諏訪大社に初参拝~その奥深さに触れて

「知ってる(つもり)」が多い現代人?

「知ってる」

っていう言葉は意外と厄介です。
 

厄介というか、同じ「知ってる」という言葉を使っていたとしても

人によって、その中に含まれている「情報密度」が違うからです。
 
 

例えば、

あなたが通勤電車の中でスマホで検索しているとします。
 

“サーっと次から次へと情報を流し読みする”

こんなパターンって結構多いのではないでしょうか。
 

検索すればいくらでも好きな情報を得られますからね。

(「いや、俺はじっくり調べる派だよ!」っていう方もいるでしょうが。)
 

で、会社へ行って同僚と雑談していて、

「ねえ、諏訪大社って知ってる?」

と聞かれたときに、
 

たまたま今朝スマホで検索していたことを思い出して、

「うん、知ってるよ!長野にある全国約25000社の諏訪神社の総本社だよね?」

って答えます。
 

すると、

「へぇーっ、諏訪神社って全国に25000社もあるんだ!すごいね~」

なんて言われると、ちょっと嬉しかったり(エッヘンという感じで 笑)。

(確かに、自分が知っていることを知らない人に話して感心されたりするとちょっと嬉しい気持ちになりますよね。)
 
 

と、こんな感じで

「知ってる」

という言葉は日常的に使われたりしますが、
 

ただ、この会話の「諏訪大社を知ってる」はあくまで、

「諏訪大社」のごく一部を「知ってる」に過ぎないんですよね。
 

もしかしたら、横でコーヒーを飲んでいた上司が(仕事の話以外はしないという堅物の)

実は神社マニアで諏訪大社へ何回も参拝に行っているかもしれません。
 

神社マニアなので、知識も半端ないでしょうし、

なにより、実際に訪れたことがあるくらいです。

現地(長野県諏訪市)の雰囲気、空気の新鮮さ、諏訪大社ご神域の清らかなご神気を肌で実感しているはず。
 

この上司は、あえて横で話している部下二人の会話には口を挟みませんが(仕事以外の話をしない堅物ですから 笑)、

少なくとも、部下二人の「知ってる」よりはるかに多い情報量の「知ってる」を保有しているわけです。

骨密度(骨の密度)ではないですが、情報の密度が濃いっていうことですね。
 
 

僕が神社に興味を持ち、参拝するようになったのは(初詣以外に)30歳を過ぎたころですが、

遠方(東京以外)の神社に参拝するようになったのは、会社を辞めてから。
 

会社にいた頃とは出会わなかった人たちとご縁ができるようになり、

誘われるまま、とにかく行ってみるという場合が多いのですが

実際に遠方の神社へ行ってみると、

やはり感じるものが違うんですよね、自分が住んでいる東京の神社とは。
 

日本は小さな島国と言われますが、やはり都道府県ごとに雰囲気も特色も違って、

東京都いう境界線の外に少し出るだけで

「場」の違いというものを肌で実感します。
 

で、「場」が変わると、普段とは違う思考や感覚が芽生える感じがするんですよね。

もともとは自分の中にあったのでしょうが、閉ざされていた思考や感覚のつぼみが開くみたいな。
 

神社に対する見方、角度も変わってきます。

地方の神社って、場所にもよりますが、昔のままの在り様を残しているところが多いかなと。

東京の場合、スペース的な関係もあるのでしょうが、敷地が縮小されてたりするところが結構ありますので。
 

「旅は非日常」

なんて言いますが、

マンネリ化した思考や感覚に刺激を与えるという意味でも、すごく価値が高い経験だなと思いますね。
 
 

今回、ご縁が繋がって長野の諏訪大社、玉依比賣命(たまよりひめのみこと)神社、皆神神社、象山神社の四社に参拝する機会を与えていただくこととなりました。

メインは1月7日に行われる「玉依比賣命(たまよりひめのみこと)神社」の児玉石神事です(その前後に諏訪大社、皆神神社、象山神社を参拝)。
 

2018年(平成30年)が明け、三が日を過ぎてまもなくの1月6日、7日の二日間。

ご案内してくださるのは神主の資格をお持ちで、神様(神社)と人を繋ぐ活動をされている吉野由美さん。

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やはり実際に訪れてみることの大切さを改めて実感しましたね。

その土地の空気感、出会う人、すでに過ぎ去ってはいるけど‟歴史”という物語を肌で、体感として感じることができたからです。
 

何となく知っている「知識」の密度、情報密度がグッと濃くなるような感覚。

本をいくら読んでも分からない、耳学問ではないダイレクトな感覚。
 

これって、やはり訪れた人にしか分からないことかなと(自慢じゃないですよ 笑)。

この感覚を言葉で全て伝えることは不可能ですが、

出来る限り言語化して、お伝えできればなと思います。

全国約25,000社ある諏訪神社の総本社「諏訪大社」へ

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「諏訪大社」

ここは全国約25,000社ある諏訪神社の総本社です。

(冒頭の例え話でも書きましたが。)
 

「そんなにたくさんあるの!?」

と思った人もいるかもしれません。
 

僕も調べてビックリしました。

これだけたくさんあるので、

「諏訪大社へ参拝したことはないけれど、諏訪神社には参拝したことがあるよ」

という人もいると思います。
 

僕も実家の近所に諏訪神社があるので何度も参拝したことはあります。

でも、知っていたのは、

御祭神が建御名方神(たけみなかたのかみ)ということ、

出雲の地で建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)に敗れて、諏訪の地へ逃げてきたということくらいです。

(情報密度は、この時点では冒頭の二人とほとんど変わりません。笑)
 

国譲り神話として有名なので、このお話をご存知の人も多いのでは?
 

この二柱の神様のやり取りは、

「古事記」の大国主神国避の段(おほくにぬしのかみくにさりのだん)に詳しく載っています。

有名なお話ですが、なぜか(?)「日本書紀」には載っていないんですよね。
 

今回、諏訪大社を参拝するご縁を頂いて、この神話の奥にある物語を知ることができました。

知るというより、

「実際にその物語が起こった土地で見聞できたことで、

体感、より深い部分にダイレクトに入ってきた」

という感じでしょうか。
 

この諏訪の地は本当に奥深い。

そして、どこか懐かしい。
 

ご縁をつないで頂いた吉野由美さんのご案内のもと、諏訪の地を感じてきました。

太古の記憶が色濃く残るこの地で、僕はどんなことを感じ取ってきたのでしょうか。

ところで「諏訪大社」ってどんなところ?

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「諏訪大社」は信濃國の一之宮で、先ほども書きましたが全国25,000社ある諏訪神社の総本社(これで3回目、しつこいか 笑)。

諏訪湖の周辺に、上社本宮、上社前宮、下社秋宮、下社春宮に分かれて境内があり、2社4宮からなる神社です。

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主祭神は建御名方神(たけみなかたのかみ)と、その妃の八坂刀売神(やさかとめのかみ)。

この諏訪大社、他の神社にはあまり見られない、とても変わったところがあるのをご存知ですか?
 

実は、諏訪大社には「本殿」がありません。

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意外と勘違いしやすいのですが、普段お賽銭を入れてお参りをする場所は「拝殿」です。

(「そんなの知ってるよ!」という方は意外と神社にお詳しいかなと。)
 

「本殿」とは「拝殿」の奥にあり、お祀りしている神様のご神体(神霊)が安置してある場所のこと。

神様がいらっしゃる御殿ですので、いつでも、誰でも簡単に入れる場所ではありません。

「昇殿参拝」など、特別な参拝をするときだけ入ることができます。
 

「えっ?じゃあ諏訪大社の神様はどこにいらっしゃるの?」

と思ったかもしれません。
 

実は、諏訪大社は「守屋山」を御神体にしているのです。

正確に言うと、「守屋山」を御神体にしているのが上社本宮と上社前宮で、

下社春宮は「杉の木」を、下社秋宮は「一位の木」をご神体としています。
 

実は、この「守屋山」や「ご神体」についてはいろいろなお話があって、

ここからがとても興味深い話になってきます。

現人神(あらひとがみ)がご神体?

まずは「ご神体」について。

冒頭に出てきた国譲り神話に少し話を戻しますね。
 

建御名方神(たけみなかたのかみ※諏訪大社の御祭神)は、

出雲の地で建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)に敗れて、諏訪の地へ逃げてきました。
 

ここまでは知っている人も多いと思います。

「それで、、、逃げてきた後の話ってどうだったの?」

というお話なのですが、僕もここに来るまで考えたこともありませんでした。

(「現地に来て話を聞いたから、気づけてないところ(盲点)に気づけた」「その事柄に対して意識しやすくなった」というわけですね。)
 

でも僕にとって、ここからのお話が今回の諏訪大社参拝でとても深く感じ入ったところだったのです。
 
 

この諏訪の地には、もともとミシャグジ神やモレヤ神、ソソウ神やチカト神がいました。

ミシャグジ神は「塞の神(さいのかみ)」という境界を張る神様、モレヤ神は石木の神様、ソソウ神は蛇神、チカト神は狩猟の神様です。
 

「諏訪明神絵詞(すわみょうじんえことば)」には、建御名方神(たけみなかたのかみ)が侵入してきたとき、天竜川河口で迎え撃ったのがモレヤ神で、戦いに敗れたとあります。

戦に勝った建御名方神(たけみなかたのかみ)の子孫の諏訪氏は大祝(おおほうり)という生き神になり、

敗れたモレヤ神の子孫の守矢氏は神社の筆頭神官になりました。

ちなみに守矢氏は物部守屋とも関係があるとも言われています。
 

つまり、この大祝(おおほうり)がご神体と同一視されていたということなのです。

建御名方神(たけみなかたのかみ)の子孫である諏訪氏が現人神(あらひとがみ)として。

他の神社では聞いたことがないお話ですよね。

諏訪大社の御頭祭(おんとうさい)と守屋(モリヤ)山

次に「守屋山」について。

この「守屋山」、「モリヤ山」として旧約聖書に登場します。

「えっ?旧約聖書?」

と思った人もいるかもしれません。

というか僕もそうでした(笑)
 

こんなお話があるのをご存知ですか?

アブラハムは自らが信じる神(ヤハウェ)から、息子のイサクを生贄(いけにえ)に捧げるように命じられます。

そして、まさに息子に手をかけるその瞬間、アブラハムの信心を知った神に止められて、代わりに羊を捧げることになりました。

その時にアブラハムが、神に命じられて登ったのが「モリヤ山」なのです。

実は諏訪大社では、古来より「御頭祭(おんとうさい)」という祭りが行われてきました。

現在でも毎年4月15日に行われ、剥製(はくせい)の鹿の頭が3頭供えられます。

でも江戸時代までは「おこう」と呼ばれる15歳未満の少年が生贄(いけにえ)にされてきました。

ただ、実際に生贄(いけにえ)にされるわけではなく、御贄柱(おにえはしら)という柱に縛られた少年を神官が開放して、代わりに鹿の頭やウサギが捧げられるというものだったようです。
 

さきほどのイサクのお話と非常に似ていませんか?
 

この「御頭祭(おんとうさい)」はもともとミシャグチ(ミサクチ)神の祭祀として行われてきました。

ミサクチ神はヘブライ語では「イサクに由来する」という意味もあるのだそうです。
 

「ミ(御)・イサク・チ(蛇)」で、イサクの信仰が諏訪の蛇神と融合したいう説もあります。

「日ユ同祖論」などで、日本人とユダヤ人の関連性を説く話があり、それを信じるか、信じないかは個々の自由です。

僕も正直よく分かりませんが、諏訪大社に関するこれらの共通性はとても興味深いなと思いました。

「神長官守矢資料館(しんちょうかんもりやしりょうかん)」で感じた太古の息吹

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こちらが「神長官守矢資料館(しんちょうかんもりやしりょうかん)」です。

「神長官守矢」とあるように、ここは古代から明治の初めまで諏訪大社の上社の神長官を務めてきた守矢氏に関する資料館。
 

建御名方神(たけみなかたのかみ)が諏訪に来る遥か昔から、この地を治めていたのがモレヤ神であり、その子孫が守矢氏でしたね。

この資料館や周辺では、この諏訪の地の太古の記憶や息吹を強く感じることができました。

この辺りでは縄文時代の生活跡が発掘されているそうですが、それも頷けますね。
 

資料館の中には御頭祭(おんとうさい)に関する展示がしてあります。

たくさんの鹿や猪の頭の剥製やウサギの剥製などもあり、かなり生々しくて迫力がありましたね。
 

人によっては写真を撮るのをためらってしまうかもしれません。

僕は撮れなかったので、資料館で頂いたパンフレットの写真から掲載させて頂きます。

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こちらが資料館の周囲にある「ミシャクジ社と社叢(しゃそう)」です。

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この社の前にいると、どこか懐かしいような感覚を覚えます。

ここには、遙か昔、太古の息吹を感じたからです。

守矢氏は、縄文時代から信仰されてきたミシャグジ神と共に生きてきたのですね。
 
 

「古事記」にある国譲り神話からすれば、建御名方神(たけみなかたのかみ)は諏訪の地へ逃げてきたことになります。

しかし、諏訪にもともといたモレヤ神またはその子孫の守矢氏からすれば、建御名方神(たけみなかたのかみ)に侵入されたということに他なりません。
 

でも、これは完全なる征服というよりは、共存共生だったのでしょう。

諏訪氏が大祝(おおほうり)として、現人神(あらひとがみ)になり、守矢氏が神長官として実際に神事を取り仕切っていたということが、それを物語っているからです。
 

もちろん、全て話し合いで済むような、きれいごとだけではなかったでしょう。

でも、これは日本らしい在り方だなあと思います。

外国では戦に勝ったら、完全なる征服というのが常だからです。
 

例えば、「朝廷(天皇)と幕府(武士)の共存」があります。

これは、権威は天皇にあり、政治は武士が取り仕切るというものです。

でもこれ、日本人は当たり前のように受け入れていますが、外国人にとっては日本の歴史の中でも理解が難しいところだと言われています。
 

この諏訪の地で強く感じたことは、もともとは外来の神であった建御名方神(たけみなかたのかみ)と土着の神のミシャグジ神やモレヤ神が共存共生しているということです。

それは、諏訪大社や神長官守矢資料館を訪れることでよく分かります。

そこにある色濃く残っている要素が、よりリアルに過去に起こったであろうことを思い出させてくれるからです。

この地で繰り返されてきた生と死や数々の出来事が、神話という書物のお話ではなくてより現実味を帯びて感じられました。

最後に、、、

見どころはたくさんあり、どこも素晴らしかったですし、個々に挙げればきりがありません。

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どの場所も、とても心地よくて、心が洗われるようでした。

ただこの場所にいて参拝するだけでも、訪れる価値は十分にあると思います。

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でも、今回の初参拝では、この諏訪の地の本質的な深い部分に触れられたことが何よりよかったです。

今回の長野の旅は、吉野由美さんがご縁を繋いでくださり、玉依比売命神社(たまよりひめのみことじんじゃ)の児玉石神事に参加するという話から始まりました。

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そして、せっかくだからと諏訪大社もご案内頂けることになったのです。

きっと、建御名方神(たけみなかたのかみ)だけでなくて、ミシャグジ神やモレヤ神も導いてくださったのでしょう。

昨年から神社ツアーなどに参加して、いろいろな場所を訪れています。

どの場所も、素晴らしくて、たくさんの学びや感じることがありました。
 

この諏訪の地もまた本当に訪れてよかったと心より思います。

ご縁をつないで頂いた神様や吉野由美さんには感謝の氣持ちでいっぱいです。

そして、この諏訪の地を一緒に巡ってくれた方々にも心より感謝しています。

本当にありがとうございました!

きっと、この諏訪の地にはまた来るような氣がします。
 

諏訪大社の記事というより、この諏訪の地での歴史の話がほとんどになってしまいましたが、

今回の旅では、この諏訪の歴史のさまざまな物語がとても印象深く残ったのです(もちろん、諏訪大社自体も素晴らしかったのですよ)。

諏訪大社については、次回参拝したときにじっくりと書いてみたいと思います。

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編集後記

ここを訪れる前に知っていたことは、

・諏訪大社の御祭神がタケミナカタの神

・国譲りで出雲から諏訪に逃げてきた

ということだけでした(かなり、情報密度が薄いですよね。笑)
 

書物によって、いろいろな書き方(視点)で表現されているので、

古事記の国譲り神話を知っているから、

「知っている」というのは情報密度がまだまだ薄いわけです(僕も今回の旅のお蔭で少し密度が上がりましたけど 笑)。
 

実際、当時のこと(真実)は、その当時に行ってみないと分かりません(神話が史実かどうかということも含めて)。

ただ「実際の出来事という真実」はさまざまな視点があり、

どの視点で捉えるかで変わってくる、または全然違うものになるということが分かります。
 

この記事で取り上げた「諏訪明神絵詞(すわみょうじんえことば)」の視点をちょっと取り上げただけでも、です。

古事記では「国譲り」となっていますが、当の建御名方神(たけみなかたのかみ)は出雲の国を追われて諏訪に逃げてきました。

その諏訪の地にはもともと住んでいた神がいたわけで(ちょっと考えてみたら当たり前ですが、これが「知ってる(つもり)」になってる盲点ですね。)

「諏訪明神絵詞(すわみょうじんえことば)」では、

ミシャグジ神やモレヤ神、ソソウ神やチカト神などの土着の神は征服されたということになっています。
 

「あっちでは(出雲)では「国譲り」というちょっと美しい(?)感じで書かれていて、こっち(諏訪)では征服かよ!」

なんてツッコミたくなりますが(まぁ、古事記は国を譲られた側(天照大御神)の視点で描かれていますからね)、実際はどうだったのかは分かりません。
 

・天照大御神側は「国譲り」と思っている

・大国主命側(出雲)では征服されたと思っている

ということだってあり得ますから。
 

攻める側、攻められる側。

立場が違えば、視点も違うことって結構あります。
 

「相手はこう思っているはずだ」

という思い込みが、誤解を生み、争いになることは僕たちの日常でも結構ありますよね(笑)
 
 

まぁ、古事記が書かれたのが8世紀ですからね。

当時の言い伝えをもとに書いてあり、

「古事記」という書物を記す意図があるわけで(天武天皇側)、

これが本当に当時の神様たちの思いを正確に反映しているかといえば、

それも分からないわけです。
 

書物って(特に神話や歴史書は)書いてある通り(字句通り)、表面的に解釈しても、

うすっぺらい解釈に(情報密度が薄く)なっちゃいます。
 

特に神話や歴史書って素人である僕たちが原文を読もうとしても、難し過ぎるので、

どうしても、専門家の解釈に頼らざるを得なくなってきます。

で、当然、専門家でも解釈がいろいろ違うわけです。
 

たくさんあると、

「どれがホントなの~?」

なんて思っちゃいますが、

自分がピンとくるものを採用すればいいだけです。
 

で、もっと言えば、その解釈を受けて(採用して)、自分はどう感じたかということを捉える(表現する)ことが大切かなと。

だって、自分自身でさまざまなことを体験するために、生まれてきたんですから。

「体験して(知って)どうだったのか?」

を捉えてこそ(表現してこそ)、体験した甲斐があるってもんです。
 

そして、他の解釈を排除するのではなく、

「そういう解釈もあるのね」

くらいに受け止めておける余裕があれば、なおいいかなと思います。
 
 

人って、自分なりの視点という安全地帯を持っておきたいものです。

基準となるものがないと、

「実際どっちなんだ~?」

と落ち着かないからです。
 

脳は空白を嫌います。

「?」という疑問があれば、それを見つけようと必死に答えを探し続けるので。

疲れちゃいますからね、結論(答え)が出るまで探すから(笑)

だから、「この答えを採用して早く安心したい」って思うわけですね。
 
 

でも、自分の視点(考え)ばかりに固執すると、

「相手の視点(考え)を認められない」、高じると、「許せない」にまで発展します。

学問の世界では、あるある、ではないかなと。
 
 

日本人って外国の人から「Yes、No」がハッキリしないと言われていて、

確かにそれも否めないのですが、これも視点を変えれば、

さまざまな視点を許容する(許容しようとする)心があるとも言えます。
 

「和の心、和の精神」

ですね。
 

ただ、なんでも相手に合わせて、自分の意見を言えないというのはチョット違いますが。

・相手に合わせないと場の空気が悪くなるから、何も言えず悶悶としている

・あぁ、そういう視点(考え方)もあるんだね!と軽やかに(?)受け止める

前者は我慢で、後者は許容です。
 

さまざまな視点を許容するという精神が、もともと日本人にはありました。
 

映画やドラマを観ていても、どの役(キャラクター)に感情移入するかで、

物語の見方が(全く)違ってきますよね。
 

でも、本来、映画やドラマに出演している役(キャラクター)分の視点があるわけです。

これを現実に置き換えると、約77億人(地球の現在の人口)の視点があるということになります。
 

全てを許容することは難しいとしても、

自分の視点だけに固執することが、いかに小さな視点でしか物事を捉えていないか、ということになるかなと。
 
 

繰り返しになりますが、僕も実際に諏訪大社を訪れてお話を聞くまで、

「国譲り」で大国主神が天照大御神に国を譲ったという認識しかありませんでした(かなり視野が狭かったです 笑)。

大国主神の息子である、八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)は姿を消し、

建御名方神(たけみなかたのかみ)は建御雷神(たけみかづちのかみ)と力比べをして敗れ、諏訪へ逃げてきた、という。
 

※ちなみに、この二神の力比べが相撲の起源になったとも言われています。

現在では娯楽として親しまれている相撲ですが、もともとは御神事や祭りとして行われていました(同時に武芸であり武道)。
 

でも、この諏訪の地に実際に来てお話を聞き、その上でいろいろと自分で調べてみて気づいたことは、

・勝った、負けただけではない、さまざまな視点もある

ということです(ある意味、当たり前なのですが)。
 

でも、意識しないと、この当たり前のことにも気づけないのが人というもの。
 

神話や歴史というのは、何が正しい、何が間違っているということを追求しても、

果てしないバトル(対立)に成りかねないものです。
 

神話や歴史はご先祖様たちが残してくれた貴重な教訓であり叡智が集約されているもの。

さまざまな視点で物事を捉える、ということを学ぶことができる最高の教科書でもあります。
 

それを「自分自身やこれからの世の中のために、どのように活かしていくのか」ということの方がよっぽど大切ではないでしょうか。
 

と、偉そうなことを言っている僕も、まだまだ、たくさん学ぶことがあり、それを楽しみにしている、という発展途上の人間です。

日常から、また旅をしたときに得た気づきを、このブログでシェアしていきますね。

では、では、お読みいただきありがとうございました!
 
 

PS.そうそう、今回の記事に書いた「国譲り」について、興味深いお話があるので、最後にご紹介したいと思います。

「国譲り」で出雲を治めていた大国主命は何処へいったのか?
 

これも意外と盲点となっています。

古事記にも書かれていませんので。
 

ホツマツタヱにはその後のお話が載っていて、

津軽(アソベのアカル宮)に国替えさせられたとあります。
 

現在のつがる市からはちょっと下になりますが、岩木山という山があり、

古来より「アソベの森」「津軽富士」と呼ばれていました。
 

この岩木山の麓にあるのが岩木山神社です。

御祭神は、顯國魂神(うつしくにたまのかみ)
 

大己貴命(おおなむちのみこと)=大国主命の別名といわれていますが、

なぜ、そうなのかが、ホツマツタヱには載っているのです。

ウスシクニタマ

オホナムチ

ツカルウモトノ

カミトナル

(ホツマツタヱ 10アヤ(章))

もちろん、このホツマツタヱもたくさんある一つの視点です。

ただ、視野を広げると、より深く「全体像という真実」が見えてくる、と僕は思っています。
 

2019年8月のお盆に、思いがけず東北(仙台、秋田、青森)を旅することとなったのですが、

このときに岩木山神社へ参拝するご縁をいただきました。

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鳥居から階段を上がって行くのですが、とても重厚で(ドッシリとして)趣のある神社でしたよ。

こちらの神社に関しては、また改めて記事にしてしていきますね。
 
 

国譲りについて、この大国主命が津軽(青森県)へ行ったことについて、

ホツマツタヱ研究家のいときょう先生がお話されている動画がありますので、

もし、よかったらご覧になってみてください(約11分で視聴できます)。


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