『これだから人生はやめられない、、、』
やはりこの人のイベントは面白い
昨日、神伝人(つたえびと)山田祥平さんの案内で「東京大神宮」と「靖国神社」を参拝してきました。
僕もご縁を頂き、過去いろいろなイベントに参加してきましたが、
こういうイベントの集いって本当に不思議です。
集まるメンバーもやはり選ばれてきている感じがあるからです。
今回も、来るべくして、この日、この場所にみんなが集まってきているなあと強く感じました。
そして、人が集まれば当然、新たな出会いもあり、予想外の展開に発展することもあります。
人生にはいろいろな「まさか」があります。
ショッキングなこともあるし、感激するようなこともある。
全てを含んで自身の人生の物語ですが、
思わず訪れた嬉しい展開には、感極まることもあります。
「これだから人生はやめられない、、、」
導かれるようなに訪れたクライマックスに人生の有り難さや面白さを感じてしまいました。
まず、午前中は『東京大神宮』を参拝しました。
東京大神宮は「東京のお伊勢さま」と呼ばれている所で、
明治13年(1880年)に伊勢神宮の遥拝殿として創建されました。
遥拝殿とは、読んで字のごとく、遙か彼方の方向に向かって拝む建物のことです。
つまり「東京大神宮」に参拝すると「伊勢神宮」を参拝したことになるというわけですね。
一体、そのような場所で祥平さんのどんなお話が飛び出すのか。
参拝したことがある方は分かるとは思いますが、「東京大神宮」の敷地はそれほど広くないです。
もちろん、神社の存在価値は敷地の広さで決まるわけではありません。
でも、もしかしたら「東京のお伊勢さま」と聞いて足を運んだ人の中には拍子抜けした人がいるかもしれませんね。
実際、僕も初めて訪れた時は、正直「意外とこじんまりしてるんだなあ」と思いました(笑)
しかし、祥平さんのお話は当然ながら、敷地面積には関係ありません。
これは明治神宮を案内してもらったときもそうだったのですが、今回も本殿でお参りするまで約1時間。
詳しく、そして祥平さんならではの案内が続いていきます。
・東京大神宮に込められた明治天皇の想い。
・造化の三神(天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神)の役割。
・天照大神と豊受大神の役割
・お稲荷さんの歴史と役割、そして秦氏との関係。
・神道における罪・穢れの本来の意味。
・参拝のもうひとつの深い意味とその作法。
先月に明治神宮の神社案内にも参加しているので、知っている話もあります。
しかし、そのときは腑に落ちたと感じたことも、再度聞くことで、その度合いもさらに深まってきます。
「あっ、この話は知ってる」
と思うと人は耳を塞ぐ傾向があります。
しかし、読書でも2回目に読んだ時、新たに気づくことってありませんか?
「知っている」
という言葉には度合があります。
「聞いたことがある」
「詳しく調べた」
「実際に体験した」
「2回体験した」
「何度も体験した」
どこを基準に置くかによって、その度合いの深さは変わってきます。
そして、下手をすれば「知ってるつもり」ということにもなってしまうのです。
神社に参拝するということ、、、
それは、そこにお祀りされている神様の力を取り込み、その力を活かしていくということです。
そのためには、まず、そこにお祀りされている神様のことを知る必要があります。
お祀りされている神様の立場からしたら、やはり自分のことを知ってくれている人の方がいいですよね。
「でも神様のことは詳しく知らないし、、、」
と思った人も大丈夫です。
そのために神社には「御由緒書き」があります。
もちろん事前にスマホやパソコンで調べることもできますよね。
これは人と人が会う時も同じです。
もし初めて誰かに会うとしたら、やはり相手がどんな人なのかを調べたりしませんか?
相手も自分に無関心な人より、自分に関心を持ってくれている人の方が好感をもつものです。
神様は広い心をお持ちでしょうが、それでも自身のことを知ってもらうことがやはり嬉しいのです。
だから御由緒書きは声に出して読むのがいいとのことでした。
その場で言霊として響かせたら、神様にもより届くからです。
もちろん、他に参拝される人もいるでしょうから、ケースバイケースだとは思います。
祥平さんの説明を受けて、こんな言葉を思い出しました。
神は人の敬によりて威を増し
人は神の徳によりて運を添ふ
鎌倉時代、北条泰時によって定められた「御成敗式目」にはこのような言葉があります。
この言葉には、神様にお願いをするという一方通行の関係ではなく、神道における神と人との密接な関係が言い表されています。
そして、参拝の基本は「感謝と決意」を宣べることです。
もちろんこれが絶対的な決まりではありません。
しかし、お願いだけして終わりという人も多いのではないのでしょうか。
まず感謝を宣べ、そして自身がこれからどうするのかという決意を宣べる。
また、神社で神様に向かい合うということは、自身が神様と同じ御霊を持った存在であることを思い出すことでもあります。
「参道は産道」
母親の産道を通って生まれてきたように、帰り道の参道は産道です。
でも、いくら自身が神様と同じ御霊をもった存在だと思い出したとしても、
肉体がある以上あくまで人として、その制限の中で生きるしかありません。
そうでないと、どこかフワフワして地に足がつかないということになってしまいます。
「神様と同じ御霊をもつ存在と自覚しながらも、それを包む肉体をもった人として生きる」
そして、肉体がない神様の代わりに、その肉体を使って自身の本来の魂の役割を果たしていく。
そこには、人が神様を拝み奉るという一方的なものではなく、
神さまと人が共同でよりよい世界を創造していくという共生の関係性があります。
東京のお伊勢と呼ばれる「東京大神宮」で再び、祥平さんのお話を聞くことで、その実感がさらに深まった感じです。
そして、昼食を挟んで、午後は靖国神社に参拝するのですが、そこでは最後にまさかのドラマが、、、
長くなるので、続きはこちらの記事をどうぞ。
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