浅草寺の隠れキャラ???
「特別」な出来事というのは、日常からかけ離れたこと。
きっと、多くの人はそう思うのではないでしょうか?
僕もかつては、そう思っていました。
でも、最近では、日常の小さな発見や気づきもまた「特別」なのではないかなって感じています。
「あっ!?」
「ほーっ!」
という何気ないようで、今まで気づかなかったことに出会った瞬間に。
「日常を特別なことと感じたら、特別なことが日常になる」
なんだか、禅問答のような感じもしますが、これは、何年か前にふと書き記した言葉です。
最近、この言葉をふと思い出し、「まさに、そうだよね!」って感じることもしばしば。
あなたにとって「日常と特別」は、かけ離れたものになっていませんか?
好奇心の「枠が」外れてきた?
僕にとってのマイブームというわけではないのですが、最近は、地元の魅力再発見に興味津々。
まるで、子どもが
「あれ、なあに?」
「なんで?ねえ、なんで?」
って親に質問するみたいに、他愛もないことに関心したり(笑)
ホツマツタヱや古事記、日本書紀のような難しい書物に興味関心を示す反面、最近は日常の他愛もないようなことにも興味深々なのです。
もともと僕は好奇心旺盛。
その多くは書物を読んだり、勉強会やセミナーに参加したり、また自分が好きな「書く」で満たしてきました。
でも最近は、その好奇心のワクワクが枠(ワク)を外れてきたのか、日常の他愛もないことにも感動を覚えるようになったり。
「こうあらねばならない」
という、いわゆる大人的概念が、良い意味で外れてきたのかなって思います。
見どころが多い浅草の中でも、一風変わった「見どころ?」が、、、
東京の下町の観光名所である「浅草」には行かれた人は多いのではないでしょうか?
その中でも、浅草寺は有名ですが、境内には浅草神社があったり、その他、多くのお堂があります。
じっくり見ると、たくさんの発見があるんですよね。
魅力的なお店(お土産屋さん)がたくさんあるので、うっかり見落としてしまう人もいるかもしれませんが(笑)
そんな見どころたくさんの浅草ですが、
「んっ?これは、、、???」
というものがあるのです。
「浅草とどういう関係があるのだろう?」
というものが。
それが、この方々です。
ご存知、ゲゲゲの鬼太郎の面々やウルトラマンの石像が、茂みの中にひっとりと置かれているのです。
浅草寺のちょうど裏、
浅草寺と浅草神社の間を裏の方へ進み、
トイレの向かい側くらいの場所にあります。
「ん~、知らなかった!?」
という方はぜひ一度(笑)
今、世の中は、ネガティブな雰囲気が漂っていて、もちろん、それはそれで真剣に考える必要はあるのですが、肩に力が入り過ぎて、深刻になり過ぎるのもよくないのかなって。
やはり、どんなときでも「笑い」「笑える瞬間」を持つことって大事です。
かつて、ナチスドイツの強制収容所から奇跡的に生還し、後に「夜と霧」という名著を残したオーストリアの精神科医、心理学者ヴィクトール・フランクルは、一緒に収容されている人たちに、ユーモアなことを言うように呼び掛けたそうです。
いつ、ガス室に送られて、殺されるかもしれない恐怖の中で、、、です。
「希望をもつ」
というのは、ありきたりな言葉ですが、自分の中にある未来の❝なにか❞を信じるからこそ、人はいま起こっている問題や困難を乗り越える力を‷そこから”もらっているのではないでしょうか?
つまり❝未来❞から力をもらっている、ということですね。
その❝なにか❞を信じるという灯を消さないために、他愛もないことに「笑う」「感動する」というのは、人に与えられたある種の力なのかもしれません。
「日常を特別なことと感じたら、特別なことが日常になる」
あなたは、最近、日常の他愛もないことに笑ったり、感動したりしたことはありますか?