに意見が分かれます。
 

この2つの違いを簡単に言うとこうです。

「攘夷(じょうい)派」・・・外国と戦っても勝てると思っている人

「開国派」・・・外国と戦っても負けると思っている人
 

結局、幕府は「開国」を選択しますが、その弱腰の姿勢に急速に求心力を失っていきます。

孝明天皇は大の外国嫌いでしたが、幕府を倒すことまでは考えていませんでした。
 

この両者が協力しようという試みが「公武合体(こうぶがったい)」です。

これは、公(朝廷)と武(幕府)が力を合わせていこうというもので、孝明天皇の妹の和宮が14代将軍家茂(いえもち)に嫁いだことで実現します。
 

この「公武合体(こうぶがったい)」で旧体制を守りながら対処しようとする「幕府側」に反目したのが「尊王攘夷(そんのうじょうい)派」です。
 

「尊王攘夷(そんのうじょうい)」「尊王(そんのう)=天皇を敬う」「攘夷(攘夷)=外国の侵略を撃退する」という二つの要素を合わせたものです。
 

「公武合体」VS「尊王攘夷(そんのうじょうい)」

厳密にはもっといろいろな考えがありましたが、分かりやすく言うとこの2つの対立だったというわけです。
 

現在の政府VS革命軍という感じですね。

徳川幕府を倒すきっかけを作った男

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「で、肝心の佐久間象山は何派だったの?」

と思ったかもしれません。
 

佐久間象山は「開国派」でした。

最後の将軍慶喜に公武合体開国論を説いたのも彼です。
 

象山は、洋学の第一人者と言われるくらいさまざまなことに精通していました。

3歳の頃には易経の64卦を暗記。

6歳の頃には儒教の古典である四書をマスターして近所の子供に講義するほどの神童ぶり。
 

その後、英語にオランダ語、朱子学、西洋兵学、西洋砲術、西洋医学などさまざまなことを学んでいきました。
 

知識だけではありません。

洋書の文献を見ながら、大砲や留影鏡というカメラ、地震予知機、電気治療器なども発明しました。

学者であり、科学者、発明家でもあったのです。
 

とにかくまず、西洋の知識や文明をどんどん取り入れて力をつけようと言うのが象山の考え方。

吉田松陰や小林虎三郎、勝海舟や坂本龍馬などを弟子にもち、多大な影響を与えていきます。
 

でも、勤労の志士に影響を与えたと言うと、多くの人が思い浮かべるのが吉田松陰ではないでしょうか?
 

象山のことが実績ほど知られていないのは、その傲慢な性格のためだとも言われています。

かなりの自信家だったらしく、弟子の勝海舟からも「天下の英傑」と言われる一方で「問題の多い人だった」とも言われているからです。
 

しかし、象山は内外のさまざまな学問を学び、それを机上の空論ではなく、実際に活かすことができる人でした。

その先見性と知性から唱えられたことは、若き志士たちによって実行され、明治の世を作る架け橋になったのです。
 

象山のようなアクの強い人を日本人は敬遠します。

しかし、織田信長もそうでしたが、時代の狭間、変わり目では既成概念を壊す人が必要なのも事実。
 

「破壊と再生」というのは人間の長い歴史の中でも必然として起こることだからです。
 

その溢れんばかりの才気と情熱と行動力は、周囲を圧倒するものだったのでしょう。

そして、日本の危機という状況の中で、大局的な視野をもっていた象山の存在が大きな起爆剤だったのも確かだと思います。
 

 

尊王攘夷派の志士たちは、象山のことを「西洋かぶれ」と罵しり、命を狙っていました。

象山も自分が命を狙われていたのは知っていたのでしょうが、護衛もつけずに行動していたようです。
 

1864年7月11日。

象山は京都で暗殺されます。

享年54歳。

佐久間象山からのメッセージ

この「幕末」は時代の変わり目だけに、さまざまな想いが交錯して、日本人同士が血で血を洗うような時代でした。
 

旧体制を守ろうとした人たち、新体制を築こうとした人たち。

そこに外国勢力の介入や思惑も加わり混沌としていました。
 

歴史小説で読むにはロマンがあっていいのかもしれませんが、現実はもっと生々しかったでしょう。

本氣の想いと本氣の想いが命懸けでぶつかり、若い命を散らした人たちも数知れず。

ただ、どの考えの人たちも日本と言う国を想っていたことには変わりありません。
 

また、この明治維新や、その後の明治政府が推し進めた西洋化が、日本の大切な文化や伝統を破壊してきたという側面もあります。

歴史というものは常に光と闇、表と裏があり、短絡的に評価をすることができないものです。
 

それでも、過去に起こったことを変えることはできません。

いえ、これからの未来をどうするかが過去の解釈を変えていくのです。
 

幕末は、これまで題材として歴史小説やテレビや映画でたくさん取り上げられてきました。

しかし、その中で脚光を浴びてきたのは一部の人たちだけです。
 

この佐久間象山もまた脚光を浴びたとは言い難い人物ではあります。

性格に難ありという評価もありますが、それは溢れんばかりのバイタリィティの表れかもしれません。

完璧な人間などこの世にはいませんし、彼の存在が時代を変えるきっかけになったのも確かです。
 

今回ご縁を頂いて、参拝することになったのは「佐久間象山」という人物を思い出すためだったのかもしれません。
 

いまこのときも、幕末とは違いますが大きな時代の変わり目にきています。
 

いろいろな意味で、

「より自身の御霊(真我)に沿った生き方をするときにきている」

「生きるということが、より本質的に問われている」

そんなことを日々強く感じます。
 

それは、

「本当にやりたいことをやる」

「与えられた能力を活かす」

ということもそうなのでしょうが、

「より全体のために自身の御霊に宿っている想いや力を活かしていく」

ということがより問われているようにも感じます。
 

佐久間象山をはじめ、幕末の志士たち、日本の危機のために命懸けで生きた我々の祖先がそうだったように。

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余年二十以後即ち匹夫一国に繋り有るを知る 三十以後即ち天下に繋り有るを知る 四十以後即ち五世界に繋り有るを知る
 

象山神社にあった佐久間象山のこの言葉が、それを伝えてくれているような氣がします。

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