人それぞれの宇宙

「人は同じ世界にいるようで、ひとり一人違う世界を生きている」

なんだか禅問答のような言葉ですよね(笑)
 

でも、ホントそうだよなあって思うんです。

だって、人は優先順位によって見るものが違うから。
 

例えば、僕は最近、「地元を再発見しよう(rediscover my hometown)!)」とか言って勝手に盛り上がっているのですが、よく浅草に行きます。

浅草には地元の人、観光で遠方から来る人、とにかくたくさんの人がいます。
 

でも、興味がある事は当然違います、人それぞれ。

神社仏閣(浅草寺、浅草神社)に興味がある人もいれば、お土産や食べ物に興味がある人もいる。

競馬に興味がある人だっています(馬券売り場があるので)。
 

みんな同じ「浅草」という場を共有しているのに、見えている世界(視点)は見事なまでに違うのです。

もし、ここにいた人がそれぞれブログやSNSに投稿したとしたら、ものの見事に違う文章や写真が掲載されるでしょう。

で、その1つを「浅草」を全く知らない人が見たり、読んだりしたら、「ほぉ、浅草とはこういうところなんだ」って思うでしょう(少なくともその時点では)。
 

そういう意味で、書物に書かれていることも、例えば歴史書だって、ある人の視点によって切り取られた一部でしかないということになります。

もちろん、それがウソとか、間違っているというわけではありません。
 

「物事は多角的であり、それを見る人の数だけ、見え方(世界)がある」
ということです。

これが腑に落ちると、些細なことで誰かを責めたり、ジャッジしたりする必要はないかなって思えるようになってきます。
 

例えば、神社とお寺って参拝の作法って違いますよね。

神社は二礼二拍一礼ですが、
お寺は一礼して手を合わせるだけです。
 

でも、浅草寺で意外と見かけるのですが、二礼二拍一礼をしている人(お寺なのに)。

というか、一緒に来ている人に、そう教えていたりする人も(笑)
 

そんな様子を見ながら、
「ホントは違うんだけどなあ」
って一瞬思います。

でも、
「まぁ、いっか」
って(笑)
 

以前の僕だったら、
「わかってないなぁ」
とか、
「そんなことも知らないの」
とか思いながら、気になって仕方なかったでしょう。
 

でも、最近はいい意味で、他人のことが気にならなくなってます。

もちろん、全部が全部そうではないのですが、いちいち細かいことに突っかからなくなってきましたね。
 

決して無関心というわけではないのですが、
「人それぞれの世界(視点)をみんな生きてるんだから」
って思えるようになったからです。

人それぞれの世界(視点)があり、宇宙があるのだからって。


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