創作とは何なんだろう?

新月でもある7月3日(水)の日、上野の東京都美術館にて開催されているZEN展に行ってきました。

出展されているオルゴナイト作品「コノハナサクヤ」を観るためです。
 

作者である勾玉オルゴナイト工房のデザイナー&クリエイター千葉由紀子さんがこの作品に込めた想い、

物語を感じ取り、この作品を観に集まった人たちから放たれる解釈でさらに見方や視野が広がるのを感じた時間と場。

そこで感じたことを記事にしようと思って、ふと最初に出てきたのが、

「創作とは何なんだろう?」

という言葉。
 

見出しに添えました。
 

創作、創造、表現、、、

言い方はいろいろありますし、時代によっても違うでしょうが、
 

「真理や真実というものに触れたい、思い出したい」

と、いう想いが全ての人の中にあるのではないかと思います。
 

タマシイの奥底にある想い。

その想いの現れが、人を表現という創作に駆り立てていくのではないかとも。
 

コトバ、アート、それが、どのような表現やカタチであれ、

人が生きるということそのものが「表現という創作」といってもいいのかもしれません。
 
 

創作にはテーマがあり、そのテーマに沿って受け取った想いやインスピレーションをカタチにしていきますよね?
 

この日、僕が観た作品から感じ取ったのは「大いなる祈り」

コノハナサクヤ姫という富士山と深い関わりがある女神を通しての大いなる祈りです。

「ホツマツタヱ」という書物に沿って、描かれたというこの作品に込められたものとは何だったのか?

それを観て僕が感じ取ったこと、そこに集まった人の解釈を聞いて感じ取ったこととはどんなことだったのか?
 

思うまま、感じるままに書いていきますね。

そもそも、コノハナサクヤ姫とは?

コノハナサクヤ姫はいわゆる神話で登場する女神です。
 

「古事記」では、木花之佐久夜毘売、「日本書紀」では、木花開耶姫、

「ホツマツタヱ」では、コノハナサクヤヒメと、書物によって、呼び方や表記に違いがあります。
 

で、もう少し詳しく書くとすると、この「コノハナサクヤヒメ」というのは別名(讃え名)で、

本名はというと、

「古事記」では、神阿多都比売(かむあたつひめ)、「日本書紀」では神吾田津姫、神吾田鹿葦津姫(かむあたかあしつひめ)、「ホツマツタヱ」では「アシツヒメ」となっています。
 

ちなみに「ホツマツタヱ」はヲシテ文字という神代文字で記されているので実際はこうです。

記紀神話での概略

コノハナサクヤヒメが、記紀(古事記、日本書紀)でどのように描かれているのかをザックリと簡単に。
 

コノハナサクヤヒメはオオヤマツミノカミ(大山津見神)の娘で、ニニギノミコト(邇邇芸命※天照大神の孫)のお后です。
 

オオヤマツミノカミにはもう一人の娘、イワナガヒメ(石長売比※コノハナサクヤヒメの姉)もいましたが、選ばれたのはコノハナサクヒメだけ。

イワナガヒメは容姿が醜いとの理由で断られてしまったからです。
 
 

コノハナサクヤヒメは一晩でニニギノミコトの子を身ごもりますが、

ニニギノミコトは本当に自分の子どもなのかとコノハナサクヤヒメに疑いを持つようになります。
 

「本当にニニギノミコトの子なら無事に産めるはず」

とコノハナサクヤヒメは小屋に籠り、なんと火を放ってしまうのです!
 

しかし、無事に三柱の神を産んだコノハナサクヤヒメは、

ニニギノミコトの疑いを晴らし、身の潔白を証明することができました。

ホツマツタヱではどう描かれているの?

「ホツマツタヱ」では、もっと詳しく描かれています。

例えば、

「なぜ、コノハナサクヤヒメと呼ばれるようになったのか?」

ということも読み解くことができます。
 

実は、ここが作者である千葉由紀子さんが、このオルゴナイト作品「コノハナサクヤ」で表現したいポイントでもあるんです。

ニニキネ(※ニニギノミコトのこと。ホツマツタヱでは若干呼び名が違います)に断られたことで、

イワナガヒメと母はアシツヒメ(コノハナサクヤヒメ)を恨み、偽りの話をニニキネに伝えます。
 

記紀にもあるように、

「一晩で身籠ったのはおかしい。ニニキネの子ではないのではないか」

ということですね。
 

このとき、ニニキネは白子の宿にいましたが、この話を聞き、伊勢に帰ってしまいます。
 

アシツヒメ(コノハナサクヤヒメ)は追いかけていきますが、松坂でせきとめられてしまうことに。

一人とぼとぼと白子の宿に帰ってきたアシツヒメは、桜に話しかけ、誓いを立てます。
 

「桜よ、もし心があるならば、、、私の妊娠があだ種(他の人の子)なら、しぼんでしまいなさい。でも、もし、まさ種(ニニキネの子)であるならば、子を産むときに咲いておくれ」
 

桜を植え、故郷に帰ったアシツヒメは6月1日(旧暦)に三つ子を産みます(このZEN展を訪れた7月3日がなんと旧暦の6月1日!)。

その胞衣(えな)の模様は、梅、桜、卯の花模様の順へと変わっていきます。
 

これはニニキネが旅の途中でかざした花模様の順番と同じだったのです。

そのことを知っていたアシツヒメはニニキネに伝えますが、返事はもらえず。
 

アシツヒメは、富士山の裾野にうつ室(むろ)を作り、生まれた三つ子とともに中に入り、火を放ちます。

「もし、この子らがあだ種(他の人の子)ならば、私と共に滅んでしまうだろう」と。
 

これを見ていたタツタ姫の神が、水を吐きかけ助けるのです。

この知らせを聞いたニニキネは、姫のもとへ向かい、急使を送りますが、アシツヒメはニニキネを恨み、答えようとしません。
 

ニニキネは考え、アシツヒメに和歌を送ると、その歌を見た姫の恨みの涙は溶け落ち、2人は仲直りするのです。

アシツヒメが三つ子を産んだ日より、誓いを立てた白子の桜の花は絶えることがなかったので、コノハナサクヤ姫という名を賜わったというわけです。

オルゴナイト作品〈コノハナサクヤ〉とは?

ここまで、コノハナサクヤ姫についての物語を簡単にご説明してきましたが、

この「ホツマツタヱ」の物語に沿って創られたのが、オルゴナイト作品〈コノハナサクヤ〉です。

作者は勾玉オルゴナイト工房のデザイナー&クリエイター千葉由紀子さん。

彼女は勾玉のオルゴナイト作品を主に手掛けていますが、

このZEN展では、今まで様々なオリジナリティー溢れる作品を生み出してきました。

それぞれの作品の根底にあるのは、ヤマト(日本)、そして神様に対しての想いであり、大いなる祈りです。

その想いをカタチにし、表現することに活かしているのが彼女が学んでいる「ホツマツタヱ」や「神聖幾何学」の叡智。

「コノハナサクヤ」は富士山と勾玉が一対となったオルゴナイト作品です。

富士山とコノハナサクヤ姫の関わりは、富士山本宮浅間大社の御祭神となっていることからも分かりますが、

もともと祀られていたのは富士山の神霊である浅間大神で、

後にコノハナサクヤ姫を浅間大神と同じ存在として祀ったというのが一般的な解釈となっています。
 

これは、火の中で出産したコノハナサクヤ姫を「火の神」として祀ったともあり、

火を鎮める「水の神」として祀ったともあり、解釈が曖昧となっているようです。
 

ただ、先ほど書いた「ホツマツタヱ」の話を読み解くと、この一般的な解釈の曖昧さが解消されます。
 

なぜなら、

コノハナサクヤ姫がうつ室(むろ)を作って、3つ子と共に籠って火を放ったのが富士山の裾野で、

助け出された後、連れていかれたのがサカオリの宮という富士山の麓にある御宮だからです。
 

富士山本宮浅間大社がある富士宮市には大宮の地名が残っていて、サカオリの宮はここにあったのではないかとも言われています。

また、タツタ姫の神が水を吹きかけて火を消したという記述から、火を鎮めた「水の神」と関連していることも分かりますね。
 
 

「富士山本宮浅間大社記」によると、浅間大神を祀ったのは第11代垂仁天皇の御代となっていますが、遡ること、初代神武天皇の祖父の母がコノハナサクヤ姫です。
 

そして、「ホツマツタヱ」には、コノハナサクヤ姫が身罷った(みまかった)後、

アサマの神となったという記述もあり、アサマの神とコノハナサクヤ姫が同じ存在だということがここからも読み解くことができます。
 
 

「ホツマツタヱ」では富士山のことをハラミ山と呼びます。

ハラミ山の頂上には右巻きと左巻きが合わさったハート模様の渦。

宇宙の創造神アメミヲヤが「ウー」と吐いた息吹により左巻き(ア・陽)と右巻き(ワ・陰)の渦が生まれ、それが合わさるとハート模様となります。

ビックバンを表しているというこの図は、ホツマツタヱ研究家のいときょう先生がフトマニを研究していて浮かんだイメージで、このア(陽)とワ(陰)が合わさったハート紋様が世界中にあることに気づいたそうです。
 

詳しくは、いときょう先生の新刊「フトマニと北欧の女神ゲフィオンから読み解く古代人の宇宙観と文字生成の原理」に載っています。

このハラミ山(富士山)の頂上にあるハートの渦は内部にあるポイント水晶へと繋がり、地底まで続いています。

写真では分かりづらいのですが、地底(底)にはマグマと共に描かれている不死鳥(フェニックス)が。

富士山は日本人にとって特別な存在であると同時に火山でもあります。

僕にはフェニックスがマグマの活動を押えてくれているようにも映りました。

こちらも写真では分かりづらいのですが、底の角に勾玉のカタチをしたガラスドームがあります。
 

三角なので3つ。

そう、コノハナサクヤ姫の三つ子。
 

三つ子のタマシヰ(たましい)を現しているかのようです。

ガラスドームの中には、五次元生命体とも言われるガンズ水(銅、亜鉛、鉄)のエッセンスがそれぞれ含まれています。
 

また、ハラミ山の周りには、花が家紋のように描かれています。

コノハナサクヤ姫が子どもたちを産んだときに現れた花模様。
 

順番に、

「梅」

「桜」

「卯」

花びらは全ての花が五枚。

五は中心、カミを現す数字で、渦を起こす数霊。
 

よく見ると、赤(火)と青(水)の勾玉が花模様の奥にあることが分かります。
 

火と水。

そう、うつ室(むろ)で「火」に包まれ、タツタ姫の神の「水」で助けられた子どもたち。
 

その子どもたちを守るように、ハラミ山の周囲をぐるりと虹色に輝く白龍の姿をしたタツタ姫の神が美しく旋回しています。
 

このハラミ山(富士山)のカタチは正四面体。

正四面体は火のエレメントを表し、それが集まったものが立体フラワーオブになります。

真理、元一つを現しているというフラワーオブライフ。
 

そのワンピース(かけら)である正四面体を富士山のカタチにしたのは、

「この作品で表現したことも解釈の一つであり、日本中、世界中にある神話や文献の書かれていることは視点、角度が違うだけかもしれない」

という作者(千葉由紀子さん)の想いと、

「お互いが認め合い、尊重して、全ては一つであることを思い出し、大きな生命の花となるように」

という大いなる祈りが込められています。
 

ハラミ山(富士山)と一対になっている勾玉は、白子の不断桜を入れた鮮やかな桜色。

「アシツヒメが三つ子を産んだ日より、誓いを立てた白子の桜の花は絶えることがなかったので、コノハナサクヤ姫という名を賜わった」

ということを先程も書きましたが、それを象徴するかのような鮮やかな桜色の勾玉です。
 

ありきたりな表現ですが美しい!

ハラミ山(富士山)が宇宙的な色合いをしているので、この鮮やかな桜色とのコントラストがまた双方の存在、美しさを引き立てます。
 

このハラミ山(富士山)の内部で右巻きの渦が巻かれていて、頂点に手を当てると上昇気流の渦のエネルギーが起こっているのを感じます。

そして、作品の土台となっているターンテーブルは左回転。
 

双方のエネルギーで陰陽のバランスを取っています。

エネルギー調整をしているのか、時折、ターンテーブルが止まったり、遅くなったり、早くなったり。
 

富士山という日本人にとって特別な存在をモチーフにした千葉由紀子さんの新作「コノハナサクヤ」は、まるで、大きな変換期を迎えている日本や世界を象徴するかのような存在感があります。
 

先程も書きましたが、千葉由紀子さんは、神話という私たち日本人にとって大切な物語を、あくまで一つの解釈という観点をもちつつ、表現しています。

それぞれの想いや表現を認め合い、元一つだということを思い出すという祈りを込めて。
 
 

上野の東京都美術館で開催されているZEN展には、さまざまなジャンル、さまざまなアーティストさんの素晴らしい作品が展示されています。

その中で、ときにゆっくり、ときに止まりながら、左回転で回っているオルゴナイト作品「コノハナサクヤ」。

それはまるで、作者である千葉由紀子さんの想いや祈りのエネルギーを静かに、そして厳かに放っているかのようです。

その想いや祈りに呼応したハラミ山(富士山)やコノハナサクヤヒメと一緒になって。

「全ては一つ。元一つ。大きな生命の花となりますように」と。
 
 

ZEN展の開催は7月8日(月)まで。

開催場所は上野公園内の東京都美術館です。

無料で入場できますので、ご興味ある方はぜひ!

【千葉由紀子さんの勾玉オルゴナイト工房のサイトはこちらです。】

【勾玉オルゴナイト工房】

【ホツマツタエ研究家いときょう先生の書籍はこちらからご購入できます。】

【ホツマ出版株式会社】

P.S.編集後記

この作品で描かれた物語はいろいろな見方、解釈ができます。

書物による違いもありますが、書物に書かれていないことも含めて。
 

ニニキネ(ニニギノミコト)は天孫降臨(ホツマツタヱでは新田開発となっています)という神話の中でも偉業を成し遂げた存在として描かれていますが、

一方で、コノハナサクヤ姫を疑うことで傷つけ、イワナガ姫を醜いという理由から拒絶することで傷つけ、苦しめたという側面もあります。
 

イワナガ姫はコノハナサクヤ姫に比べると圧倒的に記述は少ないですが、彼女もその傷を癒していった辛い過程があったことは容易に想像できます。

そもそも、書物に「醜い」と書いてあったからと言って、それが本当かなんて分かりません。

ある視点ではそう見えたのかもしれませんが、そうじゃない視点だってあるからです。
 

で、このような書き方をすると、

「ニニキネ(ニニギノミコト)って悪い奴」

なんて短絡的に思ってしまいますし、そういう影響を与えてしまうこともあります。
 

そうではなくて、全ての人に悪いところ(陰)、良いところ(陽)があるように、

観る角度によって違ってくることを理解することが大切だと思っています。
 

「言葉は断片的なもの」

「その影響を無意識に何気なく受け取ってしまう性質が私たちにある」

ということを僕たちはつい忘れがちです。
 

「いかに言葉で自分の正しさを証明しようか」

ということをずっとやってきたから。
 

「この書物が正しい」

「あの書物が正しい」
 

「私の考えは間違っていない」

「いや、私の考えが間違っていない」
 

学校のテストのように言葉で正解が導き出せると思い、それをすることで認められる、自分の価値を証明するかのように一生懸命。
 
 

書物によって、本当の真実を知りたいとしたら、世界中の神話、文献を集め、すり合わせることが求められてくるでしょう。

でも、それらの一つひとつがピース(断片)を集めただけでは、ただの情報がたくさんあるだけになってしまいます。
 

それをいかに様々な視点、角度から、俯瞰して観ることができるか。

立体的な高い視点、角度から観ること、本当の意味で知ることができるか。
 
 

よく行間を読むと言われますが、きっと行間だけでなく、もっと見えていない部分に氣づく直感、インスピレーションという力が必要なのでしょう。

その直感、インスピレーションもまた、僕たちがいかに本来の自分自身とガチッと一致しているかでも違ってきます。
 
 

「創作って何なんだろう?」

この記事を書くにあたって最初に浮かんだこの言葉。
 

人生が「表現という創作」ならば、、、

僕たちがすることは自分自身の人生を通して、本当の真実(真理)を思い出していくことなのでしょう。
 
 

そう、真実を誰かに証明することではなく、思い出していく。

そして、思い出していくとは、真実を受け入れていくということでもあり、一人ひとりがジャッジという分離の線を一つずつ消していくということです。
 

その中には「許す」という人類にとっての課題も含まれているでしょう。

そういう意味で、コノハナサクヤヒメもイワナガヒメもニニキネ(ニニギノミコト)に対して「許す」という課題を克服したのだと思います。
 

「お互いを認め合い、尊重し合う」

「全ては元一つ、大きな生命の花を咲かそう」

これは、千葉由紀子さんがオルゴナイト作品「コノハナサクヤ」に込めた大いなる祈りでもありました。

この日、一緒に千葉由紀子さんの作品を観た日本語アーティストのおのみんこと小野秀夫さんが即興で作った回り歌(上から読んでも、下から読んでも同じ歌)には、「罪溶き赦す」の言葉が。
 

一人ひとりが表現者であり、創造主です。

あなたはご自分の人生でどんなことを表現したいですか?