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あなたにとって「太郎」と言えば?

あなたは太郎という名前を聞いて、誰を思い浮かべますか?
 

浦島太郎、桃太郎、金太郎、ウルトラマンタロウ、山本太郎、、、?
 

時代や人によって、いろいろな太郎を連想するとは思いますが、

以前の僕ならこんな感じでしょうか(意外と思い浮かばないもんですね 笑)。
 

でも、最近は違います。

太郎と言えば、

「岡本太郎」

というくらい僕の意識のど真ん中を捉えています。
 

そう「芸術は爆発だ!」という言葉で有名なあの岡本太郎のことです。

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「なぜ?」

という問いに簡単に答えるのは難しいですが、
 

いまの時代に、いまこのときに、彼の作品が、その存在感が訴えかけてくる。

迫ってくると言った方がいいでしょうか。
 

とにかく、いまの日本に岡本太郎という存在のエネルギーが問いかけていることが、

とても重要だと感じているのです。
 

かつて、ヤマト(大和)と呼ばれていたこの日本に、

日本人にとても重要なメッセージを送っているかのように。
 

「ヤマト(大和)と岡本太郎がどう関係があるの?」

と思ったかもしれません。
 

僕もつい最近までまったく考えもしなかったのですが、

いまの僕はそれを感じているのです。

それは一体、どういうことなのか?
 

僕が感じている

「ヤマト(大和)と岡本太郎」

これを書いてみたいと思います。

深遠なるヤマト~「ヤマト」をホツマツタヱ、ヲシテ文字から読み解くと?

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(※ホツマツタヱ研究家のいときょう先生によるテキストです。)

2年くらい前に「ホツマツタヱ」という歴史書の存在を知りました。

「ヲシテ文字」という古代文字(神代文字)で書かれているこの文献は、

古事記や日本書紀の元になったものだと言われています。

もちろん、その意見に反発する声もあるでしょう(見方は人それぞれ、それでいいのです)。
 

しかし、その「ホツマツタヱ」に書かれている内容や世界観がなぜか僕の心を捉えるのです。

奥が深いので、知識的にはまだまだですが、

そこに書かれている縄文人の宇宙観に魅せられてしまったのです。

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宇宙の創造神アメミヲヤが吐いた「ウー」という息から「ア(天)」と「ワ(地)」という二つの渦が現れました。

そこからウツホ(宇宙そのもの)、カセ(風の源)、ホ(火の源)、ミツ(水の源)、ハニ(土の源)という五元素が生まれます。

ヲシテ文字は、母音でこの宇宙の五元素を、子音でそのエネルギーの状態を表しています。

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(※いときょう先生のホツマ出版で販売されている「ヲシテ表」です。)

ホツマツタヱには「トの教え」というものがあります。

これはアマカミ(古代の天皇)が「つくす、やわす」という無私の精神で国を治めたことを意味するもので、

ホツマツタヱの根幹をなす考え方だと言われています。
 

「ヤマト」をヲシテ文字で書くとこうです。

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ヤは、宇宙の創造神アメミヲヤを崇め、

マは、宇宙の五元素が降り注ぐ様子を現し、

トは、トの教えのことです。
 

すなわち、ホツマツタヱ、ヲシテ文字から「ヤマト」を読み解くと、

宇宙の五元素をアマカミ(古代の天皇の呼び名)が取り込み、

「つくす、やわす」という無私の精神「トの教え」で国を、カミ、トミ、タミを治めたことを意味しています。

(※カミ・・・指導者、トミ・・・指導者の教えをタミに伝える人、タミ・・・トミの教えをもとに働く人)
 

これは古代に限ったことではありません

現代でも皇室では天皇陛下が元日の四方拝に始まり、

国や国民のために全身全霊で祈りを捧げてくれています。
 

「つくす、やわす」は漢字で書くとすれば、「尽くす、和す」

それが繋がり、和のようにどんどん広がって行く。

この様子を漢字の「大和」は表しているようにも思うのです。
 

「ヤマト」にこの漢字が当てられた由来には諸説あります。

でも、大いなる和と書いて「大和」と解釈するのが僕自身はしっくりきます。

その解釈をもとに話を進めていきますね。

大いなる大和~本来の「和」について突っ込んで考えてみると?

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かつて「大和」と呼ばれていたこの国は「和」という精神をずっと昔から大切にしてきました。

1万年以上続いた縄文時代は、大きな争いがありませんでした。

これって、すごくないですか?
 

人間の無意識の奥には人類共通の集合意識があります。

きっとこれは民族で共有する(日本の)集合意識というのもあるのだと思うのです。
 

戦後の焼け野原からの奇跡の復興などを見てもわかるように、

日本人はその集合意識の中で「和」という精神で、

お互いが協力して難局を乗り越えていくことができる力をもっているのではないでしょうか。
 
 

聖徳太子の十七条の憲法の第一条が、

「和(やわらぎ)を以て貴しとなし、 忤(さか)ふること無きを宗とせよ。、、、 」

で始まるのは有名なお話ですよね?
 

第二条が「篤(あつ)く三宝(さんぽう)を敬え。、、、」

第三条が「詔(みことのり)を承けては必ず謹め。、、、」

と続きます。
 

第二条は仏教のこと、第三条は天皇のこと。

聖徳太子は外来宗教である仏教を推していました。

だから、第三条の天皇よりも仏教を第二条にもってきたのだと思います。
 

でもこれは決して、天皇という存在をないがしろにしたわけではありません。

聖徳太子は叔母の推古天皇の摂政をしていましたしね。
 

でも、その二つよりも「和」を第一条にもってきたのは、なぜでしょうか?
 

それは、この精神が日本人にとって、とても重要だと思っていたからです。

聖徳太子が考えたと言うよりも、日本人という存在にとって、

とても大切なものだと感じていたからだと思います。
 

これを簡単に言ってしまえば、

「なにかを決めるには話し合いが大切だよ」

と言うことです。
 

この話し合いが大切というのは、当たり前のように思ったかもしれません。

もちろん大切なことであるのは確かなのですが、そうでない側面もあるんです。
 

「えっ?どういうことですか?」

と思ったかもしれません。
 

この話し合い、ほとんどの場合、「我慢と妥協」を生みます。

つまり、みなが納得の上で話し合いがまとまればいいのですが、

現実はなかなかそうはいかないですよね?
 

基本的に、日本人にとっての話し合いは、西洋人が得意とする議論とは違います。

議論がいいという話ではないのですが、あくまで話し合いでまるく収めるという感じですよね。
 

「なるべく和をみださないように」

この暗黙の了解があるのは、多くの日本人が感じていることではないでしょうか?
 

「それが素晴らしいんじゃないか!」

と思った人もいるかもしれませんね。
 

そう思うのも理解できます。

僕も日本人なので(笑)
 

でも、あえてそこを突っ込んで書いていきますね。

話し合いをまるく収めるために、生まれた「我慢と妥協」。

これは一体どこへ行くのでしょう?
 

その我慢と妥協した人たちの心の奥に奥に、たまっていきます。

そして、それは、もっと奥へ、集合意識という共通の意識へとたまっていくのです。
 

「我慢は美徳」

確かに、その側面もあります。
 

それを頭から否定するつもりもありませんし、それが必要なときもあります。

なにもケンカや争いをしろと言っているわけではありません。
 

話し合いは確かに大切です。

でも、まるく収めようとするあまり「本音」をぶつけ合えないという意識が日本人の根底にはあります。

「周囲と同じにしなければ和が乱れる」

という恐れもまた根底にあります。
 

「本音」を押し殺し続け、日本人の集合意識にたまった「憤り」が臨界点を迎えたとき、、、

思わぬ形でそれが噴出することもあるのではないでしょうか。

中途半端な個性や自分らしさ

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戦前の日本は全体主義と言われていました。

日本と言う国が一丸となって戦争というものに向かった時代。
 

そして、敗戦後、その反動なのか、国よりも個が大事という風潮が高まります。

国歌である「君が代」を歌うのを否定する人たち、国旗を掲げるのを反対する人たち。
 

白熱する自虐史観。

それは焼け野原からの復興後、拍車をかけるように顕著になっていきます。

その影響で多くの日本人が、自らの過去を否定するようになり、

アイデンティティを失い、彷徨ってきたように思います。
 

全体よりも「個」が大事という意識に目覚めた日本人。

もちろん、「和」という思想がなくなったわけではありません。

その精神は深く生き続けていたからです。
 

そして、「個」に目覚めるといっても、、、

そのほとんどは、己を貫くというより、

「自分は自分、他人は他人」

というどこかうすら寒い希薄な関係性を作り上げていた人が多かったようにも思います。
 

「あなたがなにしようと関知しないから、私のことも放っておいてね」

自分を主張して摩擦を起こすというよりは、お互いに関知しないという感じで。
 

日本という国の全体性の中で守られながら、その全体性である日本や自らが日本人であるということを否定する。

もしくはあやふやにして、見ないようにする。
 

そして、個が大切だから、自分のことはただ放っておいて欲しいという。

「和」を保とうと、表向きは笑顔で過ごし、内面に「我慢と妥協」をためていき、

全体から個を切り離そうと、距離を置こうとする。
 

重苦しい空気と空々しい希薄な空気。

なにか得体のしれないものに包まれているような感覚。
 

そんな時間を長らく過ごしていき、いまの日本を観ると、

この国に機能していた表面的なあやふやな全体性がぐらついているのを感じます。

行き詰っているのを感じませんか?

AI(人工知能)の発達をどう捉える?

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AI(人工知能)の発達が、人間がいままでしてきた多くの仕事を、

替わりにする時代がもうすぐやってくると言われています。
 

これを不安や心配なことと捉える人もいるでしょう。

しかし、この現象を全く逆から捉えてみるとしたら?
 

「人としてどう生きるか」

「どう存在するか」

ということを私たちに問いかけてくれていると僕は思うのです。
 

それは、

「根源的な生きる意味」

「何のためにこの地球に生まれてきたのか」

ということを問われているということです。
 

「なにかを成し遂げなければならない」

という成功や成果をあげるためではありません。
 

確かにこの世で大きな成功や業績をあげる人はいます。

でも、それは彼ら、彼女らが自らの魂の声に従い行動した結果としてそうなっただけのこと。

成功や業績を上げるために、魂の声に従うのでは本末転倒になってしまいます。
 

「使命」「天命」という壮大な言葉にひるむ必要はまったくありません。

ただ純粋に魂の声に従えるかどうか。

それをこの瞬間から、いまできることから、行動していけるかどうか。

でも勇氣をもってそれをしていくと、少しずつかもしれませんが、なんとかなるのだと僕は思っています。
 

そして、日本人が大切にしてきた「和」という精神を大切にしながら、

いかに個人が本当に御魂の深いところから発することを行動に移せるかどうか。

ここが大切だと思います。
 

でも、これって「鶏が先か卵が先か」というようなところがあります。

個は全体であり、全体は個でもあるからです。
 

この命題にメッセージを投げかけてくれるのが、太郎、そう岡本太郎なのです。

なぜ岡本太郎なのか?

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実は先日「岡本太郎記念館」へ行ってきました。

10年ぶりくらいでしょうか。
 

でもそのときは、岡本太郎にそれほど興味があったわけではなく、

付き合いでなんとなくいった感じでした。

作品の迫力や奇抜さには驚きはしましたが、

ただそれだけだったのです。
 

でも、10年ぶりにここを訪れたとき、、、

彼が創り出す作品の存在感と世界観に圧倒されてしまったのです。

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中でも、圧巻だったのは太陽の塔の内部の模型です。

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この太陽の塔、地下から、段々と上に上って行くに従い、生命の進化の様子が克明に表現されています。

その全体性、全体像に圧倒されるのですが、私の心を一番捉えたのは、地下にある部屋です。

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そこには、世界各国から集められた仮面やさまざまなモニュメントが展示されている部屋があったり、

マンモスで狩りをしている遥か太古の様子が描かれている部屋があったり。
 

「ここはね、人類の集合意識を表しているという話があってね」

そういう解釈があるらしいのです。
 

その話を聞いたとき、

「す、すごい!」

と心底思ってしまいました。
 

もちろん解釈はさまざまだと思いますが、

「きっとそうだ!」

と感じている自分がいるのです。
 

集合意識!!!

岡本太郎はそこまで表現していたのか!?
 

集合意識から、生命の進化の過程、

そして、いま現在その最終形である人間の上には、枝が天高くまで伸びていく、、、
 

「いまの人間の進化の先はまだまだある」

そんなメッセージを託すかのように、、、

過去から現在、そして未来はもちろん、生命、魂の記憶という壮大な物語の全てがここにはあるのです。

個を徹底的に突き詰めて、集合意識まで表現する岡本太郎

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岡本太郎は徹底的に己と向かい合い、個を貫いた人です。

だから、「和」を大切にする日本人にしてみればとっても特異な存在。
 

でも、この個を貫く度合いや深さがハンパではありません。

「あなたのことも放っておくから、私のことも放っておいて!」

という摩擦を恐れ、ただ他人に関知されたくないという希薄な個とは全然違います。
 

他人にどう思われようが、徹底的に己が感じることにフォーカスする意識とそれを表現する勇氣。

その力強い情熱の炎は己の魂の深い、深いところを突き抜けて、人類全体の集合意識へとアクセスしていきます。
 

太郎は集合意識にあるものを見せてくれる。

混沌としたありのままの姿、イメージ、エネルギーを。

表面的な薄っぺらい偽善を笑い飛ばすかのように、強烈に訴えかけてくる。

魂の希求、魂の叫び、魂の葛藤。。。
 

太郎のことがよく分からなくても、そこにあるエネルギーに触れるとき、、、

何かとてつもないようなものを目にしている感覚を覚えます。
 

それは、誰もが魂の奥底でつながることができる集合意識の記憶の泉。

分からなくても、感じることができないわけがない。

目をそらさなければ、、、。
 

だって、太郎は己と徹底的に向き合い、掘り下げて、掘り下げて、

人類共通の意識にあるありのままを、この現象世界に引き出してくれているのだから。
 

人は誰しもこの世界を自分のフィルターで捉えています。

でも、本来の世界の在りようは、

この現象世界に見えるようなハッキリとした姿形、イメージをしていないのでしょう。
 

そこにあるのは、ありのままの純粋なエネルギーであり、抽象的な世界だからです。

「この世は幻想」

「この現象世界は幻想」

とも言われますよね。
 

太郎はその眼差しで、この世界の本来の姿を捉えているのだと思う。

彼の作品が一見理解しづらく、抽象的なのはそのためなのではないでしょうか。
 

しかし、圧倒的な存在感を解き放っている

そこに目を、心を、魂を鷲掴みにされてしまう。
 

「この得体のしれない存在感はなんだ!?」

そう思わずにはいられない何かがそこにはあるのです。
 

太郎は徹底的に己の個を掘り下げて、人類共通の集合意識まで到達した人。

そこにあるさまざまな想いを、エネルギーを引き出して表現し続けた人。
 

「個は全体であり、全体は個でもある」

徹底して己を掘り下げることで、全体なるものに対峙して、表現し続けた人。
 
 

「君の表現はそんなものか?」

太郎がいまの日本人に問いかけているような氣がします。
 

「いえ、わたしは芸術家ではありませんから」

と思った方もいるかもしれません。
 

でも、そんな答えはナンセンスです。

だって、人生そのものが、芸術でありクリエーションなのですから。
 

己を貫き、掘り下げ、魂の奥の奥にあることを大切にする。

それは魂というあなたの本質が求めることをするということです。
 

成功とか成果ではなく、ただそれをするということ。

誰かに何かを認めてもらうためじゃなく、純粋に魂が求めることをするということ。
 
 

こんなエピソードがあるのをご存知ですか?
 

太郎が学生にこんな質問をされました。

「芸術でご飯が食べられますか?」
 

それを聞いた太郎が答えます。

「君はご飯が食べれないのか。だったら家に来い。カレーくらいは食わせてやる」
 

このやり取りには、お互いが捉えている現実の次元の違いがよく表れています。

「芸術でご飯を食べる」

という学生の質問自体が太郎にとってはナンセンスというか意味のない(次元が違う)ものだったのですから。

すべてはひとつ

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(※一心さんこと鈴木邦明さん著「生命の花をこの世で咲かそう」に載っている「結魂しよう」という詩です。)

魂はすべてつながっていてひとつだと言われています。

魂が求めることをするということは、その魂が喜ぶことをするということです。

そして、個々の魂が喜んだということは、他の人の魂、すなわち、つながっている魂全体が喜ぶことだとも言えます。
 

個が全体であり、全体が個であるならば、、、

あなたの魂が純粋にやりたいことをすれば、全体のためにもなるということです。
 

ただ、その純粋にやりたいことが、誰かの情報に左右された偽りのものだったとしたら、この図式は成り立ちません。

じゃあ、どうすればいいのか?
 

今まであなたの自我が記録してきた表面的なことを、

ひとつずつ、ひとつずつ剥がしていって、

「中心にある核」に触れることです。
 

その「中心にある核」こそがあなたという個が全体と繋がっているところ。

「本音」と言われる、「本当の音」が響くところ、「真(まこと)の音」が響くところ。
 

あなたの「真(まこと)の音」が響き渡るとき、

他の人の、全体の「真(まこと)の音」にも影響を与えるでしょう。
 

そして、その影響が少しずつ、少しずつ、共鳴していって、この世界に響き渡っていく。

その響き合う共鳴が和のようにつながっていき、広がっていく。
 

本当の和とは、「我慢と妥協」の上に成り立つものではないのだと思う。

顔は笑っていて、「憤り」を集合意識にため込むものでもないのだと思う。

「違いを認め合う」ことで生まれるものだから。
 

でもこれって、本当はたましいの部分では、

いまこの瞬間もみんなが認め合っていることなんですよね。
 

でも、自我が、あなたの記憶がそうさせないだけ。

自我は他人と自分を区別するために発達してきたものだから。
 

その区別が優劣を生み、苦しみを生み出し続けてきたから。

そこに氣づき、それを超えるとき、本当の和が生まれます。
 

「個は全体であり、全体は個である」
 

遥か彼方、太古の昔より、続いてきたこのヤマトという国が大切にしてきたこと。

それは、考えることを手放し、ただシンプルに、そして静かに自らの御魂と向かい合うことで観えてくるもの。
 

そっと目をつむり、あるがままの自分を感じてみてください。

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それができるのはあなた自神しかいません。

「自分自神を生きる」

あなたはこの世界で、あなたという人生の世界の中でたった一人の個性あふれる創造主なのです。

作品No.9

『勾玉』はトの教えの象徴であり、真我をサポートしてくれるもの

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ホツマツタヱで伝える「トの教え」とは、

アマカミ(古代の天皇の呼び名)が「つくす、やわす」という無私の精神で国を治めたこと。
 

その「トの教え」の象徴が「勾玉」です。

この「勾玉」、真我魂とも書きます。

「まがたま」とも読めますし、「しんがたましい」とも読めます。

そう、勾玉は真我魂(しんがたましい)なのです。

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真我(しんが)とは本当の自分です。

自分自身の核となるところ。
 

勾玉は「トの教え」の象徴でもあり、

あなた自身が本来の自分自神として生きることをサポートしてくれる存在でもあるのです。

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(※私の分身でもある勾玉オルゴナイト「SUN-太陽神」。勾玉オルゴナイト工房の千葉由紀子さんに創っていただきました。)

「あなたの職業は?」

かつて岡本太郎がこう聞かれたときに、こう答えたそうです。

「人間だ!」

岡本太郎は「人間」であり、強烈過ぎる創造主でもありました。
 

その強烈さが、私たちに「目覚めよ!」と言っているかのように感じます。

『深遠なるヤマト、大いなる大和』

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アメミヲヤ
ウと息吐いて
アワの渦
二つ起こりて
ウツホカセ
ホミツハニなり
アマカミの
その身を通り
降りそそぐ
つくすやわすの
トの教え
カミトミタミに
伝われば 
国治まりて
安らかに
天地満ちて
マコトなる道

(※上の作品の写真にヲシテ文字で書かれている詩の内容です。)
この作品はいままで私が書いてきたことを表現しています。
 

宇宙から大いなるエネルギーがアマカミ(古代の天皇の呼び名)を通して、

「つくす、やわす」の「トの教え」としてこのヤマト(大和)の地に降り注ぎます。

その「トの教え」の象徴が勾玉です。
 

富士山はホツマツタヱではハラミ山と呼ばれ、

アマテルカミ(天照大神)が生まれたところ。
 

大地からのエネルギーの渦と、

宇宙からのエネルギーの渦が合わさる富士山頂の0ポイントから、

大和の心が波紋のように広がっていく。
 

その富士山の山頂の0ポイントには勾玉があります。

その勾玉は「真我魂(しんがたましい)」とも呼ばれ、

本来の自分である真我が自分自神として生きることをサポートしてくれるもの。
 

その勾玉のエネルギーも全方位に放射されています。

「つくす、やわす」の「トの教え」も「真我魂(しんがたましい)」としてのエネルギーもどちらも全方位に放射されているのです。
 

この宇宙にあるもの、人はもちろん、命あるもの、森羅万象のすべてはエネルギーです。

僕たちは大いなる源(ソース)からそのエネルギーを分かつ存在。

「個は全体であり、全体は個」なのです。

コントラストを体験し、その分かつ魂にさまざまな体験を刻むために、、、

作品1

違いを認め合い、自分自神を知るために、、、

作品No.12

この世界に降り立ちました。
 

ここには深遠なるヤマト、大いなる大和、本来の自分自神という世界があります。

いまここで、ともにこの日本でみなさんと生きていけることをとても嬉しく思います。
 

そして、このヤマト(大和)の精神が日本だけでなく世界へと広がっていくことを心より願っています。

あなたの、みなさまの「真(まこと)の音」がこの世界に鳴り響きますように。

作品No.10

鳴り響き、お互いが共鳴し合い、調和というハーモニーを奏でられますように。

最後までお読みいただき真にありがとうございました。

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岡本太郎記念館

川崎市岡本太郎美術館