『西へ、西へ、南へ、西へ(そして、東へ)』~青春18切符4日間の旅⑦(広島県・原爆ドーム編)
再び、広島県へ
前回の記事(『西へ、西へ、南へ、西へ』~青春18切符4日間の旅⑥(福岡県・英彦山 高住神社編))の続きです。
昨晩、福岡県のJR田川後藤寺駅から辿りついたのはJR広島駅。
「とにかく行けるところまで、東へ戻ろう」
もう少し先へも行けましたが、なんとなく広島にしようと思ったのです。
ホテルが空いていなかったので、ネットカフェへ行きました。
その日に起こったこと、感じたことをFBに投稿した後、2時間ほど眠り、シャワーを浴びて広島駅へ。
なぜ、昨晩、広島駅で降りようと思ったのか?
この日の朝に分かりました。
今日中に東京へ戻らなければならないので、あまり時間はありません。
脳裏に浮かんだのは原爆ドーム。
広島電鉄の路面電車で向かいました。
原爆ドームで天地(アワ)の祈り
到着して、原爆ドームを目の当たりにすると中学の修学旅行のときの記憶が断片的に思い起こされてきます。
なんとなく、グルっと一周したくて、反時計回り(左回り)に歩き出すと、
「あっ、渦だ!?」
と脳裏に浮かびました。
左回り(天)の渦と右回り(地)の渦が合わさると、光と闇、陽と陰が統合され、大調和となる。
1回だけでは渦にならないので、
左回り「天(ア)」の巡りを3回、
右回り「地(ワ)」の巡りを3回ずつ、
原爆ドームの周りを巡りました。
多分、僕たちにとって、一番難しいのは善と悪の統合です。
戦争は悪、悲惨。
確かにそうです。
そして、分離意識の極みが戦争なのだと思います。
日月神示には「悪をも抱き参らせる」という言葉が出てきますが、
宇宙全体の立体的な意識で観たときに、その悪で、悲惨なことさえも、全体性の一部であり、
平面的な意識で善と悪を分離していては、分からないのが大調和の世界であり、ミロクの世なのでしょう。
もちろん、言葉で言うほど簡単ではないですが、
人類にとっての大きな学びであり、どこかで超えなければならない壁なのだと思います。
左回り(天・ア)の巡りで、原爆ドームを立体的に捉え、
右回り(地・ワ)の巡りで、原爆ドームを立体的に捉える。
なんとなく周りに合わせることが、和でも、調和でもなく、
一人ひとりが本来の雄大な自分の意識(真我、神我)としっかりと繋がることで、全体性を思い出していく。
本来の繋がりへと還っていく。
いままでの慣れ親しんだ私たちの視点で、
いくら「平和」や「大調和」「統合」「アセンション」と言っても、本当の大調和、ミロクの世へはたどり着けないでしょう。
それは、今まで創り出してきた現実、いま目の前に創り出している現実を見れば明らかです。
今の視点(今までのやり方)では、平面(同じ視点)による問題解決にしかなりません。
視点を垂直に上げ、立体的な意識で新たな現実(世界)を創り出していく。
今の視点(今までのやり方)による問題解決ではなく、全体性を見渡すことができる立体的な高い視点が必要です。
全体とか調和のお話で必ずと言っていいほど出てくるのが、
「エゴ(自我)がいけない」
「エゴ(自我)は醜い」
という意見です。
確かに、この統合の時期に、「自分が、自分が」と言っている場合ではありません。
でも、ここにも落とし穴があります。
「エゴ(自我)がいけない」
と言われて、自分の軸をしっかり持たずに周囲に合わせていると、
本来の自分からズレて、余計に分離してしまうからです。
僕たちは「エゴ(自我)」があるお蔭で、この地球で肉体を持ち、
たくさんの経験をさせてもらってきました。
嬉しいこと、楽しいこと、だけではなく、悲しみ、怒り、憎しみ、さまざまな感情を、
何世紀、何十世紀に渡り、何度も何度も肉体を変え、さまざまな体験をすることで、魂(意識)に刻んできました。
統合の時期にきて、あたかも「統合」が素晴らしくて「分離」が悪いことのように思われてしまいがちです。
でも、それもチョット違います。
この宇宙は、「分離」に1万3千年、「統合」に1万3千年という壮大なサイクルで循環しています。
いま言われている「統合」もその宇宙の自然なサイクルの一部でしかありません。
「分離」による体験も、「統合」による体験も、全て宇宙が成長、拡張するために大切なこと。
そして、悪者扱いされる自我(エゴ)と素晴らしいと称賛される真我(神我)も、対立や分離するものではありません。
なぜなら、自我(エゴ)は大いなる真我(神我)の大切な一部だからです。
「自我(エゴ)がいけない」
「自我(エゴ)は醜い」
と言われて、自我(エゴ)を責め、脇に追いやろうとして、形だけで取り繕ったように、
「統合」や「大調和」「アセンション」を意識して目指しても、かえって大きく分離します。
今回の旅で、体感した感覚。
自分の意識がカラダの周囲や上の方へ広がっていき、
そこで神様や見えない存在と交流するような喜びと懐かしさ。
あの広がりと繋がる感覚に全てを委ねていると、
「すべては分かれていない」ということが体感で分かります。
自我(エゴ)も真我(神我)も、そして、そこから雄大に広がり、繋がっていく神様や見えない存在たちとも。
何かと繋がろうとするのではなく、ただ本来の雄大な自分の意識と繋がっていくこと。
その周波数の精度を高めていくこと。
やることはすごいシンプルですが、限りなく奥が深いです。
でも、そこに繋がれば、全てとの繋がりの方へと広がっていきます。
逆説的ですが、調和、調和と、外に意識を向けて、自分の軸(本来の自分との繋がり)からずれると、
目指すべき大調和から遠のくことになります。
ここは、かなり感覚としてニュアンスが難しいかもしれません。
本当の意味での大調和に至るには、どの高さ、どの位置の視点で繋がればいいのか。
視点を垂直軸で捉えると分かりやすいかもしれませんね。
アセンションやスピリチュアルなことだけでなく、陰暴論、UFO、宇宙人なども含めて、
いま、たくさんの情報が溢れていて、「何を信じたらいいのか」分からなくなる人も多いのではないでしょうか。
おそらく、これから起こるであろうことは、
今までみたいに「ちゃんと理論的に証明して見せろ」というスタンスでは理解できないことなのだと感じています。
なぜなら、理論で証明できる範囲を超えているからです。
指標になるのは自分の感覚だけ。
この情報は、自分にとって、
「しっくりくるか」
「しっくりこないか」
アタマで理解するのではなく、ハートでそう感じるか、感じないか。
あの人がこう言っているから、たくさんの人がこっちの情報をシェアしているからではなく、自分自身が、
「しっくりくるか」
「しっくりこないか」
シンプルにこれだけです。
そして、自分がどの人や情報を信じようと、自分に何が起ころうとも、
目の前に展開する全ての現実に対して、一切、国や社会、自分以外の人のせいにしないことです。
簡単なことではないかもしれませんが、
この視点に立ち、自分自身の本質、エッセンス(御魂、御霊)としっかりと繋がらないと、
本当の意味での大調和の世界へは行けないだろうなと、
左に、右に、原爆ドームの周りを何度も巡りながら、改めて感じていました。
陰陽統合、闇と光を統合して大調和になると言われますが、
私たちがいま深いところで求めているのは、
闇(悪)と光(正義)に分離されたコントラストの光になるのではなく、
闇と光が統合された「本来の光」になっていく、というより、本来そうだったことを思い出していくことです。
新元号は「令和」 。
この元号の解釈は人それぞれいろいろあると思います。
これを見た瞬間に僕が感じたことは、
令、霊(レイ)
霊、魂(タマ)
音と連想で、レイワとは霊、魂(タマ)による本来の大調和の世界だということ。
そして、
このアワ(天地)の巡りが、僕なりの、大調和、天地(アワ)の祈り。
いえ、僕ではないのかもしれませんが、
この原爆ドームへ来て、この場で、アタマではなく、直感で、これをした方がいいと感じたことです。
この日は新月。
新たな再生、始まりのとき。
新元号が発表された翌日から、西へ向かった旅の最後が原爆ドーム。
そして、5月1日からは、新元号「令和」となります。
哀しみを
アワ(天地)の巡りで
和(や)わしては
あまねく灯る
日の本の赤