「う~ん、やはり繰り返し来てみないとわからないものだなぁ、、、」と思った三度目となる参拝

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【(前回記事)訪れる旅に深みを増す伊勢の旅ー2(伊勢神宮外宮編)の続きです。】

伊勢神宮を参拝するなら、ぜひ寄りたい神社と言えば?
 

そう、猿田彦神社ですね。

「道開きの神様」と呼ばれる、猿田彦大神をお祀りする神社です。
 

なぜ、道開きの神様なのか?というと、

「神話の天孫降臨の際に邇邇芸命(ニニギノミコト)を高千穂に案内したから」です。
 

「道開き」ということで、何か新しいことを始めるときに参拝するといい、と言われていますよね。

なので、伊勢神宮を参拝する前に、

こちらの猿田彦神社を参拝するという方もいるようです。
 

ちなみに、僕は外宮→猿田彦神社→内宮の順で回ります。

理由は単純で、外宮からバスで猿田彦神社へ行き、

そこから内宮まで歩くのが行きやすいので(笑)
 

人それぞれ、自分に合った(ピンときた)ルートで参拝すればいいのかな、と。

大切なのは、どんな気持ちで神社へ行き、

神様と向き合うか(参拝するか)だと思うからです。
 

といっても、あまり畏まらずに、自然体で接するのが一番。
 

で、こちらの猿田彦神社、伊勢神宮創建に深く関わりがあるので、

伊勢神宮に参拝するなら、ぜひ一緒に参拝してほしい神社かなと。
 

「道開きの神様に参拝したい」

でも、もちろんいいですけどね(笑)

参拝する理由は、人それぞれですから。
 

僕個人のお話をすると、猿田彦大神は最も馴染み深くて、

「幼少の頃からお世話になっております」

という神様なんですね。
 

実家の近くの神社にお祀りされていて(いわゆる氏神様ですね)、

その神社でよく遊ばせてもらっていたという。
 

要は、遊び場だったというわけです(笑)

しかも、お名前も存じ上げず、失礼しましたという感じなのですが(笑)
 

大人になって、神社に興味を持つようになると、

まず確認するようになったのが、

お祀りになられている神様の御名前です(いわゆる御祭神ですね)。
 

調子に乗って(?)古事記、日本書紀を読もうと思いましたが、挫折しました(笑)

神様の御名前は長い長い漢字の羅列、内容は荒唐無稽。

全然アタマに入ってこなかったんですね(笑)
 

でも、ホツマツタヱに出会ってからは、

逆に古事記、日本書紀にはどのように書かれているんだろう?

なんて読むようになったり。
 

まぁ古事記、日本書紀で挫折してから10年くらい経って、

チョットばかし認識力(理解力)が増したのもあったと思います。
 

ホツマツタヱって、古事記、日本書紀には書かれていないことや、

違う角度から書かれているので、とても興味深い文献なんですよね。
 

どれが正解というより、いろいろな角度から見ると面白いなあと。
 

せっかく、猿田彦神社の記事を書くので、

ホツマツタヱに書かれていることにも触れていきたいと思います。
 

そうそう、三度目にして、この神社の境内の「ある場所」の素晴らしさを実感したんですよね。

う~ん、やはり繰り返し来てみないとわからないものだなぁ、、、(笑)

外宮から猿田彦神社へ

外宮を参拝し、伊勢せきやで「御饌(みけ)の朝かゆ」を頂いた後は、

バスで猿田彦神社へ向かいました。
 

猿田彦神社の御祭神は猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)と子孫である大田命(おおたのみこと)です。
 

猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)と言えば、鼻が高く、顔が赤いという天狗のようなイメージがありませんか?

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(※こちらは鞍馬の天狗の像で、猿田彦大神とは関係ありません)

古事記では「上は高天原(たかまのはら)を光(てら)し、下は葦原中国(あしはらのなかつくに)を光す神」

日本書紀では「鼻の長さは七咫(ななあた)、背(そびら)の長さは七尺(ななさか)、目が八咫鏡(やたのかがみ)のように、

また赤酸醤(あかかがち)のように照り輝いている」と描かれています。

どうやら天狗のようなイメージは日本書紀からきているみたいですね。
 

では、ホツマツタヱではどうなっているのでしょう?
 

「身の丈十七咫、面はホオヅキ、鼻の高さ七寸、目は鏡のようだった」と描かれています。

全く同じではないですが、日本書紀に近い感じですね。
 

咫(「あた」又は「た」)と言うのは聞き慣れない単位ですが、

一説には「親指と中指を広げた長さ」とも言われています。 
 

実際の風貌はどうだったのかは分かりませんが、

かなりエネルギッシュでバイタリィティーがある神様だったのではないでしょうか。
 

発するエネルギー(オーラ)がとても強かったので、

人間離れした天狗みたいなイメージで語られるのかもしれません。
 

全国さまざまな神社で祀られている猿田彦大神ですが、伊勢神宮とも関わりが深い神様です。

ホツマツタヱにアマテルカミ(天照大御神)とのエピソードが描かれています。
 

その前に、冒頭でもチョット触れましたが、

瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の天孫降臨のお話をもう少しだけ。
 

天孫降臨は、天照大御神の孫、つまり神の子孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が、

葦原の中つ国(あしはらのなかつくに)を治めるために、

高天原から日向国の高千穂へ天降ったというお話ですね。
 

その際に、道案内をしたのが猿田彦大神でした。

そこから、「道開きの神様」と呼ばれるようになったのでしたね。
 

有名なお話なのですが、チョット違う視点から見てみましょう。

実は「ホツマツタヱ」では、この天孫降臨が新田開発のお話となっています。
 

「新田開発?」

と思った人もいるかもしれません。
 

僕も初めて聞いたときは驚きました(笑)
 

神話にロマンを感じる方には、ちょっと夢のないお話になってしまうかもしれませんが、

別の角度から見ることで視野も広がります。
 

「ホツマツタヱ」に載っているお話を簡単にご紹介しますね。

民が増えても、それを補うだけの田が不足していることを心配したニニキネ(瓊瓊杵尊)は、灌漑という方法を思いつきます。

これを全国に広めるためたいと、アマテルカミ(天照大御神)に申し出るのです。

そして、アマテルカミの許可が出て、新田開発の全国巡行が始まります。

その案内をしたのがサルタヒコ(猿田彦大神)です。

古事記や日本書紀の神話の世界とは全然違いますよね~。

神様を実在した人間(ご先祖様)として記しているのが「ホツマツタヱ」です。
 

ニニキネ(瓊瓊杵尊)は、この灌漑農法を全国に広めたことで、

「ホツマツタヱ」ではかなり評価された天皇(アマカミ)として記されています。
 

日本の食といえば、古来より農作物が中心でしたが、ニニキネ(瓊瓊杵尊)はその礎を築いた人だったというわけです。

「古事記」「日本書紀」で天孫降臨という神話の立役者として描かれるのも頷けるかなと思いますね。
 

もちろん、これも、いくつもある見方のうちのひとつです。

多角的な見方をすることによって、視野が広がりますからね。

それが大切だと僕は思っています。
 

前回の外宮の記事で、

アマテルカミ(天照大御神)が死期を悟ったときのお話を書きましたが、覚えていますか?
 

アマテルカミ(天照大神)は死を悟ったときに、

サルタヒコ(猿田彦大神)に祠(ほこら)を掘ることを命じました。
 

その場所がマナイ山(京都の比沼奈為神社の裏山)で、

ここにはトヨケカミ(豊受大神)も祀られています。

比沼奈為神社と言えば、元伊勢としても知られている場所ですね。
 

また、「倭姫命世紀」という伊勢神道の神道五部書という根本経典の中の書物には、

”猿田彦神社に一緒に祀られている大田命(おおたのみこと)という方(猿田彦大神の子孫)が、内宮創建の際に土地を献上した”

というお話があります。
 

このお話には倭姫命(やまとひめのみこと)という方が深く関わっていて、

いろいろ興味深いお話もありますので、

この後の倭姫宮を参拝した記事で詳しく書いていきますね。

意外にも(?)居心地がよかった猿田彦神社の御神田

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一礼して境内へ入り、手水舎で、手を合わせて拝殿で参拝します。

今回、この伊勢の地を訪れることができたことへの感謝をお伝えしました。

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実は、今回初めて知ったのですが、猿田彦神社の本殿の裏には御神田があります。

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過去に2度訪れたことがありますが、知らなかったんですね。
 

「えっ!?今さらですか?」

と思った方もいるかもしれません(笑)
 

というか、僕自身、御神田そのものをじっくりと見た記憶があまりなかったのです。

でも今回、御神田というものをじっくりと見て、感じられたことで新たな氣づきを得ました。
 

とにかく、ここの御神田の御神気が本当に心地よかったのです。

この神社に関しては、ここに一番長くいたくらいでした。

えらい氣に入りようですよね(笑)

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ちなみに、御神田とは祭事や造営などの費用に当てるために神社に属している田のことを言いますが、

「神田(しんでん)=神殿(しんでん)」

神田にも神様が宿っているというという見方もできるのかもしれませんね(同音異義語には深い意味があるそうです)。
 

普段、東京で食べるものは買うという生活をしていると、

食糧、糧(かて)を作るという意識はほとんど持たなくなります(その意識ではいけないとは思いつつ、、、)。
 

でも、伊勢へ来て外宮を回り、御饌(みけ)を食し、

ここ猿田彦神社で神田をじっくりと見ていると、

田という日本人の食の源、命の源に触れているという実感が強く湧いてきます。
 

「何をいまさら」

という感じも我ながらしますけれどね。
 

「神道の根本にあるのは森羅万象に神が宿るというもの」

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今回の伊勢の旅では、このフレーズがよく思い浮かびます。
 

僕たちは神話や歴史から過去のことを学びますよね。

日本や日本人のこと、世界のこと、いろいろです。

でも、その多くは書物など誰かが書いたものからの情報がもとになっています。
 

書物とは誰かの記憶に映し出された物語を記したもの。

物事(神話・歴史)をある側面、ある角度からみた一つの視点に過ぎません。
 

どれかが正しいと言えば、どれかが間違いというレッテルを貼られる世界。

真理は一つだとしても、見る角度によって違うというトリックに気づかぬまま争う世界。
 

神も人も、この地球さえも全てエネルギーだと捉えたときに、

記憶が映し出す物語、それが作り出す細かい理屈はごく些細なものに過ぎないのではないかと思ってしまいます。
 

真理と呼ばれるものは、本当はもっとシンプルなんですよね、きっと。

ただ物語にした方が共有しやすいという面はあるのでしょう。
 

そんなことを思いつつ、裏から拝殿の方へ戻り、境内にあるもう一つの御社へ向かいます。

天宇受売命(あめのうずめのみこと)が祀られている佐瑠女(さるめ)神社を参拝

境内にあるもう一つの御社が佐瑠女(さるめ)神社です。

御祭神は、天宇受売命(あめのうずめのみこと)

猿田彦大神の奥さんですね。
 

神話(古事記、日本書紀)の天岩戸開きのお話では、

裸踊りをしたということがクローズアップされていますが、

「ホツマツタヱ」では、神楽を舞ったという記述はあるものの、裸踊りをしたということは出てきません。
 

また「古事記」には、猿田彦大神と天宇受売命の間に、このようなお話もあります。

猿田彦が伊勢の阿邪訶(あざか)で漁をしていた時、

比良夫貝(ひらふがい)に手を挟まれ、溺れて海に沈んでしまうのです。
 

溺れる際に三柱の神が生まれ、その後、

猿田彦を天宇受売命が送ったと書いてあるのですが、溺れた後の経緯がよく分かりません。

その経緯が曖昧だからなのか、猿田彦は溺れて死んだと捉える人もいるみたいです。
 

しかし、「ホツマツタヱ」には、

ニニキネ(瓊瓊杵尊)がウスメ(天宇受売命)にサルタヒコ(猿田彦大神)を

引き上げさせて藁(わら)の上で治したと記されています。

これだと、ニニキネの命令でウスメがサルタヒコを助けたということがハッキリと分かりますよね。
 

ただ、古事記は古事記で伝えたいニュアンスがあるのだと思います。

どちらが正しいということで書物同士を争わせず、見方を増やしていきたいですね。

意外と知られていない白鬚神社と猿田彦大神の関係!?

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そうそう、猿田彦大神は全国の白鬚神社にも祀られていますよね?
 

ホツマにはこのようなお話もあるのでご紹介しますね。

滋賀県高島市に鵜川(ウカワ)という地名があります。

有名な琵琶湖があるところです。
 

ニニキネ(瓊瓊杵尊)が新田開発のために全国巡幸したとき、

サルタヒコはここに仮屋を造り、ニニキネ一行を招き、もてなしました。
 

後に、この地はウカワ宮となり、

ニニキネとアシツヒメ(コノハナサクヤヒメ)の子、サクラギが入ることになります。
 

サクラギ(スセリノミコト)は、シラヒゲの薬草のおかげで皮膚病が癒えたことから、

それを全国に広めます。
 

そして、すぐに治療できるように各地に診療所(白鬚神社)を作りました。

全国に約300社ある白鬚神社の総本宮が、滋賀県高島士鵜川(ウカワ)にある白鬚神社です。

御祭神に猿田彦命、別社名 白鬚明神・比良明神
 

猿田彦大神が白鬚神社に祀られているのは、ニニキネの新田開発全国巡幸の時に、

仮屋(後のウカワ宮→白鬚神社)を提供したということがあったからなのかもしれませんね。
 

また、サルタヒコ(猿田彦大神)は、

アマテルカミ(天照大御神)から預かった三つの神宝をヤマトヒメ(倭姫)に授けたとも記されています。
 

周囲を圧倒するような風貌で描かれているサルタヒコですが、

アマカミ(天皇)への忠義心に篤く、

またアマカミ(天皇)からも信頼されていた様子が「ホツマツタヱ」からは伺えます。
 

とは言え、書物で描かれているのは、ほんの一部でしかありません。
 

想像する、感じるということしかできませんが、

書物に描かれていない実際のサルタヒコはどんな感じだったのだろう。
 

そんなことを思いつつ、猿田彦神社を後にして、内宮へと向かいました。

訪れる度に深みを増す伊勢の旅ー4(伊勢神宮内宮編)