宇佐神宮は謎、意味深(いみしん)、興味深いところ?

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【前回の記事『西へ、西へ、南へ、西へ』~青春18切符4日間の旅④(大分県・薦神社編)の続きです。】

予定にはなく、急遽行くことになった宇佐神宮の祖宮と言われる薦(こも)神社の参拝を経て、宇佐神宮へ。
 

実は、ここ宇佐神宮は、意味深(いみしん)で興味深い要素が盛りだくさん。
 

詳しくは後ほど書いていきますが、

キーポイントとなるのが、

御祭神の一柱としてお祀りされている比売大神(ひめおおかみ)の謎です。
 

何が謎なのかというと、

比売大神という存在が諸説あってハッキリしないのです。
 

にもかかわらず、宇佐神宮で中心となる上宮・外宮ともに真ん中(中心)にお祀りされています

主祭神は八幡大神(応神天皇)とされているのに、です。
 
 

また、「ホツマツタヱ」を紐解くと、

比売大神という存在の重要性に、新たな視点から気づくこともできます
 

皇室から伊勢神宮に次ぐ第二の宗廟(そうびょう※皇室の祖先を祀るところ)とされている宇佐神宮には、

日本の歴史を(深く)理解する上で、重要な要素が詰まっています。
 

宇佐八幡神託事件でも、皇室の祖先神(天照大御神)をお祀りしている伊勢神宮ではなく、

宇佐神宮から皇位継承についての大切な神託が出ています。

それだけ宇佐神宮には重要な神様が祀られているという解釈もできますね。
 
 

一般的な歴史だけでなく、ホツマツタヱから読み解けること、そして実際に訪れたこと、

様々な面から僕なりに感じ取った「宇佐神宮」をシェアしていきますね。
 

あっ、そうそう、この日、宇佐神宮の境内で不思議な出会いがあったんです。

この出会いにより、予定外、想定外の場所へと誘われることに!?
 

こちらについても後ほど書きますが、

まさに、

「神様のお計らい?」

と思ってしまうような出会いでした。

全国4万社の八幡様の総本宮 宇佐神宮へ

10時22分、宇佐駅へ到着です。

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宇佐神宮へ行くバスは10時25分発。

3分しか間がないと、やはりここでもダッシュです(笑)

改札を出るときに、駅員さんにバス乗り場を教えてもらい、バス停へと急ぎます。

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「よかった!間に合った!」

とホッとするも、時間になってもバスが来ません。
 

どうやら少し遅れているようで、バスは5分くらい遅れて到着しました。

宇佐神宮までは約7分。
 

以前から気になっていた宇佐神宮。

「いつか行きたい」

とは思っていたものの、まさか今回、このような形で実現するなんて。

期待に胸を膨らませながら、バスから見える風景を眺めていました。
 

バス停を降りると、右手に宇佐神宮があります。

駐車場沿いに真っ直ぐ進み、

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表参道と看板があるところを右に曲がり、境内へと入って行きます。

何やら看板があるので、見てみると、

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宮本武蔵の兵法二天一流の正統が、

熊本を経て宇佐の地に移されたことを記念して、

碑が建てられ、それに関連することが書かれているようです。

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先に進み、

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右手に桜を見ながら、神橋を渡ります。

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桜の木の下で、園児たちが楽しそうに遊んでいて、

「きゃっきゃ、きゃっきゃ」とはしゃぎ声がこちらまで響いてきます。

子どもの無邪気な笑い声っていいですよね。
 

橋を渡り、少し進むとデンと立派な大鳥居が。

一礼して中へ入り、しばらく真っ直ぐ進んでいくと、左手に手水舎があります。

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なにやら変わったというか、粋な手水舎ではありませんか?
 

この形は三つ巴で、宇佐神宮の神紋となっております。

う~ん、今までいろいろな手水舎を見てきましたが、神紋の形を使っているのは初めて。
 

それに、この三つ巴、個人的に好きなんですよね。

そもそも宇佐神宮とは?~御祭神である八幡大神と神功皇后について詳しく解説!

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宇佐神宮は、全国約4万社ある八幡さまをお祀りする神社の総本宮です。
 

宇佐神宮へ行ったことがある人ならご存じだと思いますが、

宇佐神宮の境内には、たくさんのお社があります。
 

その中で中心となるのが上宮と下宮です。
 

どちらも御祭神は同じで、

・八幡大神(はちまんおおかみ)

・比売大神(ひめおおかみ)

・神功皇后(じんぐうこうごう)

の三柱をお祀りしています。
 
 

主祭神は八幡大神(応神天皇)です。

仲哀天皇の第四皇子で、母は同じく宇佐神宮の御祭神としてお祀りされている神功皇后。
 

神功皇后は夫である仲哀天皇の急死後、

お腹の中に新たな命(応神天皇)を宿したまま海を渡り朝鮮半島に出兵します(三韓征伐)。

神託で新羅征討の託宣が出たためです(仲哀天皇の生前と死後の2回も)。
 

新羅は戦わずして降伏。

高句麗・百済とともに朝貢を誓ったと言われています。
 
 

帰国後、神功皇后は筑紫の宇美で無事に出産。

そうそう、神功皇后の母は、新羅から渡来した天之日矛(アメノヒボコ)の玄孫タカヌカヒメというお方。

新羅は祖先の国でもあるんですよね。
 
 

三韓征伐により、朝鮮半島との交流が活発になったこともあって、
 

応神天皇の在位中には、

渡来系氏族として大きな影響力を持った秦氏の祖「弓月君(ゆづきのきみ)」、

千字文、論語を伝えたという「王仁(わに)氏」など様々な渡来人が日本にやってきます。
 

大陸から様々な文化や技術が入って来た時代であり、

応神天皇はそれを積極的に受け入れ、日本に導入した天皇だったようです。
 
 

宇佐神宮のご由緒によると、応神天皇が八幡大神のご神霊とし、宇佐の地に表れたのは571年(欽明天皇の時代)。

現在の地にお祀りしたのが725年(神亀2年)。

これが宇佐神宮の創建となります。
 
 

八幡大神がどのような神様かというのは、

・もともと宇佐氏の地主神のような存在

・応神天皇

・八幡大菩薩(神仏習合)

・武家の守護神
 

というように諸説あって、どれが正しいかというより、

時代と共に様々な面を併せ持つようになった存在と見なした方がよさそうです。
 

これは宇佐神宮に限らず、日本の場合よくあるパターン(?)といってもいいのかもしれません。

もともと日本には産土神という土地の神様がいらっしゃいますので。
 

生まれた場所や今住んでいる近くの神社に参拝した方がいいと言われているのは、

その神社に祀られている神様だけではなく、その土地に宿っている土地の神様にもご挨拶することになるからです。
 

昔だったら地主にご挨拶に行くといったところでしょうか(笑)

そもそも宇佐神宮とは?~謎の御祭神?比売大神について詳しく解説!

と、ここまで、御祭神の二柱である応神天皇と神功皇后について書いてきましたが、

もう一柱の神様である比売大神について、
 

ちょっと「?」で不可思議な点が!?

宇佐神宮では、こちらの三柱の神様を、

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一之御殿【八幡大神(応神天皇)】、

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二之御殿【比売大神】、

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三之御殿【神功皇后】と右から並ぶようにお祀りしているのですが、

なぜか二之御殿(比売大神)が真ん中(中心)に置かれているのです。
 

なぜ、これが「?」で不可思議なのかというと、冒頭でもチョット触れましたが、

宇佐神宮では主祭神を八幡大神(応神天皇)としているからです。
 

「本来なら、八幡大神(応神天皇)が中心(二之御殿の位置)に置かれるのが筋では?」

となります。
 

「じゃあ、主祭神である八幡大神を差し置いて、中心にお祀りになられている比売大神とはどなたですか?」

ということなのですが、
 

宇佐神宮では、

・多岐津姫命(たぎつひめのみこと)

・市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)

・多紀理姫命(たぎりひめのみこと)

の三柱の神様としています。
 

天照大御神と須佐之男命(すさのおのみこと)の誓約(うけい)によって生まれたとされる神様で、

宗像三女神(むなかたさんじょしん)という名で聞き覚えがある人もいるかもしれません。
 

古事記、日本書紀の神話とされるエピソードで登場する神様なので、

もう二柱の神様(応神天皇、神功皇后)よりも時系列的には断然古いのは確かです。
 
 

宇佐神宮のご由緒によると、

・神代に比売大神が宇佐嶋に降臨したと日本書紀に記されている

・八幡神より古く、地主神として祀られていた

ということが記されています。
 

日本書紀に記されているというのは、

第六段一書(三)にあるこちらの箇所です。
 

卽以日神所生三女神者、使隆居于葦原中国之宇佐嶋矣

日本書紀の原文は漢文なので、どのように読み解くかで解釈も若干変わってきますが、

「日神(天照大御神)が生んだ三女神を葦原中国の宇佐嶋に降ろした」

というところでしょうか。
 

八幡神より古く、地主神として祀られていた、ともありますが、

三女神が宇佐嶋におろされたのが神代なので、
 

「そのまま地主神として祀られていた」とも、

「もともとお祀りしていた地主神に三女神が習合された」とも解釈できますね。
 
 

宇佐神宮の奥宮と言われている大元神社がある御許山(おもとさん)の山頂には、

磐座(いわくら)が3つあります。
 

禁足地なので立ち入ることはきませんが、

この磐座を依代(よりしろ)として、三女神が降臨したとも言われています。
 
 

さて、ホツマツタヱではどうなっているのでしょう?

今回の旅の広島県・厳島神社編でも書いた通り(『西へ、西へ、南へ、西へ』~青春18切符4日間の旅③(広島県・厳島神社編)

誓約(うけい)という不思議な現象で生まれた神様ではなく、

アマテルカミ(天照大御神)と13人いるお妃の1人であるハヤコとの間に生まれた子どもとなっています。
 

モチコ、ハヤコ姉妹はアマテルカミ(天照大御神)のお妃(北の局)でありながら、素行の悪さを咎められ、

セオリツヒメに、三姫とともに、宇佐のアカツチのもとへ行くように命じられます。
 

(広島県・厳島神社編)でも書きましたが、

アカツチは、ソサノヲが妻にしようとしたハヤスフ姫の父です。
 

ソサノヲは父アカツチの了承は得るものの、兄のアマテルカミからは許しをもらえず、

この結婚は破談となってしまいます。
 

また、アカツチは後にソサノオが妻とするイナダ姫の父アシナツチの兄です。

アシナツチは、古事記や日本書紀の八岐大蛇の話で、須佐之男命が老夫婦と少女を助けたときに登場します(老夫婦の夫)。
 
 

日本書紀にある「天照大御神が三女神を宇佐嶋に降ろした」というくだりは、

ホツマツタヱに置き換えると、アマテルカミ(天照大御神)の内宮であるセオリツヒメによって、

母ハヤコと姉のモチコと共に、宇佐へと行くように命じられたということになります。
 

どちらが本当かというのは、確かめようがありませんが、

ホツマツタヱの視点で見ると、伝承というチョット曖昧なものが、

よりリアルに捉えることができますね。
 
 

誓約(うけい)から生まれた女神と、

実際にアマテルカミ(天照大神)とお妃のハヤコとの間に生まれた子どもとでは、

意味合いが違ってきます。

やはり、血縁という重みが出でくるので。
 
 

古事記、日本書紀では、神様として、

ホツマツタヱでは実在した人間として、

描かれているという大きな違いがあります。
 

「神様が人間だったなんて!?」

と思う人もいるかもしれませんが、
 

古事記、日本書紀を見ても分かるように、

日本の神様って、いわゆる西洋の完全なるGOD(神)とは違いますよね。
 

僕たち人間のように欠点があり、イケてないところもあり、ときには悪意に染まったり。

まるで、人生に挫折しては立ち上がり、成長していくという僕たち人間の人生そのもののようにさえ思います。
 
 

僕がイメージするホツマツタヱに登場する方々(神様ではなく、人間として描かれている方々)は、

僕たち現代人より、はるかに霊性、神性が高かったのではないか、と思っています。
 

人間と言うと、現代人の感覚で捉えてしまい「神様が人間???」となってしまう面もありますが、

人間だけれど、神様のような神性を備えていた存在だったのではないかなと。
 

もちろん、色々な事件を起こしたりもするので、全てが清廉潔白のようには言い難いのは確かです。

ただ、古代の人より現代人が優れているという思い込みが(思い込まされているところが)僕たち現代人にはあるような気がします。

神話の世界を実際の史実の時代区分に合わせるとしたら?

神話がどこまで史実のなのかは諸説あるところですが、

縄文時代・・・前14000年~前4世紀

弥生時代・・・前4世紀~3世紀

となっている枠に当てはめるとすると、、、
 

一般的に初代天皇と言われている神武天皇の即位が前660年。

この時点で縄文時代となりますので、

それより以前の神話の神々は、およそ縄文時代だったのではないかと推測できます。
 
 

神功皇后、応神天皇は古墳時代になりますので、

比売大神が三女神で縄文時代の神々であり、

天照大御神の血縁関係にある娘たちだったとしたら、

本殿の中心位置にお祀りされるのも頷けるかなと思います。
 

ただ、ハッキリと主祭神としないのは、

一般的に伝わっている伝承が曖昧だからか、

あえて、曖昧にしているのかのどちらかなと。
 
 

現在の神社の在り方は、律令制によって国の体制を作っていくときに完成した古事記や日本書紀がもとになっています。

この体制を作る上で古事記、日本書紀が必要だったからです。
 

国を統治する上で仕方なかった面もあったのでしょうが、

先祖(神様)の本来の位置を捻じ曲げてしまった面があったと僕は思っています。
 

縄文から弥生、古墳、飛鳥時代(律令制)へと移行するにつれ、

もともとあった日本の純粋な精神性が薄れ、脇に追いやられてしまったからです。
 

セオリツヒメが隠され、御祭神から消されたり、別の神様に名前を変えられたりしたことが、

なによりそれを物語っているのではないでしょうか。
 
 

ホツマツタヱを紐解くと、

アマテルカミ(天照大御神)やその前の時代でも、国や人心が乱れたり、ハタレの乱という反乱が起きたことが分かります。
 

縄文時代は1万年以上続き、平和だったと一般には言われていますが、

時代が下るにつれて、国や人心、精神性が乱れていったのではないかと思います。
 

縄文時代から弥生時代に急激に社会(在り方)が変わったというより、

徐々に乱れが生じ、それが大きくなって、在り方が全く変わってしまった、のではないかなと。

下宮を参拝

手と口を清めて、そのまま真っ直ぐ進みむと、

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下宮(げぐう)と書かれている看板が。

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階段を上がり、一礼して鳥居をくぐり、少し進むと門があります。

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それにしても、今日は光がスゴイ!

あちらこちらで美しい光の膜を見ることができます。

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門をくぐり、道なりに進み、右に曲がります。

そのまま真っ直ぐ進んでいくと、右手に外宮があります。

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先程も書きましたが、

左が、一之御殿【八幡大神(応神天皇)】、

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中央が、二之御殿【比売大神】、

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そして、右が三之御殿【神功皇后】です。

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一之御殿から順番に手を合わせていきます。
 

「ご縁をいただきありがとうございます」

とお伝えして、しばらく目をつむっていると、

光のシャワーがたくさん降ってきて、爽やかな風が上から下へ吹いているような感覚がしていました。
 

天気がいいからというわけではなく、目をつむっていても、

ものすごい光のシャワーが降り注いでいる映像と体感を感じるのです。

厳島神社のときと同様、カラダの周囲、上の方が喜んでいるのが分かります。
 

しばらく、下宮内の雰囲気を感じた後、入ってきたときにくぐった門の方とは別の鳥居から下宮を出ます。

上宮を参拝

そのまま道なりに進んでいくと、上宮に到着です。

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一礼して、鳥居をくぐり、門をくぐると、左手に神井があります。

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下宮と同じく左が、一之御殿【八幡大神(応神天皇)】、

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中央が、二之御殿【比売大神】、

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右が、三之御殿【神功皇后】です。

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それぞれに手を合わせ、「ご縁をいただきありがとうございます」とお伝えしました。
 

下宮のときと同じ体感。

たくさんの光のシャワーが降り注ぎ、爽やかな風が上から下へ吹いてくる感覚に身を任せていました。
 

カラダの周囲や上の方で感じるこの感覚が心地よく、気持ち良すぎて、たまらなく嬉しい気分になります。

今まで感じたことのないカラダの周囲のところ、上の方へと意識が広がっていく感覚。

この旅に来てから、この感覚が研ぎ澄まされていくようです。

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拝殿の向かい側には、御許山に鎮座する大元神社遥拝所があります。

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宇佐神宮の神様の御計らい?不思議なご縁が繋がり、まさかの英彦山へ

たくさんの人が、参拝に来ていましたが、広い境内を歩いていると、ほとんど人がいない御社や場所があります。

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境内をブラブラと歩いていたら、

外れの方?

もしかしたら、宇佐神宮の外にきちゃったのかなというところに来ていました。

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長い階段の前で、休憩がてら、ボーっと立っていると、

「こんにちは」

と左のから声がします。
 

声の方を見ると、初老の男性が立っています。
 

挨拶を返して、

「ここも宇佐神宮に関係あるところなのですか?」

と私が聞くと、

ここは、宇佐神宮がもともとあったところだよと教えてくれました。
 

大らかで、包み込むような雰囲気を醸し出している初老の男性は、

「ご一緒にどうですか?」

と言ってくれて、私もなんとなく、

「あっ、はい」

とついていくことに。

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かなり長い階段を上がり、御社に到達すると、

「せっかくだから中へ入りましょう」

と扉を開けて招いてくれます。
 

「私のやり方(参拝)は古代の方式に沿ったものでね」

とやり方を教えてくれる男性の仕草を真似てみます。
 

「私の少し後ろへ立って、見よう見まねでいいから一緒にやってみてください」

そういうと、独特な作法に則ったお祈りが始まり、祝詞も挙げてくださいました。

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参拝が終わると、

「これからどちらへ行かれるのかね?」

と聞かれたので、
 

「東、、東京の方へ戻りながら、今晩は途中下車して、もう1泊します。ただ、先程、知り合いから、英彦山をご案内したいと言われてるのですが、時間的に厳しいからお断りしようと思って」

と私が答えると、

男性は英彦山と聞いて、関心があるらしく、事情を聞いてきます。
 

フェイスブックで繋がっている福岡の淳子さんから、

英彦山をご案内したいですとメッセージをいただいていたのですが、

今回は時間的に無理かなと思っていたのです。
 

「よし、わしが英彦山まで車で連れてっちゃる。そのお友達に連絡してみい」

男性がそう言うので、淳子さんに電話してみます。
 

実は淳子さんとは、まだ会ったことがないばかりか、電話でお話をするのも初めて。

僕が経緯を伝えると、淳子さんも驚いたようで、今日、英彦山で会うことになったのです。
 

思いがけない展開になりましたが、予定になかった英彦山へ向かうことになりました。

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宇佐神宮を出発前に、せっかくだからと男性が撮ってくれた写真です。

満開の桜と青空がなんとも美しい。

『西へ、西へ、南へ、西へ』~青春18切符4日間の旅⑥(福岡県・英彦山 高住神社編)