『いまさらだけど、、、』

写真 2017-12-02 8 44 30

「あなたにとって神社や神様ってどういう存在ですか?」
 

「お願いをするところ?」

「感謝を伝えるところ?」

「神様を感じるところ?」
 

人それぞれいろいろあると思います。

あなたが感じる、あなたにとっての「神社」や「神様」というものがあるでしょうから。
 
 

遥か昔より存在するこの「神社」という存在、そして「神道」という思想。

日本人にとって信仰というより、空氣のように当たり前に浸透(神道)しているもの。
 

だからなのか、日本人にとって「神様」という概念は大らかというかどこか曖昧。

そこに祀られている神様の名前を知らなくても、なんとなく神社に参拝する人もいますよね?
 

それが悪いわけではありませんよ。

かつての僕もそうでしたから(笑)
 

「なんとなくそうだよね~」

それで共通認識できる日本人の感覚ってある意味、素晴らしいです。
 

でも、素晴らしいで終わりにせず、そこをもう少し深く考えてみたいと思います。

「神社」や「神様」という存在を紐解いていくと、日本人が忘れていた大切なことを思い出すようになるからです。
 
 

なので、「なんとなく」や「曖昧」なところに敢えてツッコミを入れてみたいと思います。

分かっているようで理解していないことってありませんか?
 

子どもに

「ねえ、どうしてこうなってるの?」

なんて聞かれて困ったことがある方も多いのではないでしょうか。
 

だから、

「そもそも、どうしてこうなんだろう?」

という基本的なことも含めて書いてみたいと思います。
 

「そんなこと知ってるよ!」

「当たり前じゃん!」

と思う人は遠慮せずに、どんどん読み飛ばしてくださいね(笑)
 
 

自慢ではありませんが「神社」や「神様」に対して、全然興味も関心もなかったんです。
 

そんな僕がなぜこのような記事を書くようになったのか?

日本人が、忘れていた大切なことって一体何なのか?
 

僕の体験を通して学んだこと、思っていること、体感したことをみなさんとシェアしたいと思います。

『そもそも日本人にとって神様って?』

38ba9e2f843c99b60306efc46c4ebc5d_s 

きっとこの世界はもっと、もっとシンプルだったんだと思う。
 

あまねく照らす太陽のぬくもり、

種子や花粉を運ぶ風、

大地を潤す雨、

作物を育んでくれる大地、

凍える身体を暖めてくれる火、、、

自然の恵みに感謝を捧げ、
 

カンカンと照りつける陽射し、

ビュウビュウと吹きすさぶ激しい風、

ザアザアと降り続ける雨、

ドォーン!と鳴り響く雷鳴や雷光、、、

自然の猛威に畏敬の念を感じる。
 

古代の人々はそこに「大いなるなにか」「大いなる存在」を感じ、「カミ(神)」という存在を観たのでしょう。

カを火、ミを水で表し、カミ(火水)ともなります。

IMG-1797

この「火」を「日」と考えるとすると、太陽と水という命にとって最も大切な恵みということにもなりますね。
 

畏敬の念をもって祈りを捧げ、自然と人がともに生きていた世界、調和していた世界。

「カミ(神)」は森羅万象のすべてに宿っているというのが日本であり「神道」の原点。

IMG-1799

だから神社と呼ばれる御社(おやしろ)はもともとありませんでした。

石や岩を祀るというとてもシンプルなものが原点だったから。
 

現在、当たり前のようにあると思われている神社の御社(おやしろ)は6世紀に仏教が輸入されてきた影響だと言われています。

64fe3d404e05e156184c5c2c1ab28f41_s

仏教のお寺という概念に影響を受けたということですね。
 

神社には拝殿と本殿があります。
 

拝殿とは、あなたがお賽銭を入れてお祈りをするところですね。
 

本殿は、「御神体」という神様の御霊が宿っている依代(よりしろ)を安置している場所。

鏡、玉、石、木、、、

神社によって様々です。
 

いわゆる太古の昔より人々が祈りを捧げてきた対象ということですね。
 

いまでもこの本殿がない神社もあります。

奈良県の大神(おおみわ)神社は三輪山を、群馬県の榛名神社は御姿岩(みすがたいわ)という巨石がご神体です。
 

もともとは大自然を崇拝していた日本人ですが、神社には、「古事記」や「日本書紀」という神話に登場する神様たちが祀られています。
 

「大自然に存在する神様」と「神話に登場する神様」

もしかしたら、ごっちゃになっていませんか?
 

実際、僕がそうでしたから(笑)

「神話に登場する神様は大自然を擬人化したものなのかなあ」

なんて漠然と捉えていたからです。
 

神様に対して、そんな曖昧で、漠然とした感覚って日本人の多くの人がもっているように思います。

その曖昧さ、漠然とした感覚を許容できるところがまた、日本人が外国からのさまざまな文化や神様を受け入れてこれた柔軟さでもあるのですが。
 
 

おそらく日本人にとって、神様は信じるというより、感じるという感覚に近いのかもしれません。
 

「いえ、私は神様を信じてます!」

という声も聞こえてきそうですが(笑)
 

どう言ったらいいかなあ、、、

絶対的な神様を崇める西洋の人たちの「神様を信じる」というニュアンスとは違うと思うんですよね。
 

ここには聖書などの経典があり、戒律などの決まりごともあります。

強いて言うと、神様と人との間に「信じる」という契約が交わされているような感じがするんですよね。
 
 

日本人の神様に対する接し方って、大いなる存在と感じながらも、共に生きるという感覚があるように思うんです。

「信じる」ことを経典や戒律などで強要されていない分、上下という感覚に緩やかさがあるというか。
 

そもそも神様という存在がたくさんいるので、必然的に視点が広くなるんだと思うんです。

遥か彼方の高みに存在しているというより、ここにもあそこにも存在しているという感じで。
 

例えばですが、

「教会でお祈りを捧げる」のと「神社に参拝する」のも感覚が少し違うと思うんです。
 

そのあたりのニュアンスの違いを分かりやすく整理していきますね。

「神は人の敬によりて威を増し、人は神の徳によりて運を添ふ」

IMG-1800

「御成敗式目」というものがあります。

これは鎌倉幕府の基本法典です。

御成敗式目(ごせいばいしきもく)は、鎌倉時代に、源頼朝以来の先例や、道理と呼ばれた武家社会での慣習や道徳をもとに制定された、武士政権のための法令(式目)である。貞永元年8月10日(1232年8月27日:『吾妻鏡』)制定。貞永式目(じょうえいしきもく)ともいう。ただし貞永式目という名称は後世に付けられた呼称で、御成敗式目の名称が正式である。また、関東御成敗式目、関東武家式目などの異称もある。

引用:御成敗式目-Wikipedia

いわゆる武士のための法律、決まり事ですが、この第一条の中にあるのが、

「神は人の敬によりて威を増し、人は神の徳によりて運を添ふ」

という言葉です。
 

「神は人から敬われることで益々その御威光を発揮できるようになり、また人は神を敬うことで良い運を与えられる」

といったところでしょうか。
 

御成敗式目のこの言葉は、神様と人がお互いに尊び、支え、高め合うことで、それぞれの存在の輝きが増し、栄えていくと解釈することもできます。

神様に対して敬う心をもって祈りを捧げ、自らがやるべきことはしっかりと行動する。
 

この在り方が、神様と人との調和が取れている状態なのではないかと思います。
 

そう、調和なんですよね。

教会でお祈りを捧げるというのは絶対的な神様と人という力の差(上下関係)がハッキリとしている世界。
 

一方、日本では神様と人が調和する世界なのではないでしょうか。

神社には歴代の天皇も祀られていますが、現在でも、天皇陛下と国民はこのような関係性だとも言えます。
 

天皇陛下がご公務をされている様子はよくテレビで報道されますよね?
 

とてもハードなスケジュールをこなされているのですが、これ以外に宮中祭祀(きゅうちゅうさいし)というものが年間約30回もあるのです。
 

天皇陛下は国のため、国民のために

「国平らかに、民安かれ」

と全身全霊で無私の祈りを捧げてくれています。
 

天皇陛下を尊び、敬う心、そして国民は天皇陛下の大御心を戴く。

この感覚が日本には、日本人にはあります。
 

神社で神様に手を合わせるのは、この感覚を思い出すことでもあるのかもしれませんね。

神様のことはよく分からなくても神社に行く日本人

4ba121fbcb10f7064375031662f767d2_s

「神様の存在を信じない」

「自分は無宗教です」

そんな声を聞くこともあります。
 

とは言いながらも、お正月には初詣に行き、子どもが生まれたらお宮参り、成長したら七五三を神社でしている人もいますよね?
 

「みんながやってるから」

「親がそうしてきたから」

というかもしれません。
 

でも、信じないといいながらも、無意識の奥深くではなにかを感じ取っているのではないでしょうか。

そもそも神道のちゃんとした定義ってどうなってるんでしょう?

神道(しんとう)は、日本の宗教。山や川などの自然や自然現象、また神話に残る祖霊たる神、怨念を残して死んだ者などを敬い、それらに八百万の神を見いだす多神教。自然と神とは一体的に認識され、神と人間とを取り結ぶ具体的作法が祭祀であり、その祭祀を行う場所が神社であり、聖域とされた。

引用:神道-Wikipedia

神道には教義と呼ばれるものがないんですよね。

もともと森羅万象に神様は宿るというところから始まっているから。
 

いろいろな意見、考え方がある中で、神道は宗教ではないという声すらあります。

確かに、キリスト教などの西洋の宗教みたいに教典はないですよね。
 

しかし、「ホツマツタヱ」「古事記」「日本書紀」などの歴史書からは、私たちの祖先がどのような思想や道徳観をもっていたのかを知ることができます。

「古事記」や「日本書紀」ではモヤモヤとして分からなかったことも、「ホツマツタヱ」を紐解いていくと分かってきます。
 

でも、はっきりと分からなくても、どこか深いところで感じることができるのが「神道」であり「神社」という存在。
 

日本人にとって「神道」が「宗教」であるかどうかというのは、あまり意味がないことなのかもしれませんね。

「宗教」という言葉がなくても、もっと言えば「神道」という言葉がなくても、その根底にある思想が日本人の中に浸透しているものだから。
 
 

日本政府観光局(JNTO)が発表した2017年に日本を訪れた外国人の数は2869万1000人。

神道についてよく分からなくても神社を訪れる外国人もたくさんいます。
 

世界にはさまざまな宗教があって、その宗教を篤く信仰する外国人が、「神社」という存在に惹かれるのは、そこに「なにか特別なもの」を感じ取っているからではないでしょうか?

d407905266245886b0813cea5543df90_s

かつて、歌人の西行は、伊勢神宮を訪れたとき、

なにごとの
おわしますかは
知らねども
かたじけなさに
涙こぼるる

と歌いました。
 

西行は伊勢神宮に祀られている神様のことを本当に知らなかったのでしょうか?
 

仏教徒である西行が天照大神の名前を敢えて使わなかったというお話もあります。

諸説あり、本当のところはわからないです。
 

でも、大切なのはそんな枝葉末節(しようまっせつ)ではなく、西行が感じ取った「かたじけなさに 涙こぼるる」という言葉に全てあると思います。
 

神社に惹かれる外国人は、これと同じような感覚を覚えているのかもしれませんね。

よくわからないけど、そこにある「なにかありがたいもの、おおいなるもの」を。
 
 

「神道」や「神社」って感じる世界、感覚的な世界なんですよね。

教義という縛りつけるものがないという自由さもまた「神社」や「神道」の魅力でもあるのでしょう。
 

でも、縛りつけるものがないといっても、そこに混沌たる世界はありません。

そこにあるのは、深遠、静寂、安らぎ、そして凛とした世界。 

IMG-1801 (2)

そして、その世界にいる神様もいろいろな捉え方があります。

「産土(うぶすな)様、氏神(うじがみ)様」

写真 2018-01-04 16 17 08

幼い頃、神社は遊び場でした。
 

そこに祀られている神様がどんな方なのかも知らずに、友達と走り回って、かくれんぼをしたり、とにかくそんな記憶しかありません。

神様はうるさくて、いい迷惑だったでしょうか?
 

きっと神様は、「きゃっ、きゃっ」いいながら黄色い笑い声を張り上げて遊ぶ子どもたちを微笑ましく見守ってくれていたと思います。

神様の捉え方というのはいろいろありますが、日本には産土(うぶすな)神という考えがあります。

産土神は、神道において、その者が生まれた土地の守護神を指す。その者を生まれる前から死んだ後まで守護する神とされており、他所に移住しても一生を通じ守護してくれると信じられている。産土神への信仰を産土信仰という。

引用:産土神-Wikipedia

あなたを生まれる前から死んだ後まで守護してくれる神様のことで、生まれた場所にいちばん近い神社を産土(うぶすな)神社といいます。
 

「産土(うぶすな)?初めて聞きました。」

と思った方もいるかもしれません。
 

氏神(うじがみ)という言葉は聞いたことがあると思います。

「氏神(うじがみ)さま」と言えば、いまあなたが住んでいるところに一番近い神社のことだからです。
 

普段神社に参拝しない人も、初詣には参拝する人も多いのではないでしょうか?
 

ちなみに氏神さまのちゃんとした定義はこうです。

本来の氏神は、古代にその氏人たちだけが祀った神であり、祖先神であることが多かった。例として、中臣氏は天児屋命、忌部氏は天太玉命を祀った。また、中臣氏と関係の深かった武甕槌命(鹿島神宮)と経津主命(香取神宮)を、藤原氏が春日大社に祀るなど特殊な例もあった。中世以降、氏神の周辺に住み、その祭礼に参加する者全体を「氏子」と称するようになり、氏神は鎮守や産土神と区別されなくなった。

(引用:氏神-Wikipedia)

氏神さま=住んでいるところから一番近い神社

という認識が一般的ですが、この氏神さまも、本来は中臣氏とか忌部氏などの氏族が祀った神様のことでした。
 

まあ難しいことは参考までとして、簡単にまとめると、

「産土(うぶすな)神社=生まれた場所からいちばん近い神社」

「氏神(うじがみ)神社=いま住んでいる場所からいちばん近い神社」

となります。
 

昔は生まれた場所から自由に移動ができませんでした。

だから産土(うぶすな)=氏神(うじがみ)という方程式がなりたったのですが、現在は違います。

成長するにつれて、ほとんどの人が生まれた場所を離れるからです。
 

この産土(うぶすな)神社も、氏神(うじがみ)神社も神社庁に電話して住所を伝えれば教えてくれます。

産土神社は、一般的には生まれた場所がどの神社の区域にあるかで決まります。
 

なので、生まれた場所が同じ、例えば兄弟なら同一の神社となるのですが、ひとりひとり違うという捉え方もあります。

必ずしも生まれた場所からいちばん近い神社というわけではなく、ひとりひとりの魂のつながりがあるので、兄弟でも違うそうなのです。
 

私も8年くらい前に調べてもらったことがありますが、興味がある方は「産土神社リサーチ」「産土神社リーディング」で検索してみてくださいね。
 

どちらが正しい、間違いはないと思います。

生まれた場所の近隣にある神社で、あなたが「なんか心地よい」「なんか落ち着く」と感じる神社がそうかもしれませんから。
 

ひとりひとりの魂を生まれたときから死ぬまでサポートしてくれるのが産土(うぶすな)さまで、その産土さまと会えるのが産土神社。

それは、その神社にお祀りになられている御祭神と呼ばれる神様ではなく、その土地に宿り、守護している神様のこと。
 

ちょっとややこしくなってきましたね?
 

そこを分かりやすく整理していきます。

そもそも御祭神とは? ちょっとだけ深く考えてみる。

写真 2018-01-04 16 16 50

どの神社にも御祭神と呼ばれる神様がいますよね?
 

天照大神(あまてらすおおみかみ)

素戔嗚尊(すさのおのみこと)

猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)

みたいな感じで。
 

神社には御由緒書きがありますので、そこを見ればそこにお祀りされている神様の名前が分かります。

でも、同じ神様なのに、全国いろいろなところにお祀りになられていますよね?
 

「いや神様は実体がないから、それでいいんじゃないの?」

と思ったかもしれません。
 

確かにそうですね、一般的に、目に見えるという意味では実体がないです。

いろいろなところにお祀りされている神様ですが、どの神様も元々お祀りになられている神社があります。

それ以外のところは「分霊(わけみたま)」といって、そのもともとの場所からお呼びになっています。

分霊(ぶんれい、わけみたま)とは、神道の用語で、本社の祭神を他所で祀る際、その神の神霊を分けたものを指す。分霊を他の神社に移すことを勧請(かんじょう)という。神道では、神霊は無限に分けることができ、分霊しても元の神霊に影響はなく、分霊も本社の神霊と同じ働きをするとされる。

引用:分霊-Wikipedia

で、そもそもですが、あなたはこの神様についてどんなふうに思っていますか?
 

僕が神社に興味を持ったのは30代になってからです。

それまで、初詣こそ行ったものの、神社にお祀されている神様について深く考えたこともありません。
 

当然、神道についての知識もありませんし、「古事記」や「日本書紀」などの神話のことも知りません。

「天の岩戸開き?」

「天孫降臨?」

みたいな感じです(笑)
 

「とにかく神社には神様がいるんだよね?」

というくらい超がつくほど曖昧な認識しかありませんでした。
 
 

で、30代になって神社に少しずつ興味を持ち始めたときに思ったわけです。

例えば、日光東照宮は徳川家康が祀られていますよね?

11e041ae21a743bf7bd2957130f210c2_s

「えっ?なんで人間が神様として祀られているの?」

と思ったわけです。

IMG-1802

浅草と言えば、浅草寺ですが、その隣には浅草神社があります。

927035002132e758a7e71c30541087f9_s

この神社に祀られているのは、お坊さんと漁師の兄弟です。

漁師である檜前浜成命(ひのくまはまなりのみこと)、檜前武成(ひのくまたけなりのみこと)の兄弟が隅田川で漁をしているときに聖観世音菩薩(せいかんぜおんぼさつ)を見つけて、土師真中知命(はじのまつちのみこと)はその聖観世音菩薩(せいかんぜおんぼさつ)を祀るために帰依してお坊さんになりました。

この聖観世音菩薩(せいかんぜのんぼさつ)が祀られているのが現在の浅草寺です。

すなわちこの三人のお蔭で現在の浅草寺があるということになりますね。
 

この話を知って、

「なるほど〜、そういう経緯があったのか!」

と思いながらも、
 

「えっ?でも、なんでお坊さんと漁師が神様として祀られているの?」

という感じだったのです。

IMG-1803

そのときは少しだけ神話の内容も知っていましたが、そこに描かれている神様は実在しない架空の存在だと思っていましたので。

まあ、僕の認識が甘かったと言えばそれまでですが、とにかくスッキリしなかったのです。
 

その答えがハッキリと理解できて、腑に落ちたのが「ホツマツタヱ」との出会いでした。

神様は○○○様だった!ホツマツタヱとの出会いで分かったこと。

写真 2017-10-22 12 04 48

2年くらい前から「ホツマツタヱ」という存在を知り、ホツマツタヱ研究家のいときょう先生の勉強会に参加するようになりました。

21192009_2184068715153068_8457853620896080692_n (2)

その中で、いときょう先生がお話になったある言葉が僕の疑問を晴らしてくれることになったのです。
 

「ホツマでは、神様は実在した人間として書かれています」

「神社というのはご先祖様のタマシヰのタマが宿っているところなのです」
 

ホツマツタヱでは魂をタマシヰとして、「タマ」と「シヰ」に分けて考えます。

「タマ」とは(良心)のこと、「シヰ」とは(欲)のこと。
 

分かりやすく言うと、「タマ」が魂、「シヰ」が肉体という感じでしょうか。

「タマシヰ」で人と考えていたのが縄文人です。

IMG-1806

(※ヲシテ文字で「タマシヰ」です。)
 

この「タマ」と「シヰ」についてもう少し細かく見ていきますね。

良心(タマ)には、①ココロハ(宇宙の大元とつながろうとする心・真心)②タマ(この世を楽しもうとする心)③ミヤビ(記憶、情けの心・哀れむ心)の三種があり、①②③を合わせタマとも呼んでいました。

欲(シヰ)には④シヰ(何かが欲しいという心、食欲)⑤シム(性欲・強い物欲など)の二種があり、④⑤を合わせてシヰと呼んでいました。

この五つ①②③④⑤を五(ヰ)クラといいました。

タマとシヰを結ぶ役をタマノヲが果たしていました。

また人の良心(タマ)は、宇宙の大元(アモト)からやってくると古代の人は考えていました。つまり良心と宇宙はつながっているということですね。大切な考えですね。

引用:やさしいホツマツタヱ/いときょう著(ホツマ出版株式会社)P50~P51より

宇宙の大元(アモト)とは、分かりやすく言えば「あの世」のことですね。

IMG-1807

(※ヲシテ文字で「アモト」です。)
 

タマシヰのタマは肉体が滅ぶと、星となります。

そして、アメノエナ(アメの胞衣)と呼ばれるところに張り付くのです。
 

そこからアモトと呼ばれる宇宙の大元に還ります。

そして、再び、シヰと合わさって、この地球でタマシヰ(人)として生きるのです。
 

今でいう生まれ変わり、輪廻転生を縄文の人たちは理解していたことになりますね。

IMG-1808

(※簡単ですが、縄文人の宇宙観を図で表すとこのようになります。

色は私なりのイメージなので実際にこの色というわけではありません。

タカマノハラの中にアモトがあり、クニタマ(地球)があります。

クニタマ(地球)の周りにはアメノエナがあります。

死んだら、人のタマは星となってここにいったん張り付くのです。)
 

神社とは、僕たちのご先祖様(一般的には神様と呼ばれている)のタマシヰのタマが宿っている場所。

正確に言うと、ご先祖様のタマはアメノエナの中にいて、神社でお呼びするとやってきてくれます。
 

これを聞いたとき、

「ああ、みんな実在した人間だったんだ。だったら徳川家康やお坊さんや漁師の兄弟が祀られていても納得がいくなあ」

と思いました。
 

漢字の「神」を当てるから分かりづらくなりますが、ホツマでは「神」は「守(カミ)」となります。

かつて、大岡越前(おおおかえちぜん)という時代劇がありましたが、彼の正式な名前は、大岡越前守忠相(おおおかえちぜんのかみただすけ)です。
 

すなわち、ホツマで言うカミ(神)とは「守(カミ)」のことであり、指導者(リーダー)的な立場の人のことを指します。

ちなみに天皇は「アマカミ」と呼ばれていました。
 

神社とは、ご先祖様のタマシヰのタマに会いに行く場所、感謝を伝える場所であり、その存在を感じる場所、交流する場所だったのです。 
 

ホツマツタヱに出会った後、古事記にも興味をもつようになりました。
 

古事記の神様たちは、人間離れしたどこか空想的な描かれ方をしています。

「神話ってそういうものなのかも」

くらいに受け止めてはいたものの、どこか馴染めなかったんですね。
 

でも、

「ホツマツタヱで神社に祀られている神様は人間で、僕たちの祖先」

こう理解できたことで、見方も変わりました。
 
 

ホツマツタヱは古事記や日本書紀のもとになったものと言われています。

もちろん、その主張に反対する人もいるでしょう。
 

でも、ホツマツタヱで描かれている人間的な描写からは、ありのままのシンプルな日本の姿を感じることができます。
 

ホツマツタヱはヲシテ文字という古代文字で書かれています。

なので、中国から漢字が輸入され、それを中心に据えようとする人たちによって、脇に追いやられ、隠されたとも言われています。
 

もしかしたらですが、ホツマの内容を、古事記や日本書紀では同じように書けなかったので、敢えて不思議な記述を入れたのかもしれません。

とこれは私の勝手な想像ですけれどね(笑)
 
 

ホツマと古事記や日本書紀が対立する必要はないと思っています。

ホツマの基本精神である「トの教え」は「つくす、やわす」です。

IMG-1809

(※ヲシテ文字で「ト」です。)
 

アマカミ(古代の天皇の呼び名)は「トの教え」で国を治めました。

その「トの教え」の象徴が「勾玉」です。

写真 2017-11-14 10 52 23

勾玉オルゴナイト工房の千葉由紀子さんが、

天皇皇后両陛下に思いを寄せて創った『葵と白樺』です。

写真 2017-11-14 10 52 24 (1)

皇太子殿下と雅子様に思いを寄せて作った『梓と浜茄子』です。
 

ホツマも古事記も日本書紀も、それ以外のさまざまな資料も、これからの未来のための貴重な資料として活かしていければいいですよね。

ひとつに固定するとそこからの視点で凝り固まってしまいます。
 

山には様々な登山口がありますが、頂上はひとつ。

「この登山口が絶対正しい」

なんて言い方はしないですよね?
 

見え方は違うかもしれませんが、幅広い目で深く掘り下げていったときに見えてくるものもあります。

またコントラスト(対比)があるからこそ観えてくる「真実」もあると思いませんか?
 

これは日本の中だけではなく、他の国や世界を捉えるときにも大切なことだと思います。
 
 

また「ホツマツタヱ」では宇宙創造神のアメミヲヤ、そこから生まれる宇宙の五元素であるウツホ(宇宙そのもの)、カセ(風の源)、ホ(火の源)、ミヅ(水の源)、ハニ(土の源)からなる自然神が登場します。

IMG-1124

(※中央上が宇宙の創造神アメミヲヤ、2つの勾玉の周囲にあるのが、向かって右よりウツホ、カセ、ホ、ミヅ、ハニ。)
 

空の神ウツロヰ(ウツホ)
風の神シナトベ(カセ)
火の神カグツチ(ホ)
水の神ミツハノメ(ミヅ)
土の神ハニヤスメ(ハニ)
 

人はこのウツホ、カセ、ホ、ミヅ、ハニの五元素すべてから成り立っていると考えられています。

男性がウツホ、カセ、ホという天(陽)の元素から、女性がミヅ、ハニという地(陰)の元素からなっているそうです。
 

ホツマでは、それぞれの元素しかもたない神様よりも自分たちは高いレベルにあると考えていたようです。

嵐が吹いたりなど、神様が暴れているときは逆に諫めたというお話も聞きました。

思い浮かべると、ちょっとこっけいな感じがしませんか?
 

と同時に、自然に対して畏怖の念をもって祈りを捧げていたというイメージも崩れてきますね(笑)
 

だからといって、「俺たちは神よりエライ!」なんてふんぞり返っていたわけではないと思うんですよね。

きっと神と人が自然な感じで触れ合い、ともに生きていた世界だったのでしょう。

「お蔭様でありがとうございます」と言える存在が神様になる

20264547_2162876487272291_7397994806875623182_n

神社はご先祖様のタマが祀られている場所と聞いてスッキリした僕に、もう一人分かりやすく神社の神様について教えてくれた人がいます。

神伝人(つたえびと)祥平こと山田祥平さんです。
 

昨年は祥平さんの神社ツアーへ何度も参加させていただき、さまざまなことを体感してきました。

祥平さんはとにかく神様や神社のことを分かりやすく伝えてくれます。

現地で神社を感じながら、腑に落ちるように、お話をしてくれるのです。
 

祥平さんから学んだことは本当にたくさんあります。

その中でも、この一言は「日本人にとって神社とは?」という問いを分かりやすく伝えてくれたことのひとつだと思っています。
 

「日本人にとって、お蔭様でありがとうございますと言える存在はみんな神様になるんです」
 

なるほど、だから徳川家康も漁師の兄弟も、

「お蔭様でありがとうございます」

という感謝の氣持ちから神社に祀られているんだと改めて思ったものです。

靖国神社について

写真 2017-08-23 11 59 58 (3)

この「お蔭様でありがとうございます」という観点から靖国神社について書いてみたいと思います。

靖国神社と言えば、明治維新から日本のために命を捧げた人たちが祀られている神社です。
 

「戦犯が祀られている」

という物騒な言い方をする人もいて、とかくマスコミでも話題になりますよね。
 

過去の戦争に対する見解は人それぞれ違いますし、戦争についての解釈を述べるのは簡単に書けることではないので、ここでは割愛させていただきます。

ただ僕は、ここに祀られているのは国のために命を捧げてくれた「英霊」だと思っています。
 

「なぜ靖国神社に彼らを祀っているのか?」

これを理解できるのは、彼らを「英霊」と思うのか、「戦犯」と思うのかで分かれます。
 

彼らが靖国神社に祀られている理由、、、

それは、当時の人たちが、国のために命を捧げてくれた彼らに対する感謝の氣持ちがあったからに他なりません。

当時の人たちにその氣持ちがあったから、彼らは「英霊」と呼ばれ、靖国神社に祀られたのです。
 

「自虐史観」の色眼鏡で見ると理解できないかもしれません。

しかし、その色眼鏡を取って冷静に、公正な目と感覚で捉えることができたら、靖国神社という存在が理解できるでしょう。
 

日本人にとって、神社いう存在がどういうものなのかを深く理解できると思います。

あなたの本当の願いは?

7522ec1939ee22e7acf562defaf1856e_s

「こんなことしてみたい」

「あんなことしてみたい」

生きてるといろいろな願いが浮かんできますよね?
 

その願いを叶えるために努力して、奮闘して。

それってとっても素敵なことです。
 

そんな頑張っているあなたに、神様がそっと後押しをしてくれることもあります。

それがどんな願いにせよ、例え、叶わなかったとしても、それもまた貴重な経験のひとつ。
 

僕たちは自分たちが生まれる前に、この地球でどんな経験がしたいというのを決めてくると言われています。

でも、ほとんどの人はそれを忘れています。
 

でも、人生のどこかのタイミングで、

「自分の人生ってこれでいいのかな?」

という時期がくるんですよね。
 

そこで立ち止まり、思い悩むときって結構きついです。

現状にとどまるか、新たな方向へ進むかの葛藤がありますから。
 

でも、その葛藤もまた未来を変える力。

IMG-0378 (2)

頭や思考という「自我」からの願いではなく、心、魂というより深い「真我」からの願いです。
 

自分の本質的なところに触れているので、人生が根本から変わる可能性だってあります。

エネルギーも使いますよね。
 

僕たちの魂はもともと一つです。

そして、真我というのはその一つである全体とつながっているところ。

だから真我の願いというのは、全体がよりよくなるためのものでもあります。
 

いろいろな考えや価値観の違いで、ときに人は争い、いがみ合ったりします。

「あの人はすごいけど、私は全然ダメだ」

「あの人ばかりがいい思いをして」

などの優劣や嫉妬が起こります。
 
 

あなたのより深いところにある真我の願いは、内なる神様の願い。

その真我の視点で、内なる神様の視点で世界を観るとき、周囲の人を観るとき、全ての人が神様となります。
 

そこにあるのは優劣の区別ではなく、お互いの違いを認め合える関係。

作品No.12

日本は「和」を大切にしますが、みんな同じでなければという暗黙の了解みたいな意識があります。

でも、お互いの違いを認め合えれば、それぞれの人が本当の自分を生きながら、「和」を大切にすることもできます。
 

他人との違い、優劣や区別で生きてきた自我の時代から、お互いの違いを認め合い、それぞれの人が真我という本当の自分で生きる時代へ。

そして、真我で生きるということは、内なる神様として生きることであり、全体がよりよくなるために生きること。
 

そこはすべてがひとつという全体とつながるところだから。

神社はご先祖様の想いを聞くところでもある?

21106693_2183338225226117_2355153666807279210_n

神社は、僕たちが一方的にお願いをする場所ではなく、神さま(ご先祖様)の想いを聞く場所でもあると思っています。

ご先祖様(神様)には肉体がありません。

だから肉体がある私たちがそのご先祖様の想いを受け取り、この肉体を使って行動する必要があります。
 

肉体があるので分離した感覚がありますが、僕たちはすべて深いところで繋がっています。

個々の人が魂の深いところから発する願いは、ご先祖様(神様)の願いともつながっていると思うのです。
 

神社に行くのはそのことを確認したり、氣づいたりする意味もあるのではないでしょうか。
 

僕たちは肉体の中に内なる神様を宿しています。

きっと誰の心の中でも、そのドアをノックする声がしているはずです。

IMG-0373

思考は内なる神様の声を無視したり、反発しようとするかもしれません。

心の中では「やりたい!」と思っても、怖くて仕方ないかもしれません。
 

でも、一歩ずつでもその方向へ向かって歩いて行けばいいのです。

大いなる流れを信じて。

作品3

神社は自分が神様だと思い出す場所。

自分自身は「自分自神」。

IMG-1651

そして、その意識に目覚め、みんな神様だと思えたとき、真我は「神我」となります。
 

そして、神社に参拝することは、そこに祀られている神様の力を借りることでもあります。

神様によって得意なことが色々違いますからね。
 
 

「参道は産道」

b05d9c6b65b561bdcafdffb0355db839_s

神社で自分が内なる神様として思い出せたら、帰るときに通る道は「産道」です。

すなわち神様として思い出した(自覚した)自分として新たに生まれ変わるということです。
 

そして、この肉体を使って、神様(ご先祖様)の願いを、あなた自神の願いを叶えていく。
 

この世は、神様(ご先祖様)と内なる神様をもつ私たち人間が共同創造するところであり、一人ひとりが個性あふれる創造主として創造を樂しみ、輝きを放つところです。

IMG-0744 (2)

そして、森羅万象の全てが神様です。

太陽、月、星、風、火、水、土、そのすべてに神の想いが宿っています。
 

産土(うぶすな)様は土地の神様であり、あなたを一生守ってくれる存在です。
 

個は全体であり、全体は個です。

個を掘り下げれば全体とつながり、魂やエネルギー全体の想いと一致します。
 

そういう意味では神社だけが神様と交流する場ではないのでしょうね。

すべてがエネルギーであるならば、この世とあの世というものに確固とした境目もないのだとも思います。
 
 

「この世は幻想」

「この現象世界は幻想」

とも言われます。
 

幻想と言われながらも、人類はこの地球に何度も生まれ変わっては、さまざまな歴史を、物語を創造してきました。

72d417cca518c2c370f31e9ba2f3b806_s

資本主義、社会主義、共産主義、さまざまな宗教や思想、さまざまな歴史、喜び、悲しみ、憎しみ、怒り、、輪廻転生を繰り返してきた一人ひとりが抱えている自我の記憶(カルマ)、、、

この現実世界はすべて個々の内側の映し鏡。
 

外側から解決しようと奮闘努力してきた長い、長い時代を経て、個々の内側から、その全体性にアクセスして、よりよい方向へ向かう時代へとなっているのではないでしょうか。

14355628_1976248209268454_6290685289493664492_n

(※一心さんこと鈴木邦明さん著「生命の花をこの世で咲かそう」に載っている「ころろ」という詩です。)

みんなで魂磨いて生きましょう!

最後に、、、

26693067_1643841019045365_1405352037_o

古代より日本人にとって、特別な場であった神社もだんだん数が減ってきています。

約8万社だというお話もありますが、それに対して神職の数が約2万人。
 

財源なども含めて、現実的な運営の諸問題なども多々あると聞きます。

古より私たちの祖先が祈りの場として大切にしてきた神社が廃れ、減っていくのは寂しく、悲しいことです。
 

時代とともに、街並みや風景が変わっても、神社は私たちの祖先のタマが祀られている場所であり、長い歴史の中でさまざまな人が手を合わせ、祈りを捧げてきた場所。

自らの内側の世界を見つめ直し、氣づきを得る場所であり、ご先祖さまのタマ(神様)と向かい合い、交流する場所。
 

そして、過去と現在と未来が交錯する時空を超えた特別な空間、それが日本人にとっての神社なのだと思います。

いま自分が感じている「神社」や「神様」について書いてきて、改めてその大切さをかみしめています。
 
 

先日ある神社で御朱印をいただいたときに宮司さんといろいろとお話をする機会がありました。

僕は話の流れの中で、

「ホツマツタヱというものをご存知ですか?」

と聞いてみました。
 

しかし、その宮司さんは全く存じ上げないということだったので、いときょう先生の動画やヲシテ文字表を見せて、ざっと簡単に説明したところ、驚きながらもなにか感じるところがある様子で、

「ぜひ、広めていってください」

と言ってくれました。
 

これからも神社のこと、ホツマのこと、日本のことを、僕なりに学んだこと、感じたことを書いていきます。

身近な神社はもちろん、必要なタイミングでお呼ばれするであろう遠方の神社についても。
 

皆様と神社や神様、日本やホツマのことで交流できることを心よりうれしく思っています。

最後までお読みいただきありがとうございました!
 
 

P.S.この記事では私の今までの神社や神様に関して学び、感じたことを書いてきました。

特にここ2年はホツマツタヱ研究家のいときょう先生と神伝人(つたえびと)祥平こと山田祥平さんからたくさんのことを学ばせて頂きました。

この記事に書いたこともこのお二人から学んだことがたくさん書かれています。
 

また、この記事では書き切れなかったのですが、長野神社ツアーを先導して下さった吉野由美さん、「アワ歌で元気になる」の著者の宮﨑貞行先生、「検証ほつまつたゑ」の編集者でもある虎さんこと原田武虎さんからも貴重な体験と知識を与えて頂いております。
 

そして、いつも素敵なご縁をつないでくれる「勾玉オルゴナイト工房」の千葉由紀子さん、

「生命の花をこの世で咲かそう」の著者でもある一心さんこと鈴木邦明さん、

ともに学び、体感するすべての方たちへ心より感謝を込めて。 
 

◎ホツマツタヱに関しては、いときょう先生のホツマ出版株式会社からさまざまなテキストや資料が購入できますし、講座情報なども載っていますので、ご興味ある方はぜひご覧になってください。

ホツマ出版株式会社
 

◎神伝人(つたえびと)祥平こと山田祥平さんは、かつて人力車で日本一周をしたとことがあるというとても面白い人です。

神社ツアーや風の言霊塾など神社や神様に関して幅広く活動されています。

体感しながら学んだ知識は、すーっと心と身体に染みわたるかのようです。

ご興味ある方はぜひ祥平さんのサイトをご覧になってください。

神伝人tsutaebito-神力車祥平-
 

◎記事でもご紹介した天皇皇后両陛下と皇太子殿下、雅子様への思いを勾玉に込めて創った千葉由紀子さんのサイトはこちらです。

勾玉オルゴナイト工房

また勾玉オルゴナイトについてご紹介した記事もありますのでご興味ある方はぜひお読みくださいね。

勾玉は真我魂~勾玉オルゴナイトに秘められた力とは?
 

◎原田武虎さんが編集する「検証ホツマツタヱ」はこちらからご購入できます。

検証ホツマツタヱ
 

◎宮﨑貞行先生著「アワ歌で元氣になる」はこちらから。


 

◎一心さんこと鈴木邦明さん著「生命の花をこの世で咲かそう」はこちらから。

記事でもご紹介した「ころろ」という詩も載っていますよ。


 

P.S.私がこれまでに書いた神社に関する記事のリンクはこちらです。

◎神伝人(つたえびと)祥平こと山田祥平さんに関する記事はこちら。

神社参拝~その深い意味を体感した日

『これだから人生はやめられない、、、』

『靖国神社~その御霊の本質に触れる』

神伝人(つたえびと)祥平と参る『高尾山薬王院~多摩御陵参拝ツアー』~その壱

神伝人(つたえびと)祥平と参る『高尾山薬王院~多摩御陵参拝ツアー』~その壱
 

◎吉野由美さん(長野ツアー)に関する記事はこちら。

諏訪大社に初参拝~その奥深さに触れて

児玉石神事~玉依比賣命 (たまよりひめのみこと)神社に初参列

『最古のピラミッド?』その山頂にある皆神神社に初参拝

幕末の天才学者をお祀りする「象山神社」を参拝 

平成31年1月 長野ツアー~其之弐(玉依比賣命神社 児玉石神事編)