伊勢神宮の創建に貢献した倭姫命(やまとひめのみこ)

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「当り前のように在るものに対して、あまり深く考えなくなる」

人にはそんな習性や傾向があるようです。
 
 

日本人にとって、当り前の存在の一つに「神社」があります。

興味がない、参拝しない人も「神社」を見たことがない人は、まずいないですよね。
 

でも、この「神社」も時代と共に存在意義が薄れつつあります。
 

”神社の数は約8万社あるのに対して、神主さんは約2万人しかいない”

”管理が行き届かずに、さびれた御社がある”
 

現実的な神社の「運営」にはさまざまな厳しい面があるようです。
 
 

さまざまな理由があるとは思いますが、根本的には日本人の神社や神様に対する意識が薄れていることが原因となっているのではないでしょうか。
 
 

「そもそも、なぜ神社に神様を祀るのか?」
 

素朴な質問ですが、意外と答えられない人もいるのではないでしょうか。
 
 

「八百万の神々」と呼ばれるように、森羅万象のあらゆるものに神が宿るというのが日本人の古来からある感覚です。

自然は恵みを与えてくれますが、ときに災害などの脅威をふるう場合もあります。
 

古代の人々は、その自然に「神(カミ)」という大いなる存在を感じて、畏れ、敬い、感謝を伝えました。

もともと、太陽や風、火、水、土など自然に対して敬っていましたが、祖先の御魂もお祀りするようになります。
 

「お蔭様でありがとうございます」と思える存在はみんな神様になるというのが日本人の感覚なのでしょう。
 
 

いつかの間にか、神社はお願いをするところだと勘違いされていますが、本来は神様を敬い、感謝を伝える場です。
 

“神は人の敬により威を増し、人は神の徳によりて運を添ふ”

鎌倉時代に制定された「御成敗式目」の第一条の中にある言葉です。
 

そのままで意味は分かると思いますが、敢えて噛み砕いて書くとすると、

「神は人の崇敬によって御威光を増やし、人は神の徳によってサポートしてもらえる」

という感じでしょうか。
 

この御成敗式目の言葉は、日本人にとっての神と人という関係をよく表しています。
 

人間が自分本位なお願いばかりするので、神様が嫌気をさしているという話もあるそうです。

いま一度、神社や神様に対しての認識を改めるときにきているのだと思います。
 
 

神社は日本全国に約8万社もありますが、やはり「神様」をお祀りする場所です。

どこでも良いというわけではなく、さまざまな配慮がなされています。
 

日本全体で見ると、レイライン(光の線)や五芒星、六芒星の結界上に建てられている神社があることなどから、そこには隠された叡智を感じます。
 

古代の人たちは現代の私たちより、エネルギーという目に見えないものを感知する力にずっと長けていたのでしょうね。
 

「神様」をお祀りするときも、入念に場所を検討しました。
 

日本人にとって特別な存在である「伊勢神宮」もまたその一つ。

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倭姫命(やまとひめのみこ)は諸国を巡り、神託によって、現在の場所に「天照大御神」を祀ったと言われています。
 

この日本には、長い長い歴史の中で育まれてきた叡智がたくさんあるようですが、それは神と人との交流による共同作業で生まれたのかもしれません。
 
 

現在、私たちが当たり前のように伊勢神宮へ参拝できるのも、倭姫命の尽力あってのこと。

蔭で支える、尽力する人がいるから、物事は成し遂げられ、日の目を見るものです。
 
 

この記事では、倭姫宮を参拝したことと合わせて、倭姫命について書いていきます。

一体、倭姫命とはどんな神様で、私はどんなことを感じ取ってきたのでしょうか。

天照大御神を祀る地を探し求めた倭姫命を祀る倭姫宮へ

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月夜見宮を出て、

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偶然見かけた須原大社を参拝した後、

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倭姫命が祀られている倭姫宮へ向かいました。
 

倭姫宮へは、近鉄・JR伊勢市駅、または近鉄宇治山田駅から、外宮内宮循環バスに乗って「徴古館前」で下車、または近鉄五十鈴川駅からだと徒歩7分で行くことができます。

須原大社からだと約20分〜25分くらいですが、歩いたとしても35分。

歩いてもほんとんど変わらないし、バスや電車を待つことを考えて、同じくらいか、早いかもしれないというくらい。
 

どちらかと言うと、見知らぬ土地はなるべく歩きたい方です。
 

通り過ぎる街の風景、行き交う人々の様子、歩くことでしか感じられないこともありますからね。

目的地だけではなく、何氣ない現地の雰囲氣を感じられることもまた旅の醍醐味です。
 
 

須原大社を出たときに、かなり喉がカラカラなことに氣づきました。
 

「取りあえず、水を買おう」

かなり氣温も上がってきたし、これからもまだまだ歩くことを想定し、コンビニで2リットルの水を買います。
 

コンビニを出て、さっそく飲み始めると、喉を通り、渇いた身体に水が浸透してくるのを感じます。
 

「ハァーッ、生き返った!」

一氣に半分くらい飲み干すと、リュックに入れて、いざ倭姫宮へと歩き出しました。
 

方向音痴の私は、グーグルマップを時折見ながら慎重に進みます。
 

伊勢市駅、宇治山田駅、商店街、公園、行き交う人々、、、

日常の何氣ない風景ですが、やはり見知らぬ土地を歩くのはいいものです。
 

五十鈴川を渡り、少し広めの道路へ出て、道なりにしばらく歩いて行くと、、、

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倭姫宮へ到着です。

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「着いた!」

わずか30分くらいでしたが、無事に到着できて、ホッとしました。
 

水分を少し補充して、早速御神域内に入ります。

天照大御神の御杖代(みつえしろ)として貢献した倭姫命とは?

倭姫命(ヤマトヒメノミコト)は、第11代垂仁天皇の皇女です。
 

古事記、日本書紀によると、母は氷羽国比売命(ヒバスヒメノミコト)(※日本書紀では日葉酢媛(ヒバスヒメ))で、第12代景行天皇と兄妹となっています。
 

ホツマツタヱでは、イクメイリヒコ(垂仁天皇)の子であることは同じですが、ヤマトヒメ(倭姫命)の母はカバイツキヒメ、ヤマトヲシロワケ(景行天皇)の母はヒハスヒメとなっていて記述の違いが見られます。
 

実は、カバイツキヒメは産後の肥立ちが悪く、ヤマトヒメが産まれてから約半月後に亡くなってしまうのです。

イクメイリヒコ(垂仁天皇)は、その後、ヒハスヒメ、ヌハタニイリヒメ、マトノヒメ、アサミニイリヒメを后とします。
 

何らかの理由で、カバイツキヒメが古事記、日本書誌が編纂されるときに削除されたのか、記憶違いがあったのか。
 

どちらにしても、古事記、日本書記とホツマツタヱでは微妙なニュアンスの違いがあるようですね。
 

ちなみにカバイツキヒメの妹、つまりヤマトヒメの叔母に当たる方にカクヤヒメ(古事記では「迦具夜比売命(カグヤヒメノミコト)」)という方がいて、かぐや姫のモデルではないかという説もあるそうですよ。
 

実は、ヤマトヒメの母であるカバイツキヒメはイクメイリヒコ(垂仁天皇)の二人目の后なのですが、最初の后であるサホヒメ(※「日本書紀」は狭穂姫命(サホヒメノミコト)、「古事記」では佐波遅比売命(サハジヒメノミコト)との間にも悲しい話が残っています。
 

少しそのお話に触れてみましょう。

サホヒメが兄のサホヒコにそそのかされて、イクメイリヒコ(垂仁天皇)を短刀で暗殺するように命じられました。

サホヒメは兄サホヒコを諫めますが、聞き入れないことが分かると、恐る恐る短刀を受け取ります。

クメタカ宮で、サホヒメの膝枕で休んでいたときに実行しようとしますが、いざことに及ぼうとすると涙があふれてイクメイリヒコ(垂仁天皇)の顔に滴り落ちます。

目が覚めたイクメイリヒコ(垂仁天皇)はサホヒメに言います。

「美しい蛇が現れて首に巻きつき、雨が降ってきた夢を見た。サホヒメも涙で顔を濡らしているが何か理由があるのだろうか」

サホヒメは心中を隠し切れずにすべてを打ち明けました。

イクメイリヒコ(垂仁天皇)は、サホヒメの兄サホヒコを討つように勅命を出しますが、サホヒコは抵抗して城に籠ります。

そして、自らの罪を思い知ったサホヒメも皇子と共に城に籠ってしまったのです。

城は焼け崩れ、サホヒメは兄サホヒコと共に亡くなってしまいました。

ホツマツタヱに載っている話を簡略化したものを書きましたが、古事記、日本書紀にも同様の話が載っています。

垂仁天皇は1人目、2人目の后と悲しい別れ方をしているのですね。
 
 

さて、倭姫命の話に戻りますね。
 

倭姫命は御杖代(みつえしろ)として、伊勢神宮の創建に尽力されました。

実は、御杖代(みつえしろ)は倭姫命が2代目です。
 

初代は豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメノミコト)で、こちらは10代崇神天皇の皇女となっています。
 

「そもそも御杖代(みつえしろ)って何ですか?」

という方もいると思いますので簡単にご説明しますね。
 

御杖代(みつえしろ)は依代(よりしろ)として神に仕える者を意味します。

依代(よりしろ)とは、神霊が依り憑く対象物のこと。

神社ではご神体やご神域もこれに当ります。
 

倭姫命は天照大御神の御霊の言葉を取り次いだ巫女のような存在です。

「杖」いう文字があるように、大和国から伊賀、近江、美濃、尾張、伊勢を巡ったと言われています。
 

そして、たどり着いた伊勢で天照大御神から神託を受け取り、伊勢神宮を創建したそうです。

日本書紀には、天照大御神から倭姫命への御神託が載っています。

是神風伊勢國 則常世之浪重浪歸國也 傍國可怜國也 欲居是國
(この神風(かむかぜ)の伊勢の国は常世の浪の重浪(しきなみ)帰(よ)する国なり。傍国(かたくに)の可怜(うまし)国なり。この国に居(を)らむと欲(おも)ふ)— 垂仁天皇25年3月丙申(10日)条

 

意味は、伊勢は常世の国からの波が何重も寄り来る国であり、辺境ではあるが美しい国なのでこの国に鎮座しよう、ということである。

引用:Wikipedia 

世木神社、外宮の記事に登場した度会氏を覚えていますか?
 

度会氏が唱えた伊勢神道の神道五部書の一つに「倭姫命世紀(やまとひめみことせいき)」という書物があります。
 
 

歴史学の分野では認めないという意見もあるそうですが、倭姫命についてはかなり詳しく書かれているのも確かです。
 

歴史学や学界では、この資料が〇で、あの資料が✖という区分があります。
第一次資料とか第二次資料、もしくは偽書とか、いろいろな区分もあるのでしょう。
 

でも、第二次資料、もしくは偽書とラベルを付けられた書物の中にも、貴重なことが書かれている可能性だってありますし、第一次資料と格付けされた資料が全て正しいということもないはずです。

資料〇✖主義、資料の格付けは、大切なことを見落としてしまう可能性があると私は思います。
 

どのみち言葉や書物で真実を語り尽くすことは不可能です。
 

言葉で真実を語れるというトリックに氣づかないと、結局、言葉や書物を通して争うことになります。

どの資料も物事(真理・真実)の断片を映し出す一部として捉えればいいだけなので、資料〇✖主義は脇に置いておきますね。
 
 

この「倭姫命世紀(やまとひめみことせいき)」の終盤に猿田彦大神の子孫である大田命(おおたのみこと)が登場します。

どちらも猿田彦神社の御祭神となっている神様ですね。

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その猿田彦神社のHPには、その場面の一部が記載されています。
 

倭姫命の「よき宮の場所はあるか?」という問いに答えた場面です。

※そのとき、猿田彦神の裔、宇治土公の祖、大田命参り(中略)答へて白さく、「さこくしろ宇治の五十鈴の河上は、是れ大日本國の中に殊に勝れて霊地に侍るなり(中略)定めて主(ぬし)出で坐さむか。その時献るべしと念ひて彼の処にうやまひ祭り申せり」と。

引用:猿田彦神社HP

「宇治の五十鈴の河上に、日本国の中でも勝れた霊地があり、定めた主が現れたときに献じられるように祀っておりました」というところでしょうか。
 

倭姫命がその場所へ行くと、昔、天照大御神が伊勢の国に美しい宮の場所ありと、天上から投げ降ろした天の逆太刀・逆桙・金鈴などがそこにありました。
 
 

実はこの場面、ホツマツタヱでも同じような箇所があります。

かなり簡略しますが、その様子を書いていきますね。
 

五十鈴川のほとりにサルタヒコがいて「アマテルカミから授かった三種の神宝(逆矛、美しい鈴、ワイキ太刀)をサコクシロの宇治の宮に入れ、渡すべき方をずっと待っていた」とヤマトヒメに遣わされたワカゴに渡しました。

それを受け取ったヤマトヒメは宇治へ行き、三種の神宝を祀って伊勢の本宮にすることに決めたと記されています。

 

倭姫命世紀が猿田彦大神の子孫の大田命となっているのに対して、ホツマツタヱではサルタヒコとなっていますよね。
 

ちょっと信じられないかもしれませんが、ホツマツタヱでは、ヤマトヒメに三種の神宝を渡したときのサルタヒコの年齢は208万歳となっています。

これはサルタヒコだけではなく、古代の人はかなり小食で長生きしたと記されています。
 

「それにしても208万歳はちょっと、、、」

と思ったかもしれません。
 

もしかしたらですが、古代と現代では数や時間の数え方や概念が違うのかもしれませんね。
 
 

この後、宮が完成した後に、「臣のワタライが神主という記述が出てきます。
 

外宮の禰宜(ねぎ)をしていた度会氏がここに登場しましたね。

ホツマツタヱによると度会氏は、伊勢神宮初代神主だったようです。

 
 

ヤマトヒメが宮で寝起きして神に仕えているとお告げがありました。

「昔、吾が住んでいたサコクシロは、ここ伊勢の宮だった。長くここに居てトヨケカミ(豊受大神)と共に見守って行こう」

このお広告げの通り、トヨケカミ(豊受大神)も一緒に祀られるようになりました。
 
 

天照大御神の御霊を祀る場所を探すという構想は、崇神天皇の治世で国内情勢の不安がそもそもの始まりとなっています。
 

その原因を天照大御神、倭国魂(ヤマトオオクニタマ)の二柱の神を同じ所に祀っていたことだと思った崇神天皇は、天照大御神を豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメノミコト)に、倭国魂神を渟名城入姫命(ヌナキイリビメノミコト)につけて祀らせたと日本書紀には記されています。

 

その天照大御神を豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメノミコト)に祀らせるお役目を受け継いだのが倭姫命です。

 

ホツマツタヱによるとヤマトヒメは11歳で御杖代(みつえしろ)となり、トヨスキヒメと共に神に仕えていました。

しかし、トヨスキヒメが103歳になったときに御杖代をこれ以上続けられないと言って、ヤマトヒメにお役目を託したとあります。
 

アマテルカミ(天照大御神)を祀る場所を探すというお役目を果たし、伊勢神宮創建に貢献したヤマトヒメは108歳のときにヰモノヒメに御杖代のお役目を託しました。

そして、その後も宇治の磯宮にて、アマテカルカを祀り続けたと記されています。

いよいよ倭姫宮へ参拝です!

境内へ入り、木々が生い茂った道を少し進みます。

木陰が心地よく、火照った身体から熱がスーッと引いていくようです。
 

参拝を終えた方々と1人、2人とすれ違いましたが、ほとんど人はいません。

静まり返った境内を一歩ずつ、心身を御神氣になじませるように進んでいきます。

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 鳥居の前で少し立ち止まり、御社を眺めていました。

 辺りには誰もいなく、ここにいるのは私一人だけです。
 

 太陽は容赦なく照りつけてきますが、あまり氣になりません。

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鳥居をくぐり、そっと静かに手を合わせ、ヤマトヒメのお役目に思いを寄せつつ、感謝を伝えました。

静けさの中にある強さをその御神氣に感じながら、しばらく向かい合います。
 

鳥居を出て一礼した後も、その場にもう少し身を委ねていたかったので留まっていました。
 
 

ヤマトヒメは、11歳から108歳まで御杖代(みつえしろ)として天照大御神に仕え、その生涯を通してお役目を果たし、後世の私たちに伊勢神宮という場を残す礎を築いてくれました。
 

伊勢神宮に限らず、神社が創建される背景には、そこに関わったさまざまな人の物語があるはずです。

 

きっと書物に残っていないような話もたくさんあることでしょう。

その方々の尽力あってこそ、現在の私たちは様々な神社へ参拝することができます。
 
 

明治には、約20万社あったという神社の数は、大正、太平洋戦争、戦後と減っていき、現在は約8万社となっています。
 

神社を運営するためには、お金という現実的な側面もあるので簡単な問題ではないのかもしれません。
 

しかし、冒頭でも書いたように、私たちの祖先はレイラインや五芒星、六芒星などの結界上に神社を建立したりと、さまざまな叡智を駆使していました。
 

全ての神社がそうだったかは分かりませんが、神社が壊されるごとに、日本という国を守ってきた結界も壊されているという話もあるようです。
 
 

神社は国(神社庁)が管理して、各神社の神職さんたちが運営しています。
 

“神は人の敬により威を増し、人は神の徳によりて運を添ふ”

でも、この御成敗式目の言葉にあるように、日本人全体の意識で守っていくものが神社という存在なのではないでしょうか。
 

人の神を敬うという意識が神の御威光を輝かせ、神社という場を通して光る御柱が立ち、日本を守ってくれている。
 

神社や日本だけに限らず、この地球上には私たちを守ってくれている神様方がたくさんいます。

その神様方にもそっと手を合わせ、感謝の氣持ちを伝えたいですね。
 

古代の人たちが残してくれた神社という存在は、私たちが考えている以上に大切なものだったと改めて感じています。
 
 

神社へ参拝する、しないというのは日本人の中でも分かれるところですし、参拝する理由もさまざまです。
 

忙しい毎日を送る中で普段通り過ぎてしまっていた近所の神社や、たまたま出掛けた場所へ神社があったら、そっと手を合わせて感謝を伝えてみてはいかがでしょうか。
 

日本は神と人が共同創造する国で、神社は神と人が交流する場でもあります。

個の時代から、全体のために個が働きかける時代へとなりつつある今、一人ひとりの意識が神社や神へ感謝の念をもって向かい合い、また自分自神も光る御柱として輝けるように在りたいものですね。
 
 

本日の参拝はここ倭姫宮が最後です。
 

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