そもそも言葉って?

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「言葉ってなんだ?」

と最近思ったりします。
 

あっ、僕が「言葉」を使ってお仕事させてもらってますから、余計になんですね。
 

例えば、神代文字。

私が馴染み深いヲシテ文字を例に取ると、

ヲシテ文字は、母音が宇宙の五元素を、子音がその五元素のエネルギーの状態を表しています。
 

まあ、エネルギーと言っても、アタマでは分からないことではありますが。
 

とにかく、宇宙のエネルギーのバイブレーション、波動をカタチにしたものがヲシテ文字で、

言葉ってもともと神聖なものだったと思うのです。
 

で、コミュニケーションを取ったりするのに、便利なので発達してきた面もあるのですが、

いつの間にか、相手を支配するため、自分が優位になるために使われるようになってきました。

書物、特に歴史書などを見れば明らかではないでしょうか。
 

「歴史は勝者が作る」

とも言われますしね。

溢れる情報の中にある「真実」と「嘘」の対立

現在は、SNSなどで誰もが自由に思っていることを発信できる時代です。

ネットの中には、情報がたくさん、洪水のように渦巻いていますよね。

意図や意志もなく(自分軸がなく)検索してると、あっという間に、情報の渦に巻き込まれ、何が何だか分からなくなるという人もいるのではないでしょうか。
 

「言葉による分離」

これを僕たちはずっとやってきました。
 

「これが真実で、あれは嘘」

という感じで。
 

そこまで露骨ではなくても、僕たちの中には、

「自分が正しくて、あの人の言っていることは間違っている」

というようなジャッジ(判断)が少なからずあったりします。
 

もともと、一つの球体のような存在だった私たちの意識に刻んできた分離の線は、

無意識レベルの細かいところまで細かい枝葉のように伸びていて、

注意深く現実を観察していないと、見過ごしてしまうことも。
 
 

例えば、僕自身、「ホツマツタヱ」を学び始めた頃のことです。

もともと、「古事記」や「日本書紀」に興味がなかったこともあり、

しかも、「ホツマツタヱ」がその二書の原本である可能性が高いというお話を聞いて、

「古事記」や「日本書紀」が間違いで、「ホツマツタヱ」が正しいという氣持ちが少なからずありました。
 

でも、ホツマツタヱを学び、その宇宙観や教えに触れ、

神聖幾何学に触れるようになると、入ってくる情報や認識も変わり、

その「正しい」「間違い」というジャッジそのものが分離そのものだと氣づくようになりました。
 

というか、正直、どの書物が「正しい」「間違い」と言い合うこと自体、くだらなくて、どうでもいいと思っています。
 

僕が「ホツマツタヱ」を学び続けているのも、教わっている いときょう先生が「古事記」「日本書紀」と対立しないという姿勢を取っているのも大きいです。

もし、学んでいる先生が「ホツマツタヱ」が絶対に正しくて、「古事記」「日本書紀」が間違いと言っていたら、

最初の物珍しさだけで、途中で嫌になっていたかもしれません。
 

目に映るものは全て「真実」へと至るシンボルであり、パズルのピースのようなもの。

何かに絶対的な力を持たせると、「自分軸」という最も大切なものを失います。
 

あっ、「自分軸」は自我ではないですよ。

天地を繋ぎ、「真理」へと至る大切な自分自身の御柱ですから。 

あなたが感じることが、いま現在のあなたの「真実」です。

令和になって元号も変わりました。

日本だけでなく、世界、地球が、統合、融合という大調和の時代へと向かっています。
 

多くの人が「真実」を証明しようと躍起になってきたのが、今までの時代です。
 

でも、「真実」とは、その時に、それぞれの人が感じているもの。

決して、押し付けるものではなく、それぞれの人が、それぞれのタイミングで感じる「真実」を通し、

段階を踏んで、「真理」へと向かっていくものだと僕は思います。
 

僕たちは外(他人)を見ることで、分離してきました。

そのために自我という分身を生み出し、地球でたくさんの経験をしてきました。
 

「他人との違い」

これこそが自我が存在する理由。
 

例えば、「劣等感」と「優越感」という相反するものがありますが、この2つの根底にあるものは同じ。

「無価値観」です。
 

「あの人はすごい!でも、私なんて、、、」

他人より劣っていると感じるから「無価値観」があるのは分かりやすいですよね。
 

でも、「優越感」も同じ。

他人より優れていると感じることで、「無価値観」という欠けた意識を埋めているということになりますから。
 

こんな感じで、日常(現実)を細かく観ていると、自分自身の中にある分離(ジャッジ)の意識は至る所にあることが分かります。
 

「統合、融合、大調和」と聞くと、何かスゴイことをしなければならないと思う人もいるかもしれません。

でも、一人ひとりが自分自身と真剣に向き合い、分離(ジャッジ)の線を消していくことが大切で、

「何かスゴイことをしなければならない」

というわけではないということです。
 

「内なる調和が外に映し出される」

言葉にすると簡単ですが、これが中々難しいのは僕自身も感じています。

でも、結局行き着くのはそこで、外には何もない。

全ては自分の中にある。
 

大調和、統合、融合と聞くと、誰かに合わせなければと外に意識が向きがちです。

でも、全ては自分の内にある。
 

いま現在感じている「真実」は、「真理」から遠いかもしれないけれど、

自分自身の内にある「真実」を通し、段階を踏んでいかなければ「真理」には至れない。
 

全ては「自分自神」の中にある。
 

あなたにとっての「真実」はなんですか?
 

誰がなんと言おうと、それがいま現在のあなたにとっての「真実」です。

でも、それは他人に押しつけるものではなく、あなたが「真理」へと至る大切な道標となるもの。
 

いろいろと出てくるまま書いてきましたが、これは自分自身にも言えること。

いま感じていることを表現することは、とても大切なことだと思っています。
 

これからはアタマではなく、ハートの時代。

知識、理論ではなく、それぞれの人が感じていることを表現することで、

凝り固まった今までの「論理の枠」を外すことができます。
 

でも、自分自身が感じていることに蓋をして、当たり障りのないことばかり表現していても、この「論理の枠」は外せない。
 

言葉を「正しい」、「間違い」の分離(ジャッジ)の手段として使うのではなく、調和のために使って生きたい。

そう強く感じる、今日この頃です。
 

“あなたにとっての真実”という最も大切な自分自神の声をぜひ表現してみてくださいね。

ちょっとずつ、少しずつでも。