平成31年1月 長野ツアー~其之一(穂高神社、聖湖、象山神社編)
目次
一年振りに帰ってきた長野県松代の地
平成最後の年でもある2019年。
あなたはどんな始まりを迎えましたか?
「氣持ちを新たに引締めました」
「いつもと同じです」
人それぞれだと思います。
僕は今年の始まりも長野から。
なぜ寒いのが苦手な僕がわざわざ年明け早々、雪国でもある長野へ向かうのか(笑)?
昨年、吉野由美さんがご縁を繋いでくださったことで参列することができた長野県松代市にある
「玉依比賣命神社(たまよりひめみことじんじゃ)」の「児玉石神事(こだまいししんじ)」に、
今年も参列させていただくことになったからです。
古来より奉納されてきた勾玉の数を、年明けに改めるというチョット珍しい御神事なのですが、
なぜか魅かれるものがあるんですよね。
今回の児玉石神事は昨年よりもいろいろな意味で濃かったです(なぜ濃かったのかはまた後程)。
でも、この長野ツアーのお樂しみは「児玉石神事」だけではありません。
児玉石神事は毎年1月7日。
これは曜日でずれることがなく必ず毎年1月7日となっています。
昨年は、せっかく行くということもあり前日から長野へ入り、
吉野由美さんに諏訪大社、皆上神社、象山神社をご案内して頂きました。
由美さんは全国を駆け巡りながら、神社の案内を通して神様と人のご縁つなぎをなさっている方で、
ご縁がある方々に神社をご案内するという活動を地道にされています。
昨年、ご案内していただいた玉依比賣命神社、皆上神社、諏訪大社、象山神社と、
どこも素晴らしくて長野の魅力を再認識しました。
というより長野ってスゴイ!と認識が変わりましたね!
今年も前日の6日から長野へ入りました。
ただ今回は由美さんは別の方々をご案内するため、前日は別行動。
昨年に引き続き参加する千葉由紀子さんと僕、そして今年新たにメンバーに加わったのが、
一昨年の皇居勤労奉仕でご縁が繋がった桃崎夫妻です。
桃崎夫妻は名前が哲(あきら)と幸子(ゆきこ)なので、あっきー、ゆっきーと呼ばれています。
ゆっきーは千葉由紀子さんと同じ愛称なので、今回はWゆっきー(笑)
そんなわけで、前日である6日はWゆっきーとあっきー、かつみんこと僕の4人で行動しました。
さてさて、どんな旅となったのでしょうか、、、
日本アルプスの総鎮守でもあり海神(わたつみ)をお祀りしている穂高神社へ
6日の早朝から、僕とゆっきー(千葉由紀子さん)はあずさ3号で、
あっきー、ゆっきー(桃崎夫妻)は車で、長野へ向かいました。
待ち合わせ場所は穂高神社です。
安曇野市にあり、JR安曇野駅から徒歩3分にあるこの神社は、
穂高見命(ホタカノミコト)、綿津見命(ワタツミノミコト)、瓊々杵尊(ニニギノミコト)、安曇連比羅夫命(アズミノムラジヒラフノミコト)をお祀りしています。
穂高見命(ホタカノミコト)、安曇連比羅夫命(アズミノムラジヒラフノミコト)という神様はチョット聞き慣れないお名前ですよね?
御由緒によると、、、
穂高見命を御祭神に仰ぐ穗髙神社は、信州の中心ともいうべき 安曇野市穂高にあります。
そして奥宮は穂高連峰の麓の上高地に祀られており、嶺宮は北アルプスの主峰奥穂高岳に祀られています。
穂高見命は海神(わたつみ)族の祖神(おやがみ)であり、その後裔(こうえい)安曇族はもと北九州方面に栄え主として海運を司り、早くより大陸方面と交流し文化の高い氏族であったようです。
醍醐天皇の延長五年(西暦九二七年)に選定された延喜式神名帳には名神大社に列せられ古くより信濃における大社として朝廷の崇敬篤く、殖産興業の神と崇められ信濃の国の開発に大功を樹てたと伝えられています。
また当社は三殿あるご本殿一殿を二十年毎造り替える式年遷宮祭を五百年以上のかなり前より齋行しております。
古くより日本アルプスの総鎮守、交通安全、産業安全の守り神として広く信仰され、近年では初宮詣、厄除、八方除など個人の幸せを祈る人があとを絶ちません。
引用:穂高神社HP
穂高見命は海神(わたつみ)族の祖神(おやがみ)、その子孫である安曇野族はもともと北九州方面にいた海神族で、
この地へ入植したようですね。
安曇野は四方を山々で囲まれていますが、「御船祭り」では山車が船だったり、
昔から「エゴ」と呼ばれる海藻を食べる習慣があるのは海神族の名残からきているのでしょう。
ちなみに穂高見命は、古事記では「宇都志日金拆命(ウツシヒカナサクノミコト)」と呼ばれています。
安曇連比羅夫命(アズミノムラジヒラフノミコト)は飛鳥時代の人物で、当時の朝鮮半島情勢(百済)に深く関わった人です。
舒明天皇のときは、百済との間で使者や接待役として勤め、
斉明天皇のときは、百済を救援するための軍の将軍に任命され、
天智天皇のときに白村江の戦いで戦死したと言われています。
先程の「御船祭り」は、安曇連比羅夫命(アズミノムラジヒラフノミコト)の命日なのだそうです。
また、日光泉小太郎伝説というものがあります。
大昔、安曇野のあたりは大きな湖でした。
その湖に住んでいた犀龍(さいりゅう)と東高梨の池に住んでいた白龍王との間に生まれたのが日光泉小太郎です。
「この湖の水を落として陸地として人が住めるようにしよう」
母である犀龍の呼びかけに応じ小太郎は一緒に、この安曇野の地を陸地にしたと言われています。
父、白龍王は海津見(わたつみ)神、母、犀龍は諏訪大明神、小太郎は穂高見命の化身といわれ、治山治水の功績を称えられている存在なのだそうです。
安曇野というと山、田園風景のイメージがありますが、
穂高神社を訪れ、この地の歴史に触れてみると船や龍という水にまつわる話が出てきて、意外な印象でした。
僕たちが訪れたのは本宮ですが、奥宮は穂高連峰の麓の上高地に祀られており、
嶺宮は北アルプスの主峰奥穂高岳に祀られているので穂高神社は北アルプスの総鎮守でもあるんですよね。
神社を訪れる際は、ほぼ予備知識なしに現地へ行き、そこで初めて知るというパターンがほとんどです。
もちろんネットで検索して調べれば分かるのでしょうが、やはり実際に行ってみてから知ることで感じ方も違います。
下調べで詳しく知り過ぎて先入観を持つより、
現地で知る方が細胞に入ってきて深く自分の中に残るような感じがするからです。
知識って無理やり詰め込まなくても、そのときに必要な情報は必要なときに入ってくるものだと思っています。
本当の意味で「知る」というのは、知識を頭に入れることではなく、
感覚として自分の中に落とし込めることです。
そのためには現地に行ったり、直接人に会って話を聞くのが一番。
そうそう、ここ穂高神社の御社は意外と新しくて綺麗だなと思っていたら、
20年ごとに御本殿を造り替える式年遷宮祭と、2回に渡り修理・清浄する小遷宮祭があるのだそうです。
式年参宮って伊勢神宮と出雲大社だけかと思っていましたが、
全国の一部の神社では執り行われていることを初めて知りました。
・20年ごと・・・長野県の穂高神社、三重県の香良洲神社、神明神社、宮城県の鹽竃神社(現在は修復のみ)、福岡県の天照皇大神宮
・21年ごと・・・京都の上賀茂神社(正式名称:賀茂別雷神社)
・30年ごと・・・大阪府の住吉大社(現在は修復のみ)
・60年ごと・・・京都府:豊受大神社
式年遷宮とは決まった期間に定期的に行われることを指すそうです。
出雲大社は60年~70年の間に行われるという曖昧さがあるので、
厳密には式年遷宮には該当しないという見方もあるようですね。
こんな感じで、現地を訪れたことがキッカケで、
知っているようで実はよく分かっていなかったという曖昧な事柄も輪郭がハッキリとすることもあります。
海神(わたつみ)をお祀りし、北アルプスという山の総鎮守でもあるという穂高神社は、
とても居心地がよくて、エネルギーが開けているような感覚を覚えました。
神社はもともとエネルギーの流れがよい場ですが、流動的で開放的という感じでしょうか。
なんとなく決めた穂高神社だったのですが、やはり正解でした。
というより、来るべきしてきたんでしょうね、きっと。
行き当たりバッタリな旅は、行き当たりバッチリです。
ということで(?)、この後の予定を何も決めていない四人は、
取りあえず美味しい蕎麦屋を目指しました(笑)
穂高神社の駐車場へ車を止めて、少し歩き蕎麦屋へ。
日本有数のわさびの名産地で「大王わさび農場」もある安曇野だけに「わさび蕎麦」なるものがあり、思わず注文(笑)
勾玉同窓会?右上のペアの勾玉オルゴナイトはゆっきー(千葉由紀子さん)があっきー、ゆっきー(桃崎夫妻)のために作ったもので、
それ以外の木で作られているのは林業関係の仕事をしているあっきーが作ったものです。
写真では細かいところまでは分からないと思いますが、どれも細部までこだわりがあり素晴らしい勾玉ばかり。
ゆっくり話をしながら美味しいお蕎麦を堪能した後、
行き先は特に決まらぬまま、取りあえず今晩泊まる松代を目指しました。
「どこか途中でピンときたところにしよう!」
どこまでも行き当たりバッチリな感覚です(笑)
おお、雪景色、美しきかな銀世界!
と、しばらく走っているうちに、みんなの目が釘付けになった場所がありました。
一面の雪景色。。。
降りてみると「聖湖(ひじりこ)」という場所でした。
真っ白な雪景色、銀世界の美しさにみんなで見惚れていました。
昨年も長野へきましたが、ここまでの雪景色にはお目にかかっていなかったので余計に嬉しかったです。
ちょうど湖と道路を挟んだところにお店らしきところがあり、コーヒーでも飲もうかと中へ入りました。
「聖レイクサイド館」というところでお土産屋さんとカフェレストランを兼ねているようです。
美味しそうなアップルパイがあるのが目に止まり、みんなで頼むことにしたのですが、
ドリンクとのセットの値段にみんなビックリ!?
アップルパイ 300円
コーヒー/紅茶セット 500円
う~ん、都会ではあり得ないようなリーズナブルなお値段です。
でも、安いだけではなく、地元長野のリンゴがたっぷりと入っていてとおっても美味しいんです、これが!
ここは「麻績村(おみむら)」という場所で、
村の名前に麻績とあるようにかつては麻を作っていたそうで、
それに関するお話が載っている絵本なども置いてあり拝見させていただくことができました。
美味しいアップルパイとコーヒで冷えた体も温まり、
お店の方も氣さくで居心地がよかったので、ゆったりとみんなで話を樂めました。
車へ乗り込み、再び、松代を目指します。
車の中でも、いろいろな話をしていたのですが松代にある地下壕の話になりました。
第二次世界大戦中に大本営(政府の中枢機関)を移動するために作られたもので、
現在は「松代象山地下壕」と呼ばれているところです。
と、松代に入ると、「松代象山地下壕」という看板が目に入り、急遽行ってみることに。
ところが閉館時間がすでに過ぎていて入ることは出来ませんでした。
「じゃあ、近くにある象山神社が行こう!」とみんなで向かいました。
幕末の志士に多大なる影響を与えた天才学者をお祀りする象山神社へ
この象山神社は、幕末の志士に多大な影響を与えた佐久間象山をお祀りしているところです。
境内に入ってみて「あれっ!?」と思いました。
昨年の1月に訪れたときにはなかったものがあったからです。
佐久間象山をはじめ、若き日の佐久間象山の才能を見抜き、抜擢した真田幸貫公、
佐久間象山に多大な影響を受けた吉田松陰、小林虎三郎、久坂玄瑞、高杉晋作、
中岡慎太郎、勝海舟、坂本龍馬、橋本左内などの幕末の志士たちの像が円を描くように建立されていたのです。
幕末の時代に、洋学の第一人者としてだけでなく科学者、発明家でもあった佐久間象山は、
かなりの自信家でアクが強く「西洋かぶれ」と尊王攘夷派からは罵られていました。
でも、幕末という時代の大変換期に大きな起爆剤的な存在だったのは確かです。
それは象山亡き後、幕末の志士たちに受け継がれ、明治維新に繋がりました。
ただ、この明治維新が代々受け継がれてきた日本の伝統を破壊してしまった面があるのも事実。
物事には様々な面があり、一方向からだけで判断することはできません。
善悪の判断は見る方向を変えると、違った答えになるからです。
多角的、もっと言うと立体的な見方をすると、
善悪すら包み込むような姿や世界が浮かび上ってくるのですが、
これが簡単なようでなかなか難しい感覚なのです。
1864年7月11日に象山は京都で暗殺されます。
享年54歳。
54歳で無念の死を遂げた佐久間象山が観ていた世界とはどんなものだったのか?
「西洋かぶれ」と言われた象山でしたが、きっと、日本人が日本を忘れ、
日本人であることに誇りを持てずにいるところを目にしたら、喝を入れたくて仕方がなかったでしょう。
もともとの予定にはありませんでしたが、なぜか訪れることになる象山神社。
昨年来たときもそうでしたが、ここにくると象山に喝を入れられるようで、それが後からジワジワときます。
去年の記事にもこの言葉を載せましたが、やはり今年も最後に、、、
余年二十以後即ち匹夫一国に繋り有るを知り三十以後即ち天下に繋り有るを知り四十以後即ち五世界に繋り有るを知る
一日目の最後は松代荘で弥栄!
松代荘で由美さんや関西方面からくる方々と合流しました。
今回、勾玉を奉納する大阪のてんちゃんこと典子さんとも久しぶりの再会です。
明日、奉納する勾玉御守の仕上げをするゆっきー(千葉由紀子さん)と
てんちゃん(典子さん)に精麻の絆結びを教えてもらうあっきーとゆっきー(桃崎夫妻)。
松代荘の温泉に入った後、みんなで「弥栄!」
たくさん喋って、たくさん笑って、、、
本当に最高に樂しい夜でした!
みんなありがとう!
さあ、明日はいよいよ玉依比賣命神社の児玉石神事です。
そして終わった後は皆神山、今年は昨年行けなかった岩戸神社へも行きました。
さてさて、どうなったのでしょうか?
続きはこちらから。
平成31年1月 長野ツアー~其之弐(玉依比賣命神社 児玉石神事編)
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