日本神話の象徴となっている「天の岩戸」へ初参拝

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「太陽の神である天照大御神が岩戸に隠れて、世界が闇に包まれた!」
 

記紀神話の中でも象徴的なシーンですよね?
 

弟の素戔嗚尊(スサノオノミコト)の乱暴狼藉が原因と言われていますが、実際には書物に書かれていないこともたくさんあるのではないかと思います。
 

これは神話上の出来事なのか、それとも実話なのか?

実話なら本当の場所はどこなのか?

実際はどうだったのか?
 

いろいろと好奇心をそそられるところではありますよね。
 

この天の岩戸に関連する場所は全国に多数ありますが(Wikipediaには16か所が載っています)、今回訪れたのは志摩市磯部町にある「恵利原の水穴(えりはらのみずあな)」、環境省の名水百選の一つにも指定されている場所です。

全国に多数あるのも、それだけ日本にとってこの「天の岩戸神話」が重要な出来事であり、それを象徴するようなお話だからではないでしょうか。
 

伊勢神宮から二見浦、伊雑宮へと巡ってきましたが、ここ天の岩戸は原初的、神秘的であり、古代の息吹きが漂うところでした。

伊勢の旅の最後に相応しい場所だった「天の岩戸」について書いていきますね。

伊雑宮から「恵利原の水穴」と呼ばれる天の岩戸へ

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伊雑宮の最寄り駅「上之郷」から天の岩戸の最寄り駅である「志摩磯部」までは近鉄志摩線で約3分。

駅から天の岩戸まではバスで10分くらいですが、時間の都合もありタクシーで移動しました。
 

タクシーの運転手さんは、氣さくでいかにも話が好きそうな感じの初老の男性。

地元の方だけあって、とにかく詳しくいろいろと話してくれます。
 

知っていることも、そうでないこともたくさんありましたが、なぜか意識が内に向かっていて、話に相槌を打ちながらも、どこか上の空な感じではありました。
 

到着してタクシーを降りてから、運転手さんのある一言が蘇ってきます。

「天照大御神、またの名を玉柱屋姫命(たまはしらやひめのみこと)」
 

全然聞いたことがない神様の名前が出てきて「えっ!?」という感じでした。
 

後で調べて分かったのですが、玉柱屋姫命(たまはしらやひめのみこと)は伊雑宮(いざわのみや)でもともと祀られていた神様だったんですね。
 

伊雑宮の御師である西岡家伝承の文書には、

・「玉柱屋姫神天照大神分身在郷」

玉柱屋姫神は郷(里)に在る天照大神の分身

・「瀬織津姫神天照大神分身在河」

瀬織津姫は河に在る天照大神の分身

とあるとのことです。
 

神様はいろいろな名前で語られたりするので珍しいことではないのですが、この天の岩戸へ行くタイミングで聞いたこともありなぜか氣になっていました。
 
 

ホツマツタヱによれば、天照大御神はアマテルカミという名で男性となっています。

13人のお后がいて、正室はセオリツヒメです。
 

古事記、日本書紀の影響が強いので、ホツマツタヱを色眼鏡で見る人もいるとは思います。

でも実際にホツマツタヱを読み、学んでいくと、ここに記されていることはかなりの真実を含んでいると感じざるを得ません。
 

記紀編纂の際にアマテルカミ(男性)が天照大御神(女性)に書き換えられ、それを隠すためにセオリツヒメを含む13人のお后は隠された(名前を変えられた)という解釈も頷けます。
 
 

ただ一方で、ホツマツタヱに書かれていないこともあるはずだと思っています。

書物に書けることには限りがありますからね。
 

それぞれの書物には意図するテーマがあります。

それに沿った優先順位があり、省かれる事柄も当然ある。
 

どんなに素晴らしい書物でも、必ず書物を編纂する意図があり、全てを記すことはできないということは押さえておきたいポイントです。
 
 

なぜこんな話をしたのかと言うと、天照大御神は男性、女性の両方、つまり二人存在したという話をチラホラと耳にするからです。

実際にどこかのタイミングで入れ替わったということもあり得なくはないとは思いませんか?
 

まあ私の推測も混じっているので、話半分で聞いてくださいね(笑)
 

無理に信じなくて大丈夫です。

自分の感覚を大切にしましょう。
 

大いに興味をそそられるテーマではありますが、人物(神様)像を求めすぎるのも本質から外れると思っています。
 

確かにご先祖様(神様)の物語からは、学べること、感じることはたくさんありますよね。

日本や日本人についての理解を深めることもできます。
 

とても大切なことですが、それ以上に知るべき真理がこの日本には隠されているようです。
 
 

古事記、日本書紀、ホツマツタヱだけでなく、先代旧事本紀、倭姫命世紀、竹内文書、宮下文書、、、

学界に認められているとか、いないとか関係なしに幅広い視野で学んでいけばいいのだと思います。
 

ただ、どれが正しいという答え合わせに終始すると、言葉(ことは・・・言のはじっこ)に囚われ過ぎて迷子になってしまうことも。

どの文献もある角度から見た視点の一つ(記憶の断片)です。
 

言葉の限界を知り、その奥にあることを体感を通して腑に落としていくことが大切だと感じています。

ついに「天の岩戸」に到着です!

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最初の鳥居をくぐり、もう少し先にある駐車場でタクシーを降りました。

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そこから道なりに歩いて行きます。

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なんとも言えない雰囲氣が漂っています。

太古の神話の世界へ足を踏み入れるようで、少しドキドキしている自分がいました。

新鮮な御神氣が体内を循環していき、心身が洗われていくようです。

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少し歩いて行くと、みそぎの滝があり、そこで手を洗います。
 

もう少しで天の岩戸だ!

氣持ちが高揚していくのを感じます。
 

橋を渡り、階段を登ると鳥居が視界の中に姿を現しました。

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横にある階段を登って行くと本殿があります(写真はありません)。
 

静かに手を合わせ、ここまでご縁をつないでくださったことへの感謝を伝えました。
 

何とも言えない霊妙な雰囲氣に心身が包まれていきます。

階段を降り、天の岩戸(洞窟の前に鳥居がある場所)へ戻ってきました。

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原初的で神秘的な雰囲氣を漂わせています。

この光景を眺めていると、自神の奥深いところで何かを思い起こされるようです。
 

太古の昔、神話で描かれているような出来事が、神々によって本当にここで行われていたのではないか。

天照大御神があの鳥居の奥から姿を現し、神々の歓喜の声が上る!
 

そんな光景を一瞬想像してしまいました。
 

その一方で、神話ではない実際の様子はどうだったのだろうと意識が別方向へ向かいます。
 

古事記、日本書紀、ホツマツタヱなどの書物に書かれていることは一面で、そうでない出来事があるような氣がしてならないからです。
 

ホツマツタヱには、この「天の岩戸」に至る経緯や様々な人間模様が古事記や日本書紀より詳しく記されています。

でも共通するのは、ソサノヲ(素戔嗚尊・スサノオノミコト)が悪であるということです。
 

ちょっと視点を変えてみたいと思います。

日月神示に記されている「岩戸閉め」とは?

日月神示という書物をご存知ですか?
 

日月神示は、神典研究家、画家の岡本天明が国常立尊(クニトコタチノミコト)による神示を自動書記で書き写した文書です。

数字や記号などもあり、書き写した岡本天明ですら解読に苦労したようで、厳密には原文を「日月神示」、文書に訳したものを「ひふみ神示」と呼ぶそうです。
 

古事記や日本書紀、ホツマツタヱとは一線を画する書物ではありますが、「岩戸」について興味深いことが記されているのでご紹介しますね。

かなり長いので、この記事で取り上げたいところは太字にしてあります。

岩戸閉めの始めはナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の命の時であるぞ、ナミの神が火の神を生んで黄泉国に入られたのが、そもそもであるぞ、十の卵を八つ生んで二つ残して行かれたのであるぞ、十二の卵を十生んだことにもなるのであるぞ、五つの卵を四つ生んだとも言えるのであるぞ、総て神界のこと、霊界のことは、現界から見れば妙なことであるなれど、それでちゃんと道にはまっているのであるぞ。

一ヒネリしてあるのじゃ、天と地との間に大きレンズがあると思えば段々に分かって来るぞ。

夫神、妻神、別れ別れになったから一方的となったから、岩戸が閉められたのである道理、分かるであろうがな。

その後独り神となられた夫神が三神をはじめ、色々なものをお生みになったのであるが、それが一方的である事は申す迄もない事であろう、妻神も同様、黄泉(よもつ)大神となられて、黄泉国の総てを生み育て給うたのであるぞ、この夫婦神が、時めぐり来て、千引きの岩戸を開かれて相抱き給う時節来たのであるぞ、嬉し嬉しの時代となって来たのであるぞ。

同じ名の神が至るところに現われて来るのだぞ、名は同じでも、はたらきは逆なのであるぞ、この二つが揃って、三つとなるのぞ、三が道ぞと知らせてあろうがな。

時来たりなばこの千引きの岩戸を共にひらかんと申してあろうがな。

次の岩戸閉めは天照大神の時ぞ、大神はまだ岩戸の中に坐しますのぞ、ダマシタ岩戸からはダマシタ神がお出ましぞと知らせてあろう。

いよいよとなってマコトの天照大神、天照皇大神、日の大神揃ってお出まし近くなって来たぞ。

次の岩戸閉めは素盞鳴命に総ての罪を着せてネの国に追いやった時であるぞ、素盞鳴命は天下(あめがした)を治しめす御役の神であるぞ。

天ヶ下は重きものの積もって固まったものであるからツミと見えるのであって、よろずの天の神々が積もる(と言う)ツミ(積)をよく理解せずして罪神と誤って了ったので、これが正しく岩戸閉めであったぞ、命(みこと)をアラブル神なりと申して伝えているなれど、アラブル神とは粗暴な神では無いぞ、あばれ廻り、こわし廻る神では無いぞ、アラフル(現生る)神であるぞ、天ヶ下、大国土を守り育て給う神であるぞ、取り違いしていて申し訳あるまいがな。

この事よく理解出来ねば、今度の大峠は越せんぞ。

絶対の御力を発揮し給う、ナギ・ナミ両神が、天ヶ下を治(し)らす御役目を命じられてお生みなされた尊き御神であるぞ。

素盞鳴の命にも二通りあるぞ、一神で生み給える御神と、夫婦呼吸を合わせて生み給える御神と二通りあるぞ、間違えてはならんことぞ。

神武天皇の岩戸閉めは、御自ら人皇を名乗り給うより他に道なき迄御働きをなされたからであるぞ。神の世から人の世への移り変わりの事柄を、一応、岩戸に隠して神ヤマトイワレ彦命として、人皇として立たれたのであるから、大きな岩戸閉めの一つであるぞ。

仏教の渡来までは、わずかながらもマコトの神道の光が差していたのであるなれど、仏教と共に仏魔渡って来て完全に岩戸が閉められて、クラヤミの世となったのであるぞ、その後はもう乱れ放題、やり放題の世となったのであるぞ、これが五度目の大き岩戸閉めであるぞ。

引用:日月神示 五十黙示録 第ニ巻 碧玉之巻 第十帖

 

ここには5度の岩戸閉め(➀伊邪那岐・伊邪那美②天照大御神③素戔嗚尊④神武天皇⑤仏教伝来)に関して記されていますが、②天照大御神③素戔嗚尊のみに焦点を当てていきますね。
 

かなり深い意味があることが記されているので、解釈することは簡単ではなさそうです。
 

すごく簡単に要点をまとめると、

・本当の天照大御神は岩戸から、まだ出てきていない

・素戔嗚尊は悪者ではなく、天下を治める神である

というところでしょうか。
 

もしかしたら岩戸は隠喩として用いているだけなのかもしれません。

何らかの事件があったことは確かですが、実際は岩戸に隠れたのではなく姿を消し、代わりとなる人物が天照大御神となり、真実を隠すために素戔嗚尊に罪を被せたというのは飛躍しすぎでしょうか。
 

日月神示は神様から降りてきた神示と言われているので、文献的に信憑性がないと思う人もいるでしょう。
 

でも、こうも考えられませんか?
 

歴史書などの書物は編纂されるにあたっての意図(理由)があります。

・「古事記」は国内に向けて天皇の正統性を示すために。

・「日本書紀」は海外へ向けて日本をアピールするために。

・「ホツマツタヱ」はヤマトタケ(日本武尊)の遺言(天皇家で過ちを繰り返さないために書物に残してほしい)のために。

この3つの書は編纂される意図は全て違いますが、目的に沿った人為的な意図が介在しているのは確かです。
 

では、日月神示はどうでしょう?
 

神様からの神示というあやふやさはありますが、人為的な意図はないんですよね。

人為的な意図がない分、逆に混じり氣のない真実が含まれているとも捉えられるのではないでしょうか。
 

あくまで推測ですから無理に信じないでくださいね。

感じたままを書いているだけですから(笑)
 

漠然として上手くまとまりませんが、浮かんでは消え、浮かんでは消える光景があります。
 

書物という言葉の制約がない出来事、実際にあったもっと生々しい現実的な出来事とはどんなものだったのか。
 

岩戸開きの真実はもっと奥深いような氣がしてなりません。

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ここからお水を頂きました。

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二見浦の岩戸館の女将さんがおっしゃっていましたが、天の岩戸の水はとても長持ちするそうです。

天の岩戸から風穴へ

ここからさらに奥にある風穴へ向かいます。
 

それほど時間的はかからないのですが、道が細かったり、急な斜面があったりと、意外と歩きづらいです。
 

と、風穴が眼前に現れます。

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風穴の前には、ヲシテ文字のカゼ(イ行の母音)の形をした木の枝が掛けられています。

近づいて耳を当てると、ヒンヤリした風が吹き、風音がヒューヒューとしているのが分かります。
 

穴は大人が一人入れるくらいの大きさでしょうか。

奥はかなり深そうです。
 

と、説明しているだけで、もちろん中には入りませんでしたよ(笑)
 

天の岩戸もそうですが、ここ風穴もまた原初的な雰囲氣を漂わせ、自神の奥の方の何かが揺さぶられるようです。

魂に刻まれた古代の原風景を思い出しているのかもしれませんね。
 
 

帰りのバスの時間もあり、かなり早足で来た道を戻りました。

来るときは境内の駐車場までタクシーでしたが、帰りは入り口のバス停まで歩いて行かなければなりません。
 

少し焦る氣持ちを抱えながら、何とか入り口まで戻り、バスで駅まで向かいました。

バスに揺られながら、今回の様々な出来事が走馬灯のように浮かんできます。
 
 

四度目の伊勢となった今回は、二見浦、天の岩戸など初めて訪れた場所もあり、とても印象深い旅となりました。

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言葉では表現しきれないくらいの濃厚で樂しい思い出がたくさん魂の記憶の中に刻まれて、ただただ有り難いなあという想いでいっぱいです。
 

「訪れる度に深みを増す伊勢の旅」

次に訪れるときはどんな展開が待っているのでしょうか。
 

また導かれるときが樂しみです!

お導きくださった神々さま、本当にありがとうございました。

言葉の制約のないあるがままの世界へ

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人はいつの間にか、言葉というものにがんじがらめに縛られてしまい、書物に記された言葉の中に閉じ込められてしまっているかのようです。
 

学問という分野を作り、研究して、分析して。。。

確かに、それで得られたこともたくさんあります。
 

でも、持論を展開し、その正しさを証明しようと躍起になる余り、言葉を争いの道具として用いてきました。
 

書物はあくまで書いた人の記憶や聞き覚えていたことなどを記した一つの側面でしかないんですよね。

一つの書物が絶対正しいとすれば尚更のこと、真実は見えてこなくなります。
 

言葉は物事の断面を切り取ることでしか使えないからです。

多角的な視点で書くことはできますが、そのままの姿で立体的に書くことは、ほぼ不可能だと思います。
 

自分の氣持ちや意図を伝えることができるという便利さがある反面、全体そのものを語るということができないという限りなく限定されたツールが言葉だからです。
 

「言葉の制約がないあるがままの物事」を観るためには、言葉や書物は真実を知る上では限界があることを悟る必要があります。
 

神話などの物語やご先祖様(神様)の姿は私たちに様々な教えを伝えてくれますが、それに縛られ過ぎないことです。

ご先祖様(神様)の物語を知り、その物語から自由になるとき、さらに奥にあることへ意識が向かうようになります。
 

言葉はきっかけを与えてくれるものであり、橋渡しをしてくれるもの。

それ以上でもないし、それ以下でもない。
 

伊勢の旅の記事を書きながら、言葉で表現することの難しさや限界を改めて感じました。

でも限界を知り、自覚できたからこそ表現できることもあるのではないかと思っています。
 

真理や真実は「言葉の制約がないあるがままの姿や物事」であり、これはもう感覚で共有するしかない!

参りました!降参!(笑)
 

そんな潔い感覚を持ちながら、言葉を大切に扱っていきたいですね。
 

正しい、間違いの争いとしての道具ではなく、感覚で真理を共有し合える世界への橋渡しとして。

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最後までお読みいただきありがとうございました!