セオリツヒメ~存在を消された縄文の女神を巡る旅

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「瀬織津姫(セオリツヒメ)」と言えば、、、
 

ここ何年かで、徐々に、そして急速に、

その存在に注目が集まりはじめている神様です。
 

もともと「大祓祝詞(おおはらえのことば)」には登場していましたが、

なぜか「記紀(古事記、日本書紀)」には登場しません。
 

謎の神様とされてきたセオリツヒメ。

なぜ謎だったかというと、記紀に載っていなかったというのもありますが、

もともと御祭神として祀られていた神社から、そのお名前を消されてしまったからです。
 

市杵島姫(イチキシマヒメ)や木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)、菊理姫(ククリヒメ)の名前に変えられてしまったり。

もしかしたら、名前を変えられていただけで、記紀神話にも載っていたのかもしれません。
 

「歴史は勝者によって作られる」

という法則に照らし合わせると、いろいろと想像はできます。
 
 

でも、現在、僕たちが確認できて、その存在をハッキリと、

すなわち「セオリツヒメ」という名で載っている書物があるのをご存知ですか?
 

「ホツマツタヱ」です。
 

ヲシテ文字という神代文字で書かれたこの書物には、

ハッキリと「セオリツヒメ」というお名前が確認できます。

しかも、お名前だけではなく、具体的なエピソードも載っているのです。
 
 

僕自身は、神話や神様に深く興味をもち始めたのがホツマツタヱに出会ってからなので、

それまでセオリツヒメについても、ほぼ知らないといった感じでした。
 

2年半前にホツマツタヱ研究家のいと きょう先生とのご縁を頂いてから、

何度も勉強会に参加させて頂き、

友人と主催するヲシテ同会の作品展では講演会にお招きしたこともありました。
 

昨年夏には、にんげんクラブが主催した「古代史ホツマツタヱの旅Ⅰ」で、

ワカヒメゆかりの地を巡る筑波山ツアーにも参加させていただいたのですが、
 

2月27日(水)に、その続編となる旅、

「いときょう先生と行く!古代史ホツマツタヱの旅Ⅱ瀬織津姫(せおりつひめ)ゆかりの地」があり、

今回も参加させていただきました。
 

メインは瀬織津姫(セオリツヒメ)ゆかりの地である瀧川神社ですが、

その他、伊豆山神社、三嶋大社、大瀬神社含む計四社を巡ります。
 

ナビゲーターにホツマツタヱ研究家のいときょう先生

ゲストに検証ホツマツタヱの編集者の原田武虎先生

特別ゲストに瀧川神社の再建に尽力を尽くされた加々見勝八郎先生(氏子総代)

そしてカメラマンには写真家の奥村暢欣さんをお迎えての豪華な旅です。
 

ホツマツタヱを紐解いていくと、神社巡りはさらに奥深いものになります。

参加した皆さんと現地で感じること、神社で感じることを共有し合う旅。
 

さてさて、どんな旅となったのでしょうか。

両界曼荼羅の出入り口? 富士山と深い関係がある伊豆山神社へ

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集合は熱海駅に7時45分。

少し早めに到着したので、集まった人たちとお話をしていたのですが、

ふと左方向を見ると足湯があるのを発見しました。
 

さすが温泉地。

せっかくだからと足湯に浸かることに。

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10分くらいでしたが、とても気持ちよくて、スッキリしました。

熱海からは貸し切りバスで移動です。
 

みんなでバスに乗り込み、いよいよ出発。

バスの中でも、いときょう先生がいろいろとお話をしてくださいましたが、

最初に訪れる伊豆山神社は15分くらい。

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意外と近くて、すぐ到着してしまいました。

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◎御由緒(引用:伊豆山神社公式HP)

当社はかつて伊豆御宮、伊豆大権現、走湯大権現、伊豆御宮とも走湯社とも称され、略して伊豆山、走湯山と呼び親しまれてきた、強運守護、福徳和合、縁結びの神様です。

祭祀の創なりは遥か上古に遡り、本殿に祀られる木造男神像(平安時代中期、日本最大の神像)は、『走湯山縁起』が応神天皇の御世に相模国大磯の海に出現し、仁徳天皇の御代に日金山に飛来し祀られたと伝える伊豆大神の御神影をあらわしています。
 

その神威の源は、湧き出る霊湯「走り湯」です。

走湯権現とはこれを神格化した呼び名で、伊豆の国名は湯出づる神である当社の神徳に由来します。
 

神威を被るところは、沖合に浮かぶ初島をはじめとする伊豆の島々、伊豆半島、共に二所と呼ばれた箱根や、富士山に及びます。

後白河院御撰『梁塵秘抄』に「四方の霊験所」の一つとうたわれたように、平安時代後期には山岳修験霊場として名を馳せ、顕密神道を学ぶ名高い道場となりました。
 

熊野信仰とも結びつき、全国に末社が祀られています。

平安時代後期、この伊豆山に修行して富士登拝を重ね、富士上人と呼ばれた末大上人は、鳥羽上皇をはじめ貴族と民衆に勧進、富士山に一切経を奉納する偉業を達成しました。
 

伊豆山から富士につながる修行の道は、そののち平治の乱によって伊豆国に配流された源頼朝が、北条政子とともに当社に深い信仰を寄せ、当社の加護のもとで平家を打倒し、鎌倉幕府を樹立して征夷大将軍となるに至る、いわば東国王権神話とも呼ぶべき歴史の舞台になります。

鎌倉将軍の参詣で二所詣の聖地となった当社は、威光を輝かし、格別の尊崇を集め、戦国時代には後北条氏、江戸時代には徳川将軍も崇敬して興隆がはかられました。
 

武家が誓いを立てるときの起請文には、誓詞証明の社として、当社の名が必ず連ねられています。

そうした神徳を讃え、鎌倉三代将軍源実朝が参詣の途に詠じた和歌は『金塊和歌集』に収められています。平安時代の女流歌人として名高い相模や鎌倉時代の阿仏尼も、参詣して百首和歌を奉納しました。
 

その伝統は、仲秋の名月に熱海市が主宰する伊豆山歌会に受け継がれています。

明治維新の神仏分離令により伊豆山神社と改称されてからも、伊豆大神の神威は絶ゆることなく、大正3年1月13日には皇太子であられた昭和天皇、昭和55年9月12日には皇太子浩宮徳仁親王殿下がご参拝になられました。

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◎御祭神

・正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさやあかつかつはやひあめのおしほみみのみこと)

・拷幡千千姫尊(たくはたちぢひめのみこと)

・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)

正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさやあかつかつはやひあめのおしほみみのみこと)

やたらと長い名前ですよね?(笑)
 

ホツマではヲシホミミと呼ばれています。

古事記、日本書紀では、天照大御神と須佐之男命の誓約(うけい)によって誕生した五男三女の神々の一柱ですが、

ホツマでは、アマテルカミ(天照大御神)とセオリツヒメ(瀬織津姫)の間に誕生した子となっております。
 

この伊豆山神社には、ヲシホミミの正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさやあかつかつはやひあめのおしほみみのみこと)という長いお名前(漢字)に託された意味が掲げられています。

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ひとへに ただしく すなほなるを

こころとし かたちとしたまう

こころすなほにして ゆがまざれば

よろづに かつ

そらてらしたまふひのいずるとき

ひはいちなれども くらきやみ

すみやかに きゆるに にたりなり

まよへるたみを あはれみて

よろづをしのび

ゆがめるを あらためて

なほきに おもむくをきき

よろこびたまへば

くにゆたかに ひとさかふ
 

この素晴らしい言葉をいときょう先生が、

「正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさやあかつかつはやひあめのおしほみみのみこと)」というお名前とともに、

ヲシテ文字で書いたものを資料として参加者である私たちに用意してくださっていました。
 

文中の「すなほ(素直)」やお名前にある「かつ(勝)」という言葉をヲシテ文字だと、どう解釈するかをお伝えくださり、

その他の文やお名前をヲシテ文字で感じてみてくださいとおっしゃっていました。
 

私たちは、漢字で解釈することに慣れてしまっていますが、

ヲシテ文字などの神代文字は、日本語(ヤマトコトバ)本来の意味や音を読み解き、

感じることを思い出させてくれます。
 

オシホミミは古事記、日本書紀では詳しい記述はありません。

ホツマでも身体が弱かったと記されていて、あまり目立たない存在だったようです(少なくとも文献を読む限りでは)。
 

でも、チチヒメとの間にアスカホノアカリと、天孫降臨で知られるニニキネを授かり、皇統を繋げました。

(※チチヒメ・・・拷幡千千姫尊(たくはたちぢひめのみこと)、ニニキネ・・・邇邇芸命(ににぎのみこと)ともに伊豆山神社の御祭神となっている神様です。)
 

そして、ハコネ(箱根)の地に身罷られたのです。

箱根神社のご祭神は箱根大神(邇邇芸命、木花咲耶姫命、彦火火出見尊)となっていますが、

もともとは、ハコネ(箱根)の地に身罷られたオシホミミだったのではないかというお話も伺いました。
 
 

鳥居をくぐり階段を登って行くと、

まず右手に伊豆山神統会の祖霊及び家族の御霊をお祀りする「祖霊社」というお社があり、

さらに進むと、右手に足立権現社(あしだてごんげんしゃ)があります。

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◎足立権現者(引用:伊豆山神社公式HP)

御祭神 役小角

例祭日 7月1日

舒明天皇六年、大和の葛城上郡茅原に生まれ神仏両道に渉り行を積み深く学を究め、日本国中の名山高山を開き登り、修験道の祖、開山の祖とも仰がれます。

文武天皇三年、伊豆大島に流刑にされた折、昼は皇命を慎み、夜は飛行の術を駆使し伊豆大権現に飛び来て修行重ねたと伝えられています。

運命開拓の神様と伝えられており古くから足の病に悩む人、足腰の弱い人が祈願したなら神護を受けて強足となるという信仰があります。

熱海駅の東北約1.5キロ。

すぐ左手には結明神社があります。

◎結明神社(引用:伊豆山神社公式HP※写真含む)

御祭神 結明神(日精・月精)

走湯山縁起によれば景行天皇の三十一年、日金山の大杉の中より男女二人の赤ん坊が生まれた。

初島の初木神社の御祭神である初木姫が二子を引き取り育てたが、時を経ずしてたちまち成長し、一女を日精、一男を月精と号した。

後に二人は夫婦となり、日金山に仕えて「伊豆権現氏人之祖」となったと云います。

日精・月精その終没を不知(富士山)から神上がったと記され、後の人たちより結明神として仰がれ祀られたと伝られています。

ご祭神は男女の縁結びを叶えてくれる神様で古くは一名恋祭りという神事があり、各地から集まった若い男女の参列を得て行われていたことが伝えられています。

階段を登り切ると、左手には、赤白二龍(せきびゃくにりゅう)の手水舎

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◎赤白二龍(引用:伊豆山神社公式HP)

伊豆山大神は霊湯「走り湯」を掌る湯泉の守護神にして強運・天下取りの神であります。

また正しい御縁に導きくださり、一切の災からまぬがれ福徳が得られるという御利益があります。

赤白二龍走湯山縁起に拠れば

伊豆山の地下に赤白二龍交和して臥す。その尾を箱根の芦ノ湖に付け、その頭は伊豆山の地底にあり、温泉の湧く所はこの龍の両眼二耳鼻穴口中なり。

とあります。

赤龍は火、白龍は水の力を掌り、二龍の力を合わせて温泉を生み出すという最強の守護神であります。

この赤白二龍の手水舎から少し行くと、左手に電電社があります。

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◎電電社(引用:伊豆山神社HPより)

御祭神 伊豆大神荒魂・雷電童子(瓊瓊杵尊)

例祭日 3月15日

創立年代は不詳ですが、吾妻鏡に「光の宮」と別名があり、鎌倉幕府三代将軍源実朝が再興し、その後暦応4年に足利氏が、慶長17年に徳川二代将軍秀忠が改築、現社殿は昭和10年に内務省によって改築されました。

政治を司り導く神として、源頼朝を始め歴代の将軍家の崇敬が厚く、室町時代には多数の社領を有しておりました。事業、経営、商売繁盛、心願成就、良縁成就、家内安全、夫婦円満、子孫繁栄など、強いご神威をお持ちの神様です。

その側には、道祖神光り石があります。

◎道祖神(引用:伊豆山神社公式HP※写真含む) 

道祖神

進むべき道を見失い思い悩めるとき、困難にぶつかり挫折してしまいそうなとき、一筋の光の如くに正しい道を指し示し、導いてくださる神様です。

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光り石は、さわったり、座ったりすることができます。

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参加者全員で、本殿にて手を合わせます。
 

「ご縁を頂きありがとうございます」

私は最近どこの神社へ行っても、神様にお伝えするのはこの言葉だけです。
 

決意をお伝えたりしていた時期もありましたが、

神様は全てお見通しだと思い、シンプルにこの言葉だけをお伝えしています。
 

本殿に向かって、左わきには頼朝・政子腰掛け石があります。

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「走湯山縁起」という伊豆山の由来を記した書物によると、

伊豆山と富士山は密接な関係にあり、

両界曼荼羅(りょうかいまんだら)の出入り口に当たるそうです。
 

両界曼荼羅とは胎蔵界(この世)と金剛界(大日如来を頂点としたあの世)の二つの世界を表したもの。

伊豆山神社の本宮と走湯は、富士山と伊豆山神社本殿を結んだライン上にあります。
 

手水社にあった赤白二龍は、赤龍の火と白龍の水、「火と水」が出合い温泉が湧いたことを示すものですが、

火(か)と水(み)で「火水(かみ)」です。

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さしずめ、「火水(かみ=神)」の湯というところでしょうか。
 

両界曼荼羅(この世とあの世)の世界を示すという伊豆山神社と富士山の密接な関係。

伊豆という地に深い興味を持ちました。
 

今回はたくさん巡るところもあり、本宮までは行けなかったのですが、今度訪れたときは本宮まで登ってみたいと思います。

瀬織津姫の生誕地?瀬織津姫(セオリツヒメ)をお祀りする瀧川神社へ

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「もしかしたら、この辺りがセオリツヒメ生誕の地なのではないか」

と言われているのが、ここ瀧川神社の辺りなのだそうです。
 

セオリツヒメは水神、祓神、龍神、川神とされていますが、

確かに、ここ瀧川神社の光景はそれを彷彿させるような雰囲気がありました。

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ここ瀧川神社は伊豆国の一宮でもある三嶋大社ゆかりの神社でもあります。
 

実は、2013年にショッキングな事件が起こりました。

放火により、本殿が全焼してしまったのです。
 

「神様の御社を放火するなんて!」

と怒りを覚えるのは僕だけではないと思います。
 

でも、幸いと言いますか、セオリツヒメの御神体は無事だったそうです。
 

再建するにあたって、御社の木材を提供してくれたのは伊勢神宮でした。

伊勢神宮が式年遷宮の後に出た木材を瀧川神社再建にと送ってくれたとのことです。

このことからも瀧川神社の重要性が伺えるのではないでしょうか。
 

瀧川神社再建に奔走されたという瀧川神社の氏子総代、加々見勝八郎さんが、

瀧川神社のこと、放火や再建のこと、参拝の心得や作法などを詳しく教えてくださいました。

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手を合わせた後、皆でアワの歌を奏上させていただきました。

流れる瀧の水音は、全てを洗い流してくれるかのように、静かに、そして深いところに響いてきます。
 

放火から5年と4カ月くらい。

許されるべき行為ではありませんが、それすらも祓い清め、洗い流してくれているかのように感じました。

あらゆる罪穢れを祓い清めるかのような瀧の水音に静かに耳を傾け、内なる神、タマシヰのタマに意識を向けていました。

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ホツマツタヱでは天照大御神はアマテルカミという名で登場する男神で、13人の后がいます。

その13人の后の中で、内宮(正妻)としてアマテルカミを支えたのがセオリツヒメです。

セオリツヒメはオオヤマズミの家系となっています。
 

オオヤマズミ(大山積神、大山津見神、大山祇神)と言えば、

コノハナサクヤヒメやイワナガヒメの父神として有名ですよね。
 

でも、ホツマでの解釈では、オオヤマズミは「大山統み」という意味で大山周辺の地の国守を表す世襲の名前なのだそうです。

コノハナサクヤヒメも同じくこの系統となっています。
 

セオリツヒメがコノハナサクヤヒメに名前を変えられたというお話も、

この繋がりからきているのかもしれません。
 

もしくは、コノハナサクヤヒメがセオリツヒメの生まれ変わりや、

分け御霊的な存在という解釈もなきにしもあらずです。
 

実際に、ヤマトタケ(日本武尊)はソサノヲ(須佐之男命)の生まれ変わりだったとホツマにはあるからです。
 

脈略もなしに名前を変えられたというより、

何らかの意味や繋がりがあったとみてもいいのではないでしょうか。
 
 

セオリツヒメは、タミ(民)の嘆きに耳を傾け、国の乱れを正すために奔走されました。

天岩戸隠れの原因を作ったソサノヲ(須佐之男命)が咎められ、

殺されようとしたときに命を救ったのもセオリツヒメです。
 

縄文時代は1万年以上続いて平和だったと言われますが、

実際に争いや問題などが全くなかったわけではないのでしょう。
 

まだホツマの存在がほとんど知られていなかったとき、

すなわち古事記、日本書紀などの記紀神話をもとに紐解いていかなければならなかったときは、

神話の世界はあくまで神話として別世界のお話でした。
 

どこか歴史としての繋がりが希薄だったのではないでしょうか。
 

少なくとも僕はそうでした。

古事記、日本書紀に馴染めず、ホツマに出会ってから、

逆に古事記、日本書紀にはどのように書かれているのかが知りたくなったからです。
 

ホツマによって、神様は人であり、私たちのご先祖様だったことを知り、

神社には僕たちのご先祖様のタマシヰのタマが祀られているところだと知ったとき、

神様というどこか雲の上の存在だった方々が、より身近に繋がりを持って感じられるようになりました。
 

裏を返せば、私たちヒト(人)も内なるカミ(神)を宿した存在だということです。

カミ(神)でありヒト(人)、ヒト(人)でありカミ(神)。
 

この世界や宇宙には肉体を持たない高次の意識も存在するのでしょうが、

全ては内なるカミ(神)という意識を持ち、宇宙を統べる大いなる法則に沿って存在しています。
 

神、仏、人というように、どこか境界線を引いているのは人間の方で、

神様、仏様という神性に目醒めた存在の方々は、

神、仏、人のような境界線を持った視点で見ていないのではないでしょうか。
 

神性に目醒めれば、目醒めるほど、全ては宇宙を統べる大いなる法則の中にあり、

区別はないという意識で捉えているのではないかと感じます。

伊豆国の一宮である三嶋大社へ

瀧川神社を後にして、昼食を取るためにバスで三島駅方面へ向かいました。

バスの移動中もいときょう先生や原田武虎先生、加々見勝八郎先生から様々なお話を伺います。

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昼食は三島駅近くの「風土」というお店で頂きました。

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「風土」は新鮮な旬の魚介類と地元の野菜を堪能できる和風創作料理のお店です。

店内も落ち着いた雰囲気で、ゆったりと、楽しくお話をしながら、美味しいお料理を頂きました。

1時間ほど過ごした後、バスで三嶋大社へ向かいます。

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御祭神は大山祇命(おおやまつみのみこと)、積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)で、

この二柱の神を総じて三嶋大明神と称しています。
 

大山祇命(おおやまつみのみこと)は前述の瀧川神社のところでも書きましたが、

コノハナサクヤヒメとイワナガヒメの父神ですが、

ホツマツタヱ的にはオオヤマズミは役職名で、セオリツヒメもこのオオヤマズミの家系ということでしたね。
 

積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)は、

出雲の国譲り神話のときに大国主命の御子神として登場します。
 

ホツマでは、オオモノヌシという今でいう防衛庁や警察など国を守る役職の家系で、

コモリとイクタマヨリヒメとの間の子です。
 

ミシマミゾクイの娘のタマクシヒメを娶り、クシミカタマ、クシナシ、タタライスズヒメをもうけます。

このクシミカタマが6代目オオモノヌシで、ホツマツタヱの1~28アヤまでを編纂した人です(29~40アヤはオオタタネコ)。
 

ツミハヤエコトシロヌシは、ミシマミゾクイの娘タマクシヒメを娶ったことから、

三島大神は、このツミハヤエコトシロヌシだとも言われているそうです。

◎御由緒(引用:三島大社HPより)

御創建の時期は不明ですが、古くより三島の地に御鎮座し、奈良・平安時代の古書にも記録が残ります。

三嶋神は東海随一の神格と考えられ、平安時代中期「延喜の制」では、「名神大」に列格されました。

社名・神名の「三嶋」は、地名ともなりました。

中世以降、武士の崇敬、殊に伊豆に流された源頼朝は深く崇敬し、源氏再興を祈願しました。

神助を得てこれが成功するや、社領神宝を寄せ益々崇敬することとなりました。

この神宝の中でも、頼朝の妻、北条政子の奉納と伝えられる 国宝「梅蒔絵手箱 及び 内容品 一具」は、当時の最高技術を結集させたものとして知られています。

頼朝旗揚げ成功以来、武門武将の崇敬篤く、又、東海道に面し、伊豆地方の玄関口として下田街道の起点に位置し、伊豆国 一宮として三嶋大明神の称は広く天下に広まっていきました。

その後、明治4年の近代の社格制度では、官幣大社に列せられています。又、平成12年には、御本殿が重要文化財に指定され、当社の文化的価値の高さも再認識されています。

三島大社の神職さんに、三嶋大社について一通りご説明をして頂きました。

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伊豆は地震が多いので、それを配慮して御社が建てられていることや、

拝殿に掘られた様々な彫刻が物語っている内容についてなどなど。

三嶋大社は一度だけ訪れたことがありますが、知らないことばかりでいろいろと勉強になりました。

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みんなで参拝した後、各自で自由に境内で過ごす時間があり、

僕は拝殿の奥、幣殿と本殿が気になって横からずっと眺めていました。
 

時間となり、次の大瀬神社へ向かうためバスへ戻りますが、

瀧川神社からここまでご一緒した瀧川神社の氏子総代、加々見勝八郎先生とはここでお別れです。

みなで感謝を述べて、大瀬神社へと向かいました。

海の守護神 引手力命(ひきたぢからのみこと)をお祀りする大瀬神社へ

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大瀬埼にある大瀬神社は、引手力命神社(ひきてちからのみことじんじゃ)とも呼ばれます。

御祭神は引手力命(ひきてぢからのみこと)となっていますが、
 

天の岩戸開きのときに、岩戸を開けた天手力男命(あめのたぢからお)と同一の神様だとする説、

引手力命(ひきてぢからのみこと)が海の守護神なのに対して、

天手力男命(あめのたぢからお)が山の神とされていることから、違う神様だという説など意見は分かれているようです。
 

今のところ、同じか、もしくは天手力男命(あめのたぢからお)に近い神様なのではないかというところがニュアンス的にいいような気もします。
 

大瀬神社の創建時期は不明です。

684年に起きた大地震で海底が隆起して「琵琶島」と呼ばれる島が出現。
 

「同じ時期に起きた地震で多くの土地が海没した土佐の国から神がやってきた」と考えた人たちが、

引手力命を祀ったのではないかという説があるそうです。
 

琵琶島は後に砂洲の形成によって、陸続きの島となり大瀬埼となりました。

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勾玉みたいに見えません?

ちなみに勾玉は、ホツマで大切な精神とされている「トの教え」の象徴とされているものです。

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毬(まり=真理)、、、

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子々(獅子)孫々、、、

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神社へ行き、狛犬を見るたびに、

「本当に今まで気づかなくてゴメンナサイだよね」

としきりに思う今日この頃。。

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みんなで参拝した後は大瀬埼の周囲を巡ります。

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御神木は「大瀬埼のビャクシン樹林」のうちの一本です。

推定樹齢1,500年。

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神池は伊豆七不思議の一つとされています。

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この神池、海から最も近いところでの距離は20メートルほどしかありません。

海が荒れた日には海水も吹き込みます。
 

でも、淡水池でコイやフナ、ナマズなどの淡水魚がたくさん生息しているのです。

コイの餌が自動販売機で売っていて、皆でコイに餌をあげました。
 

それにしても風が強い。

打ち寄せては返す波の音からもそれを感じます。

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強い風と打ち寄せる波音、自然の発するエネルギーを直に感じながら歩き続けます。

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早朝からスタートした四社巡りの旅も終わろうとしていました。

この後、お土産を買いながらの休憩時間を経て、三島駅へ向かいます。
 

懇親会は「魚萬」というお店で行いましたが、ここで帰る人とはお別れです。
 

懇親会も、盛り上がりました。

今日という日に集まったかけがえのないご縁を有り難く思いながら、

お酒を呑み、美味しいものを食べ、思い思いに話をして、

笑い声が絶えない時間はあっという間に過ぎていきました。
 

いときょう先生、原田武虎先生、加々見勝八郎先生、奥村暢欣さん、

ツアーを企画してくださったにんげんクラブの方々、ご一緒に参加してくださった皆様、

素晴らしい時間とご縁をありがとうございました。

最後に、、、

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時代が大きく変わろうとしている今、ホツマツタヱの存在は一筋の光として世を照らしています。

古事記、日本書紀でガッチリと固められたところに亀裂が入り、その隙間から、今まで隠されていた日本の真実が姿を現すかのように。
 

どちらかというと、今まであやふやな存在だった神代文字ですが、

ヲシテ文字によって、そのあやふやさが少しずつ確かなものへと変わってきました。
 

全ての神代文字がそうなのかは分かりませんが(そうなのかもしれませんが詳しく知らないので)、

少なくともヲシテ文字には宇宙のエネルギーが具現化されています。

神様のエネルギーが込められているといってもいいかもしれません。
 

だから、名前を変えることで(セオリツヒメのように)、

違うエネルギーとしての神様となってしまうのだと思います。
 
 

スタジオジブリの「千と千尋の神隠し」という映画でも、

ハクという白龍が名前を奪われることで、本来の自分を忘れ去っていました。
 

アニメだからという色眼鏡ではなく、

むしろアニメなどの自由な発想ができるものの中だからこそ真実の片鱗を観ることもできます。
 

名前だけではなく、神話や歴史の正しいイチ(位置、一)も、

まだまだ明かされていないことがたくさんあるように感じます。
 

ホツマはその一役を担うために、いまこの時代に解き放たれ、大きな広がりを見せつつあります。
 

真実が明るみに出るにつれ、今まで隠されていたことに対して怒りを覚える人もいるかもしれません。

でも、それはそれで必要なことだったのだと認め、許すことも必要です。
 

だから、ホツマを学ぶ人が古事記、日本書紀の存在を否定する必要はないと僕は思います。

古事記、日本書紀からも学べることはありますし、必要なピースとしての存在を担っているからです。
 
 

ホツマのトの教えは本当に素晴らしいです。

その教えに照らすならば、ホツマVS古事記や日本書紀という図式は成り立たないはず。

全てが必要なピースだからです。
 

ホツマにせよ、古事記、日本書紀にせよ、感じ取ること、気づくことは人それぞれ違います。

様々なピースを組み合わせ、感じることをどんどん自由に表現すればいいと僕は思います。
 

それを、「こんなことを思ったけど、私なんかが、、、」と口をつむぐのではなく、

伝えることがキッカケとなり、それが誰かの中で新たな気づきとなる可能性だってあります。
 

一つの断片的な気づきというピースが、

もう一つの断片的な氣づきのピースを思い出すキッカケとなるかのように。
 

今までの分離の時代だと、なんとか自分の説が正しいことを証明しようと躍起になっていることがほとんどだと思います。

「俺が真実の書を書く」

「私が真実を証明してやる」

そのために、論争して、蹴落とされないように、必死で知識武装して、心にも武装して。
 

このような分離の時代はもう終わりを迎えようとしています。
 

みなで忘れてしまった真実を思い出していく。

そのような時代へとなっているからです。
 

もちろん、一人ひとりが内なる自分自神と向かい合い、

気づき、乗り越えていかなければならないことはあります。

むしろ、自分でやるしかなく、誰も変わってあげることができないことの方が多いです。
 

これからは、個が全体であり、全体が個であるという統合の時代。
 

僕たちは語り合うことで、波動という粒子をガチっと固めて現実を作ります。

どうせなら、明るく開かれた時代の流れに沿って、地球にとって最善の未来を語り合い、想像(創造)していけるといいですよね。
 

新たな時代へ向け、ホツマツタヱはこれからもっと広がりを見せるのではないでしょうか。

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自分自神へ目醒めていくという一筋の光となって。
 

P.S.今回の旅のナビゲーターを務めてくださった いときょう先生のホツマツタヱのお話が、

YouTubeの「CGS」という番組で視聴することができます。
 

全50回ですが、1回の視聴時間が10分から15分くらい。

チョットしたスキマ時間に見ることもできますよ。
 

下記の動画は、その中の1つで、

「アマテルカミと13人のお妃」

というテーマでお話をされています。
 

もちろん、セオリツヒメも登場しますが、

その当時の時代背景についての興味深いエピソードも知ることもできますよ。