いろいろあったみたいですが、、、伊雑宮(いざわのみや)は本当に素晴らしかった!

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「私の言っていることが正しい」

「いや、私の言っていることが正しい」
 

どっちが正しいor間違い、本家or分家、正統or亜流、、、etc、、、

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歴史を紐解いていくと、どの世界にも様々な争いがあり、それは神様を祀る神社とて例外ではないようです。
 

かつて、内宮の別宮である伊雑宮(いざわのみや)と内宮は、「どちらが本宮か、社格が上か」と争ったことがあります。(「伊雑宮事件」「先代旧事本紀大成経事件」)。

その背景には様々な歴史や人間模様があったようです。
 
 

神道には分霊(わけみたま)という概念があります。

これは、本社の御祭神を他の御社でお祀りするために、神の神霊を分けるというもの。
 

神霊は無限に分けることができ、しかも元の神霊になんら影響がないという何とも素晴らしいシステム(?)となっております。

これってまさにフリーエネルギーそのものですね(笑)
 
 

まぁ、私たち自身が神(カミ)の分霊でもありますが、ただ神様もたくさんいらっしゃいますから。
 

大元である中心(カミ)をどう捉えるかで見方も変わってくるのではないでしょうか。

人それぞれ、どの神様とご縁が深いとか、繋がっているとか、色々あるとは思いますが、日本で神様と呼ばれる存在や人も、究極は大元の根源から分かれた分霊。
 

ただ神様と呼ばれる方々は、エネルギーがクリアで整っているとか高いなど、人よりは優れている面がいろいろとあるのでしょう。
 

で、この分霊の概念からすると、どちらが大元とかでケンカする必要はないわけですが、いかんせん人の世はそうもいかないようです。

神様的には問題ないことも、こと人間となると問題や争いに発展するんですよね。
 

もちろん、この伊雑宮の事件に関しても、やむにやまれぬ事情、やるせない思いがあったのも分かります。

人間って(自分も含めて)、、、と思っちゃいますね。
 
 

でも、そんな人間模様と神様が祀られている神社は全然関係なくて。

いざ伊雑宮を訪れてみると、境内のご神氣の凄さと清々しさに一瞬で魅了されてしまったんですよ。

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日本って神と人、現世(この世)と幽世(あの世)が混然一体となっている国だと感じています。

それゆえ、神様も人の都合に左右されてしまうという面もしばしばあって、やはり、その歴史的背景も無視できないところもあるんですよね。
 

体感してきた伊雑宮の素晴らしさだけを書き連ねたいところですが、いろいろな角度に触れながら、伊雑宮について書いていきますね。

伊雑宮VS内宮~「伊雑宮事件」と「先代旧事本紀大成経事件」

神社の内輪揉めを書くのはあまり氣が進まないのですが、歴史的背景を知ることも大切だと思いますので簡単にサラッと。

あくまでサラッとなので深く知りたい方は検索して調べてみて下さいね。
 

この伊雑宮と内宮の争いは2つあります。

「伊雑宮事件」「先代旧事本紀大成経(せんだいくじほんきたいせいきょう)事件」です。
 

まず、源平合戦から伊勢周辺が戦乱に巻き込まれ、戦国時代には九鬼水軍に伊雑宮が所領を奪われてしまったという背景があります。
 

江戸時代になると、伊雑宮は朝廷と幕府に所領返還を求めるようになりますが、それが物議をかもすことに。

伊雑宮がもともと天照大御神を祀っていて、内宮は分家であるということを訴状に記したのです。
 

当然、内宮側はこれに反発します。

本当にそうだったのか、伊雑宮の重要性を訴えるためだったのかは分かりません。
 

結局、伊雑宮は内宮の別宮と裁定されます(「伊雑宮事件」)。
 

その後、伊雑宮の神庫から「先代旧事本紀大成経(せんだいくじほんきたいせいきょう)」という文献が発見されます。

この文献の伊勢神宮の記述に「本当の伊勢神宮は伊雑宮にある」とあり、これに対して内宮側が猛反発。

これも伊雑宮側の神職などが処罰されて、「先代旧事本紀大成経(せんだいくじほんきたいせいきょう)」は偽書と断定されてしまいます(「先代旧事本紀大成経(せんだいくじほんきたいせいきょう)事件」)。
 

伝わっている話をもとに書いているので、実際のところどうだったのかは分かりません。

書かれていること、伝わっていることが事実のように(もちろん事実の場合もありますが)錯覚してしまうのが歴史の解釈の難しさであり、恐いところです。
 

これは負けた方が悪かった、間違っているという印象をもたれてしまうことも含めて。

勝敗という○✖だけで済まされてしまうと、敗者の声なき声はやがて届かなくなってしまうもの。
 

伊雑宮周辺では、古くから伊雑宮に天照大御神がもともと祀られていたと信奉する方々がいて、度重なる弾圧に口を閉ざしてしまったということがそれを物語っています。

ちょっと別の角度から見てみましょう。

伊雑宮は「倭姫命世紀」「ホツマツタヱ」ではどうなってるの?

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「倭姫命世紀」では、天照大御神を祀る場所を探していた倭姫命が志摩国を訪れ、伊雑宮を建立したと記されています。
 

「ホツマツタヱ」では、アマテルカミ(天照大御神)はハラミ山(富士山麓)のヤスクニ宮からイサワ宮(伊雑宮)へ、最後はサコクシロウヂ(内宮)へ移ったと記されています。
 

「あれっ?」

っと思った方もいるかもしれません。
 

そう、「ホツマツタヱ」では、アマテルカミ(天照大御神)はアマカミ(天皇)在位中にイサワ宮(伊雑宮)にも、サコクシロウヂ(内宮)にも住んでいたことになっているんですね。
 

アマテルカミ(天照大御神)は男性で13人の后がいましたが、12人の后がなくなり最後に残ったセオリツ姫とともに、イサワ宮(伊雑宮)からサコクシロウヂ(内宮)へ宮を遷したと記されています。
 

死後、生前の違いはありますが、「ホツマツタヱ」からは、アマテルカミ(天照大御神)が内宮の前に伊雑宮にいたことが分かりますね。
 

どちらが大元かというのは人間的な都合ではありますが、本家が優遇され、分家が冷遇されればやはり面白くないものです。

神事とはいえ、管理しているのが肉体をもった人だということもあります。
 

タマ(良心)とシヰ(欲)がせめぎ合いながら、私たちはこの現世で学んでいくわけですが、大切なのはこれからどうしていくかということです。

様々な情報に簡単に触れることができる時代ですが、過去の出来事や人に対して、あーだ、こーだと批評家のように述べているだけでは何も変わらないのですから。

そもそも神様はどこにいる?

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そもそも神様ってどこにいるんでしょう?
 

「えっ?神社の中に決まってるじゃん!」

と思ったかもしれません。
 

私も漠然とそう思っていましたが、でも実際どうなんだろうとホツマツタヱの先生に質問をしたことがあります。
 

ホツマツタヱでは、神社にはご先祖様のタマシヰ(タマは良心、シヰが欲・肉体)のタマが宿っていると考えます。

そもそも神様ではなく、実在した人として記されているのも古事記や日本書紀との大きな違いです。
 

ご先祖様(神様)のタマはクニタマ(地球)の外にあるアメノエナというところにいらっしゃって、神社でお呼びするとやってきてくれるとのことでした。

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ホツマツタヱでは人は死んだら、タマ(良心)とシヰ(欲・肉体)が離れて、タマだけがアモト(魂の故郷)へ還ると教わっていたので、じゃあ神社にいらっしゃるご先祖様(神様)のタマはアモト(魂の故郷)へ還らないのだろうかと素朴な疑問があったのです。
 

このお話を聞いて「なるほど」と納得でした。

これはホツマ的解釈ですから、ひとつの参考にしていただければと思います。
 
 

神社は、肉体を持たないご先祖様(神様)と肉体を持った人が幽世(あの世)と現世(この世)や時空を超えて交流する場です。

なんとなく、その場所に建てられている訳ではなくて、エネルギーのある場や日本全体でのエネルギーラインなどがしっかりと考慮されています(昭和以降に建てられた神社は違うというお話もあるようです)。
 

本当は意識を向ければ、みんなどこでも神様と繋がれるのでしょう。

究極は神社にこだわらなくてもいいのかもしれません。
 

でも人は肉体を持っていると、どうしても周波数が低くなってしまうものです。

神社というエネルギーが高い場に身を置くことで、神様と交流しやすい状態になります。
 

神様にお願いをするというよりは、ご神氣(エネルギー)を通して(感じて)自神の本質を見つめ直す、本質に氣づいていく場だと理解して参拝した方が得られるものがはるかに大きいです。
 

神社は古来の人たちが感じ取っていた叡智がたくさん詰まっている場です。

それが真に理解されると、無用な争いだったり、神社が壊されるというようなことはなかったのかもしれませんね。

さて、いよいよ伊雑宮を参拝します!

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二見浦から最寄り駅の上之郷までは約40分くらい。

駅からは徒歩3分とかなり近いです。
 

伊雑宮の御祭神は天照大御神御魂ですが、もともとは伊佐波登美命(イザワトミノミコト)玉柱命(タマハシラノミコト)となっていました。

伊佐波登美命(イザワトミノミコト)は倭姫命世記によると、倭姫命が志摩国を訪れたときに出迎えた神様で、玉柱命(タマハシラノミコト)は天叢雲命(アメノムラクモノミコト)の裔、天日別命(アメノヒワケノミコト)の子となっています。

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境内にはとても心地よい光が差し込んでいました。

溢れる光と清々しい御神氣が相まって、スーッと御魂が洗われる(現れる)ようです。
 

ゆっくりと歩を進めながら、大地から、天から溢れる御神氣に心身が同化していきます。

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推定樹齢700年と言われる巨大な楠(くす)の木がありました。

根本が巾着(きんちゃく)のように広がっていることから「巾着楠(きんちゃくくす)」と呼ばれています。
 

大地に根ざすという表現がありますが、ズッシリと大地に立つ様子を間近で見ていると、「まさに!」という感じでしたね。

エネルギーに満ち溢れていました。

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境内には「勾玉池」もあります。

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それにしても光りがスゴイ!!!
 

溢れるような光が木々の間から差し込んできて身体を優しく照らしてくれます。

あまりの心地よさに、何も考えられないという感覚のみの世界に浸っていました。

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拝殿で手を合わせます。

御神氣に包まれて思考がどこかへいってしまいましたが、参拝のご縁を頂いたことへの御礼をお伝えしました。
 

ふと不思議な感覚を覚えて、太古の昔の伊雑宮の様子なのか、ある光景が脳裏にパッと浮かんできます。

ハッキリとしたものではなく、浮かんでは消え、浮かんでは消え、、、
 

記憶のはるか彼方にあるものを垣間見るかのように。
 
 

神社は隠されていた(忘れていた)真理があり、それに氣づく場でもあります。

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(※この写真は伊雑宮のものではありません。)
 

書物で語られる神様やご先祖様を知ることで日本のことをより理解できるようにもなります。

でも、もっと本質的な真理が神社に、というか日本に隠されているようです。
 

書物による物語の知的好奇心の探求も大切ですが、その奥にもっと探求すべきことがあり、それを自神の体感を通してより多くの人と共有することが求められているのではないか。

そんなことを感じます。

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境内の側には見事な御神田がありました。

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目の前に広がる御神田、その奥にそびえる山々。

猿田彦神社の御神田もとても心地良かったのですが、ここ伊雑宮の開放感ある御神田も本当に素晴らしかった!

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毎年6月24日には磯部の御神田(いそべのおみた)という民族芸能の田楽があるそうです。

日本三大御田植祭のひとつ、重要無形民俗文化財となっていて、たくさんの人で賑わうとのことでした。

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伊雑宮は内宮にはない素朴で原初的な清々しさがありました。

歴史や文献的解釈はいろいろとあるのでしょうが、私はこの伊雑宮がとても居心地良くて好きになりました。
 

境内でふと脳裏に浮かんだ光景はなんだったのかは分かりません。

ただ、あの眩(まばゆ)い木洩れ日とそよ風、清々しさの中で天照大御神の存在を身近なものとして感じたのは確かです。
 

感覚という完全には言語化できないあやふやなものの中にこそ大切なことがある。

説明できなくても、表現しきれなくても、人生で感じ取ったことは全て御魂に刻まれていきます。

それはやがて大いなる源という根源的な光の中で感覚のまま共有されていくのでしょう。
 

伊雑宮を後にして、今回の旅の最後、天の岩戸と風の穴へと向かいました。

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訪れる度に深みを増す伊勢の旅ー11(天の岩戸・風穴編)