「祓う」と「空」~神道と仏教の本質について
神社とお寺が違和感なく融合している国、日本。
「神仏」という言葉があるように、僕たち日本人は古来より神様と仏様を尊び、手を合わせてきました。
日本古来の精神性を表している「神道」とインド発祥の「仏教」は、当然、国も違えば、教えも違います。
が、日本人の他を融合するのに長けている性質ゆえなのか、この両者の教えは「神仏融合」というカタチで日本人の生活に溶け込んできました。
そして、いつの間にか、当たり前のように「そこにあるもの」になり、今日に至ります。
でも、一体なぜ、そうなったのか?
なんとなく?
なりゆきで?
それとも、深~い意味でもあるのでしょうか?
融合、アレンジが得意な日本人
日本は古来より、様々な国の文化を吸収しながら、アレンジしてきました。
自分たちと違う「要素」が入ってきたとしても、ゆるやかに吸収し、日本流にしてしまう。
漢字などはいい例ではないでしょうか。
訓読みと音読みに分けて使ったり、自分たちの感覚に合わせてアレンジしたり。
もし、「漢字」という要素をそのまま取り入れようとしたら、今の日本は中国語が主流となっていたかもしれません。
でも、そうならなかったのは「日本人の感覚」というものを大切にしてきたからだと思います。
日本は長い歴史の中で、幾たびも外国の影響を受けてきましたが、本質のところでは「確固とした軸」があり、揺るぎないものを宿しているのではないか、と。
柔らかく受け止めたり、柳に風という感じで相手の干渉をかわしながら、「自分たちの軸を守る」という感覚。
その軸や感覚を大切にしてきたからこそ、巧みに相手の文化を融合したり、日本流にアレンジしたりできるのだと思います。
神と仏という枠組みさえも取っ払ってしまう日本人
漢字より、もっとすごい融合やアレンジが「神仏習合」だと思います。
もともとあった日本土着の神様と外来の仏様を融合させてしまうという。
例えば、
天照大御神=大日如来
という感じで。
僕はこれを初めて聞いたとき(随分と昔ですが)、
「なんか、取ってつけたような辻褄合わせだなあ」
って正直思いました(笑)
ただ、今の感覚では、
「様々な神様や仏様も見方や角度が違うだけ」
というのは的を射ているのではないかなあって。
外側の枠組み(神と仏というカテゴリー)ではなく、内側の本質を見極めることに日本人は長けていたからこそ、神仏習合という要素が受け入れられ、今日に至ったのかもしれません。
でも、これだけではなく、最近しきりに感じることがあるのです。
神道の「祓う」と仏教の「空(くう)」の共通点?
神道は「祓いに始まり、祓いに終わる」というのが本質にあります。
「祓う」というと悪いことだけを祓うように思われがちです。
が、本来は良いことも「祓う」のが本当の意味での「祓い」なのだそうです。
つまり、「ゼロ(0)」の状態にしておくのが「祓い」の本質。
この「ゼロ(0)」は何もない状態でもあり、全てが生み出される起点となるところ。
無(む)と有(ゆう)を含んでいる究極の状態です。
一方、仏教の本質は「空(くう)」にあります。
「空(くう)」というと「無(む)」、つまり何もないと思われがちです。
が、「空(くう)」は「無(む)」ではなく、「無(む)」と「有(ゆう)」の両方を含んでいるところ。
こちらもまた、無(む)と有(ゆう)を含んでいる究極の状態です。
こう捉えたときに、神道と仏教の本質は同じではないのかなって思います。
つまり、本質的に同じだからこそ、日本人にとって異なる教え(宗教)が仲良く同居してこれたのかな、と。
もちろん、この「祓い」も「空(くう)」も究極の状態なので、アタマ(理屈)で理解できるものではないです。
ただ表層の意識では分かっていなくても、感覚として、この究極の状態を感じ取っている要素(完全ではないとしても)が古来の日本人にはあったのかもしれませんね。
「手放すか、持ち続けるか」
時代が大きく変わろうとしている今、しきりに言われているのが「浄化や手放し」です。
比重が置かれているのはネガティブな要素なのでしょうが、その先にはポジティブなことさえも手放していくという、いわゆるゼロ(0)の状態を目指していくことになると思います。
様々な手法が、様々な人によって発信されていますが、どの方法を使うにせよ、目指すところは同じはずです。
可能な限り、軽やかに、クリアにしていく、という。
ただ、一方で、今までのように「持ち続ける」という選択もあります。
いわゆる、ネガティブな感情もポジティブな感情も臨場感を持って感じる、という。
これに関しては、どちらが凄いとか優れているとかではなく、単純に、その人の選択の違いです。
もし、分からなければ、
「何が(どちらが)自分にとって最善なのだろう?」
と問いかけてみるのも一つの方法です。
脳は「空白(?)」を嫌い、その「空白(?)」を埋めようと必死に答えを探そうとするからです。
僕はかなり、この自分に対する問いかけ(質問)にサポートしてもらっています。
自分に対する問いかけ(質問)を適切に使うのは、とても有効な手段だなって実感する今日この頃です。