「知ってる(つもり)」を自覚することが大切な理由

「知ってる」
という言葉ほど当てにならないなあって、今更ながら実感します。

「知識」とか「情報」とか、いろいろな呼び方をしますが、多くの場合「知ってる(つもり)」になっていることの何と多いことかって(笑)
 

今なんか検索すれば、いくらでも情報って得られるから、なおさらです。

あなたの「知ってる」は、「知ってる(つもり)」になっていませんか?
 

もしかしたら、自分で気づいていないだけ、かもしれませんよ。

「自分の考え」だと信じているものの中にある他者からの影響(刷り込み)

自分が「知ってる」と思ってることって、自分が興味があって調べたこともあるでしょうが、無意識に刷り込まれているものだってかなりあります。
 

最も影響が大きいのが自分の両親です。

親の価値観って否応なしに誰もが影響受けてます。
 

この場合、物凄い厳しい親で強制的に押し付けられるたとしたら、明らかに分かりますよね?

思春期など若かりし頃に、
「価値観押し付けるなよ!」
って反発したことがある人もいるかもしれません。
 

でも、強制的に押し付けられず、ごく普通に育てられたとしても、毎日の生活の中で自然と親の価値観の影響って受けています。

そういう意味でも、前者より、後者の方が「親の価値観の影響受けてるなあ」って自覚するのが難しいですよね。
 

あとは、テレビや新聞などもそう。

学校だって、先生の価値観の影響を受けることもあるでしょうし、授業で学ぶこと、例えば、歴史なんかは、文部省が定めた価値観の影響を受けていますよね。
 

こう考えたときに、
「自分の考え(価値観)だと思っているのものって、本当に、純粋に、自分のものなの(自分できちんと考えて納得したものなの)?」

「自分はこのことについて、きちんと理解しているの?」
って疑う必要があるなって気づきます。

自分が関心がないことほど、無造作に刷り込まれている場合が、、、

もちろん、自分が興味あることは、自分でさらに詳しく調べたりしますよね。

でも、そうでないもの、つまり、あまり興味関心がないものだったら、どうでしょう?
 

「へー、そうなんだ」
で多分終わると思います(笑)

どっちでもいいから、考えもせずに受け入れてしまう、みたいな。
 

というか、自分が受け入れている自覚すらないかもしれません。

でも、関心を持たない、ということは、それ以上の情報が入ってこない可能性も高いです。

で、最初に聞いた情報がそのまま無意識には残っている、という状態が続くという。
 

だから、「知ってる」という言葉ほど当てにならないなあって思うんです。

「他人から得た(または無意識に刷り込まれた)情報=知ってる」

ではなくて、

「何を」
「どのように」
「どれだけ深く」

自分なりに考察(検証)してみたのかが大切なのだと思います。
 

まずは、
「知ってる(つもり)」
を自覚することからですよね。

もちろん、これは僕も同様です(笑)
 

でも、「知ってる(つもり)」という思い込みを解いていくって楽しいなって僕は思います。

だって、気づく、発見するのってワクワクしませんか?
 

些細なことに、チョットした感動を感じられたら、人生は、毎日は、より楽しくなってくるからです。
 

P.S.僕は最近、「地元を再発見しよう!」って勝手に自分で盛り上がってるのですが、この「再発見」って、世の中的に新たな発見では全然ないんですよね。

だって、知ってる人にとってみたら当たり前のことなので(笑)

単純に、今まで僕の視点に入ってこなかっただけなのです。
 

でも、僕の中では「再発見」なわけで、他人がどうとかではなく、あくまで、自分の中の「気づき」として大切にしているのです。

自分の中で、小さな発見をしたときの、チョットした感動がたまらなく嬉しい。

それは、はしゃぐような大喜びではなく、小さな明かりが灯るような静かな喜びなのです。


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