意外な発見があった須原大社

(前記事)訪れる度に深みを増す伊勢の旅ー5(月読宮・月夜見宮編)
 

ここまで、世木神社、外宮、猿田彦神社、内宮、月夜見宮、月読宮と記事を書いてきました。

月夜見宮と月読宮はツキヨミが祀られていることもあり、同じ記事に書きましたが、実際に参拝した順番は月夜見宮の後に須原大社、倭姫宮を参拝した後に、月読宮です。
 

この記事では、須原大社について書いていきます。
 

須原大社は当初予定にはなかった神社です。

通りがかりにたまたま(?)見かけ、氣になったので参拝することになったのですが意外な発見がありましたね。
 

やはり伊勢です。

ここ須原大社も、出発前に参拝した世木神社のように、神宮に関わりが深いと思いました。
 

こういう予定外のことが起こるのも旅の醍醐味ですよね。

予定はあくまで予定、道は未知だから面白いのです。
 

さて、さて、須原大社はどんな神社だったのでしょうか。
 

月夜見宮を参拝した後、倭姫宮へと向かおうと歩き出しましたが、途中に神社があるのが目に止まりました。

「あれ?こんなところに、、、」

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「須原大社?どなたが祀られているのだろう?」

おっ、由緒書き発見!

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「すはらたいしゃ」じゃなくて「すはらおおやしろ」と読むんですね。

御祭神を見てみると、

正哉吾勝勝速日天之忍穂耳尊(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)ら八王子 ほか 木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと) 大山祇神(おおやまづみのかみ) 菅原道真公 等 合祀

何だか最初に、やたらと長~いお名前があります(笑)
 

正哉吾勝勝速日天之忍穂耳尊(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)ら八王子?」

と書いてあるのを見て、

「どこかで見たことあるような名前だなあ。八王子ってなんだろう?」

何となく氣になったので境内へ入ることにしました。
 

一礼して鳥居を潜り、御神域へ。

辺りをざっと見渡してみます。
 

境内は私以外に誰もいません。

ひっそりと誰かが来るのを待っているかのようです。
 

まず手水舎で手と口をすすぎ、拝殿へ向かうと、

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中央に須原大社と書かれた額があり、その奥に「御神名を記した額」がありました。

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ずらーっと漢字で書かれた神様方のお名前が並んでいます。
 

「えっと、、、」

失礼ながら、じっくり見ないとお名前を読むことができなかったです(笑)
 

天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)

天之穂日尊(あめのほひのみこと)

天津日子根尊(あまつひこねのみこと)

活津日子根尊(いくつひこねのみこと)

熊野久須日尊(くまのくすびのみこと)

多岐理比賣命(たぎりひめのみこと)

市木島比賣命(いちきしまひめのみこと)

多紀津比賣命(たぎつひめのみこと)
 

由緒書きのところに、「八王子」と書いてあったので、てっきり全部男神かと思っていましたが、お姫様もいらっしゃるんですね。
 

この御神名が書かれた額では「天之忍穂耳尊」と略されていますが、由緒書きに、

「正哉吾勝勝速日天之忍穂耳尊(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)」

という長~い名を見た後、浮かんだのは天照大御神と須佐之男命が何かのやり取りをしたという「古事記」に載っている場面でした。
 

知的好奇心旺盛な私ですが、うろ覚えの知識が以外と多いのです(笑)
 

神社へ足を運んで聞いたお話や、自分で調べることによって、うろ覚えがしっかりとした知識に定着します。

特に記事は、自分の中でしっかりとまとまっていないと書けないですからね。
 

やはり、誰かに伝えること(アウトプット)は大切です。

知ったまま、体験したままの状態は、自分の中に感覚としてはありますが、あやふやでハッキリと定まっていない状態。
 

例えば、神話の冒頭では天地創造の様子が語られることが多いですが、それ以前は混沌としていますよね。

そんな状態のようなものといえばイメージしやすいでしょうか。
 

自分が知ったこと、体感したことは、誰かに話したり、書いたりすることで初めて「自分にとっての事実」となります。

言葉として誰かに伝えることで、知ったこと、体験したことが、しっかりと「概念」として定まってくるからです。
 

もちろん、必ずしも言葉にする必要はありません。

絵として描いたり、何か創作物として形にしたり、人それぞれに表現方法がありますからね。
 

自分が感じた感情、想い、エネルギーを言葉や絵、形に宿す。

命を宿すと表現してもいいのかもしれません。
 

どんな方法にせよ、自分が経験したことを表現するのは素敵なことですよね。

表現と言うと、上手い、下手、得意、苦手という基準を考えてしまう人もいるかもしれません。
 

でも、大げさに考えなくても全然大丈夫です。

「生きる」ということ自体、何かしらを表現することでもありますから。

天照大御神と須佐之男命が誓約(うけい)をした際に生まれた五男三女の神々

後で氣づいたのですが、こちらにお祀りされているのは天照大御神と須佐之男命が誓約(うけい)をした際に出現した神様方のようです。

「天照大神と素戔嗚尊の誓約(うけい)?」

「古事記」や「日本書紀」を知らない人には何のことやらだと思います。
 

私もうろ覚えだったので偉そうなことは言えません(笑)
 

簡単にご説明しますね。

2つの書物で若干の違いはありますが、「古事記」では、こんな感じのお話となっています。

父イザナギに海原の支配を命じられたスサノオは、泣き叫び、母イザナミがいる根の国(黄泉の国)へ行きたいと言いますが、それを聞いた父イザナギに怒られ、追放されてしまいます。

スサノオはアマテラスに会ってから根の国へ行こうと高天原へ向かいますが、アマテラスはスサノオが高天原を奪いに来たと思って武装して待ち構えるのです。

スサノオと言えば、ヤンチャで暴れん坊ですからね。

でも、そんなつもりはないスサノオは、アマテラスの誤解を解くために「誓約(うけい)をしよう」と提案します。

「誓約(うけい)」とは、古代の日本で行われた占いのことです。

うけい(うけひ)は、古代日本で行われた占いである。宇気比誓約などと書く。ある事柄(例えば「スサノオに邪心があるかどうか」)について、『そうならばこうなる、そうでないならば、こうなる』とあらかじめ宣言を行い、そのどちらが起こるかによって、吉凶、正邪、成否などを判断する。

日本神話では、重要な場面で誓約が行われている。

引用:Wikipedia

この場面では、スサノオに「高天原を奪うという邪心がないこと」をアマテラスに示すために行われたわけですね。

お互いが身につけているものを交換して、噛み砕き、噴き出した息の霧から生まれた神の性別によって判断をしました。

・アマテラスは、スサノオが持っている十拳剣(とつかのつるぎ)から、

多岐理比賣命(たぎりひめのみこと)

市木島比賣命(いちきしまひめのみこと)

多紀津比賣命(たぎつひめのみこと)

の三女神を、

・スサノオは、アマテラスが持っている八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠(やさかにのまがたまのいほつのみすまるのたま)から、

天忍穂耳尊(あめのしほみみのみこと)

天之穂日尊(あめのほひのみこと)

天津日子根尊(あまつひこねのみこと)

活津日子根尊(いくつひこねのみこと)

熊野久須日尊(くまのくすびのみこと)

の五男神を、

それぞれ生み出しました。

吹き出した息の霧から神を生み出すのは、いかにも神話っぽい表現ですよね。
 

でも、よくよく考えてみると、呼吸は生命の要です。

生まれるときは「オギャー」と息を吐いて、死ぬときは息を引き取ります(息を吸う)。
 

「息(いき)る」=「生きる」

「息る」なんて言葉はありませんが、どこか通ずるような氣がするのは私だけでしょうか。
 

ホツマツタヱで描かれる宇宙創成(ビッグバン)も、宇宙の創造神アメミヲヤが「ウー」と吐いた息から、左巻きの天「ア」の渦と右巻きの地「ワ」の渦が生まれ、世界や生命が創られたと言われています。

ちなみに最初の「ウー」は「産まれる」の「ウ」なのだそうです。
 

呼吸は意識と無意識を繋ぐもので、ヨガや武道、神道でも大切にされています。

神話的描写は、比喩や隠喩を含んでいることも多々あるので、それを自分なりに想像してみると面白いかもしれませんね。
 
 

話を誓約(うけい)に戻します。

「で、ここから何がどうなったの?」

と思いますよね?

アマテラスは、「五柱の男神は自分の物(八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠)から生まれたから私の子です。三柱の女神はそなた(スサノオ)の物(十拳剣)から生まれたからそなたの子だ」と宣言します。

スサノオは、「自分の心が潔白だから、私からは優しい女神が生まれた。私の勝ちだ」と言い、アマテラスの田を荒らし、糞をまき散らし、忌服屋(いみはたや)に馬を投げ入れて、服織女(はとりめ)を死なせてしまいます。

この後、スサノオの暴挙に恐れをなしたアマテラスが岩戸に隠れてしまうのです。

う~ん、、、何だかよく分からない展開ではありませんか?
 

スサノオが最初に生んだのが、正哉吾勝勝速日天之忍穂耳尊(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)という男神です。

この名前には「勝」が二つもありますが、古事記では最初の2つ目の文字「哉(驚嘆を表す助詞)」は「勝」の文字となっています。
 

ということは「勝」が3つもあることになりますよね。

しかも「吾勝(吾が勝った)」と解釈することも可能です。
 

男が生まれたからスサノオの勝利という方がしっくりくる感じはします。

そもそも「古事記」のやり取りからは、どうなれば勝ちなのかハッキリしません。

日本書紀では、「私が生んだ子が男なら、清らかな心と思ってください」とスサノオが言っています(女性がこれを読んだら面白くないでしょうが)。

でも、その後に、アマテラスが「五柱の男神は自分の物(八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠)から生まれたから私の子です。三柱の女神はそなた(スサノオ)の物(十拳剣)から生まれたからそなたの子だ」と勝手なことを言い始めます。

この流れだと、スサノオが怒るのも分かる氣がしますよね。

「やっぱりスサノオは悪い奴だ」という決めつけをしているように感じますから。
 

古事記の編纂を勅命したのは天武天皇ですが、死後それを受け継いだのが持統天皇、元明天皇という二人の女性天皇です。

もしかしたらですが、古事記でスサノオが自分の持ち物から三女神が生まれたので勝利だと言っているのは、この二人への配慮だったのかもしれませんね。

誓約で生まれた神々たちは天照大御神の実の子どもだった?

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ところで、先ほどのアマテラスとスサノオのお話は、ホツマツタヱではどうなっているのでしょう?
 

まず、先ほどの誓約(うけい)で生まれたということになっている五男三女の神様はアマテルカミ(天照大神)と13人いる后の間に生まれた子どもとなっています。
 

13人と言っても全ての妃の間に子どもがいたわけではありませんが、下記のようになっています。

天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)→オシホミミ(ホノコ)

天之穂日尊(あめのほひのみこと)→ホヒノミコト(モチコ)

天津日子根尊(あまつひこねのみこと)→アマツヒコネ(アキコ)

活津日子根尊(いくつひこねのみこと)→イキツヒコネ(ミチコ)

熊野久須日尊(くまのくすびのみこと)→クマノクスヒ(アヤコ)

多岐理比賣命(たぎりひめのみこと)→タケコ(ハヤコ)

市木島比賣命(いちきしまひめのみこと)→タナコ(ハヤコ)

多紀津比賣命(たぎつひめのみこと)→タキコ(ハヤコ)

※()はお后の名前です。

アマテルカミ(天照大神)は第8代目アマカミで、その後を継いだのはホノコとの間に生まれたヲシホミミです。

ホノコは正室で、またの名をムカツヒメ、セオリツヒメとも呼ばれます。
 

隠された神様としても有名ですよね。

なぜ隠されたのかは、アマテルカミ(天照大神)が男性だったからというのが一番納得できる理由だと思います。
 

ただ、それもあくまで一つの見方です。

先に進みますね。

すれ違う兄弟の思い、広がる悪意ある波紋

ソサノヲは、父イサナキにネの国(新潟県、富山県、石川県、福井県、京都府の日本海側一帯)へ行くように言われます。
 

このネの国は父イサナキの出身地なのですが、弟のクラキネの悪政により国が乱れていました。

その影響は隣国チタルとサホコにも及び、見かねたアマテルカミがトヨケカミに応援をお願いしたほどです。
 

ソサノヲは叔父が統治していた乱れた国へ赴任させられたというわけですね。

それでもソサノヲは頑張ったのでしょう。
 

国の体制が整うと、祖父トヨケカミが眠るアサヒ宮に詣でます。

そこで出会った宇佐のアカツチの娘ハヤスフヒメに恋をしてしまうのです。
 

アカツチからは嫁にもらう了承を得るのですが、兄アマテルカミからは許可をもらえませんでした。

これが原因で、ソサノヲはアマテルカミに恨みを持つようになります。
 

ここに先ほどのクラキネ(イサナキの弟)の娘で、アマテルカミの后でもあるモチコ、ハヤコ姉妹が絡んできます。

この二人の姉妹はアマテルカミを殺し、ソサノヲをアマカミの位に就けることを画策するのです。
 

しかし、その計画を同じくアマテルカミの后の一人であるハナコ(セオリツヒメの妹)に知られてしまうのです。
 

ソサノヲは告げ口したハナコを恨みます。

斎服殿(いんはとの※神衣を織る機殿)の屋根を壊して馬を投げ入れると、機織りをしていたハナコは驚き、運悪く機織りの器具が体に突き刺さり死んでしまうのです。
 

アマテルカミはスサノヲの暴挙に怒り、歌で諭そうとしますが、ソサノヲは磐を蹴散らしなお怒ります。

恐れを感じたアマテルカミは岩戸に身を隠してしまうのです。
 

ソサノヲは捉えられ、死刑となりますが、正后セオリツヒメの助命によりネの国へ追放されます。

えっ?誓約の相手は天照大御神のお姉さんだったの?

ネの国へ行く前に行った先が姉であるワカ姫のところです。

実は、ホツマツタヱでは、古事記、日本書紀で描かれるアマテラスとスサノオの誓約(うけい)が、姉のワカ姫とソサノオのやり取りとなっています。
 

国を奪いに来ると思った姉ワカヒメの疑いを晴らすために、ソサノヲはこう言います。

「ネの国へ行き、生まれた子が女なら私の心は汚れ、男なら清い心であると思ってください」

誓約(うけい)というより、誓いを立てた感じでしょうか。
 

この話の流れで、誓約(うけい)の場面で出てきた「みすまるの玉」と「十束の剣」が出てきます。

アマテルカミの后の一人、モチコがタマキネ(ホヒノミコト)を産んだときは、みすまるの玉をそそぎ、ハヤコが三姫(タケコ・タキコ・タナコ)が産まれたときは、夜の夢の中で十束の剣が3つに折れ、それを噛むと「三タ」となったので、三姫の名前の最初に「タ」の文字を付けました。もし私の心が汚れていたら、三姫を引き取り、共に恥を見て暮らします。

ソサノヲはこう誓い、去って行きました。
 

成長した三姫は、オキツシマ(竹生島)、サカムエノシマ(相模江の島)、イツクシマ(厳島)をさすらい祈り巡って、スサノヲの過ちを晴らした後、宮に帰ってきたと記されています。
 

話は少し前後しますが、モチコ、ハヤコ姉妹は行いを咎められ、宇佐へ謹慎させられてしまいます。

ハヤコが産んだ三姫もしっかりと養育するように言われていましたが、捨て置かれた怒りから拒否をしていました。
 

それを知ったムカツ姫(セオリツヒメ)は、養育すると申し出たトヨ姫に三姫を預け、モチコ、ハヤコを追放してしまうのです。
 

この二人がさすらううちに募った怒り、憎しみ、憤りに各地からハタレ(無法者)が集まり出します。

この集団のことをオロチと言い、ホツマツタヱでは、八岐大蛇ではなく悪党の集団ということになっています。
 

ソサノヲは、ハヤコとオロチを切り、イナダヒメを守ります。

そして、イナダヒメと結婚し、男の子をもうけるのです。
 

この後、ソサノヲは姉のワカ姫に男の子が生まれ、自分の心が清らかなことを告げますが、ワカ姫に「まだそなたの心は清らかではない」と言われてしまいます。

怒り、憎しみ、憤りが集まり、大きく膨れ上がったオロチの原因はソサノヲの穢れた心が元になっているからです。
 

スサノヲは恥ずかしく思い、ネの国へ帰り、ひっそりと隠れ住んでいました。

その後、ツキヨミの息子のイフキヌシが反乱を鎮めるためにネの国を通るのですが、これが、ツキヨミの記事で書いたところの話と繋がります。
 

ソサノヲは暴れん坊と言われていますが、感受性豊かで、表裏がない性格だったのでしょう。

あふれるような想いを上手に表現することができす、周囲との溝が広がり、罪人として流される身分になってしまいました。
 

しかし、持ち前のバイタリィティーを発揮し、出雲の地の発展の先駆けとなったのが凄いところです。

現代的な感覚で言うと、若い頃は不良でヤンチャだったけれど、大人になったら一旗揚げるような人物になったというところでしょうか。
 

アマテラスとソサノオの誓約(うけい)のお話は神話的描写でよく分からないところがあります。
 

でも、それは「ホツマツタヱ」で描かれているようなことをオブラートに包み隠すためだったのかもしれません。

本来なら今でいう皇室や一部の人しか読めない書物を一般公開するに当たって、わざと分かりにくくしたというのは考えすぎでしょうか。
 

古事記、日本書紀では、アマテラス、スサノオというのは目立つ存在ですが、2人が誓約(うけい)をして生まれた(ホツマではアマテルカミの子ども)神様方についてはあまり取り上げられません。

三姫は宗像三女神として、総本宮の宗像大社を初め、三大弁財天と言われる竹生島神社、厳島神社、江ノ島神社など全国各地の神社で祀られていますが、他の男神についてはあまり触れられることがないのではないでしょうか。
 

特にこの須原大社みたいに五男三女の神々が揃っている神社は珍しいのではないかと思います。

ひっそりとした境内に、じっと身を置いていると、さまざまな想いが入り混じっているような感覚を覚えます。
 

「こちらにいらっしゃる神様方も、古の時代、この日本で、さまざまな生き方で生を全うしたんだなあ」

当たり前のようですが、そんなことを思い、シンプルですが、ただ「ありがとうございます」という言葉が自然と出てきました。
 

書物で取り上げられているのは、ごく一部で断片的なことしか分かりませんし、かなり制限された見方しかできないんですよね。

だから人は想像力を働かせて、さまざまな「仮説」を作り上げますが、自分の主張が絶対だと言い始めると、結局争いになってしまいます。
 

神社にいらっしゃる神様もそんなことは望んでいないだろうなあと思いながら、次の目的地である倭姫宮へと向かいました。

訪れる度に深みを増す伊勢の旅ー7(倭姫宮編)