「視点」について理解を深めると人生が面白くなる理由

”視点”という言葉は珍しくもないし、誰でも知っていますよね?

ただ、それについて深く考えたり、意識したりする人はあまりいないのかなぁって思います。

でも、この”視点”ってメチャクチャ奥が深くて、興味深いんです。

人生が変わるくらいに。

えっ、大げさですか?(笑)

でも、僕は自分の経験からハッキリとそう言うことができます。

気づくようで気づかない”視点”という要素

夜空を見上げると無数の満天の星が輝いて、、、

って、東京に住んでいる僕には普段は見ることができないのですが(笑)
まあ、旅先で見た記憶の中には辛うじてあります。

そんな夜空に輝く無数の満天の星とまではいきませんが、
この地球上には現在約78億人もの人たちがいると言われています。

でも、この約78億人もの地球人は、同じ地球に存在しているとは言え、
”それぞれ特有の視点”というものを持っている。

じゃあ、その視点は何によって”それぞれ特有の視点”というものになっていくのか?

それは、その人が”どんな優先順位をもって生きているのか”によります。

”価値観””人生観”という言葉に置き換えてもいいですね。

もっと砕けた言い方をすると”Myルール”というところでしょうか。

自分にとっての決まり事、譲れないものですね。

これは、生まれてから影響を受けてきたもの、すなわち、
親のしつけ、学校教育、経験してきたこと、見聞きしたもの
ありとあらゆるものから形作られています。

当然、この中には色濃く影響を受けたものもあれば、
さらっと、何となく日常見聞きしているものもあります。

例えば、新聞やニュースなど、テレビはいい例ですよね。
何気なく見ているスマホの情報もそうかもしれません。

気軽に様々な情報にアクセスできるからこそ、
様々な影響を受けやすくなっています。

で、単純に考えると、最も色濃く影響を受けているのは、
やっぱり自分の親です。

まあ、物心つく前から一緒にいますからね。
当然と言えば、当然ですが(笑)

あとは、学校の教育、授業で習ったこと、
先生の影響もかなりあるかなと。

じゃあ、普段なんとなく接してきた、
また接している新聞(今は読む人は減っているかとは思いますが)や
ニュースはそんなに影響受けてないのでは?

って思うかもしれませんが、意外と、
何気に聞き流しているからこそ無防備に影響を受けていたりします。

”石の上にも三年”ではないですが、日常さらっとした影響だったとしても、
それが何十年とかになってくると、まあ、知らない間に、、、

「怖っ!?」って思いません?(笑)

後は、生まれた国だったり、宗教や思想の影響も色濃く受けますよね。

まあ、そんなこんなで、様々な影響を受けながら、
その人特有の視点はカタチ作られていきます。

そもそも”視点”とはなんぞや?もうチョットだけ深堀してみると、、、

例えば、朝起きて出勤するために家を出ますよね?

で、電車通勤する人は最寄り駅に向かいます。

歩いて行く人もいれば、自転車で行く人もいるでしょう。

その最寄り駅へ行く途中、あなたは何を見ますか?

何が目に入ってきますか?

赤ちゃんを抱いているお母さん?
杖を突いているおばあさん?
車?
バイク?
居酒屋?
本屋?
道行く人が着ている洋服?
もしくはヘアースタイル?

もっといろいろあるでしょうが、
きっとあなたは無意識のうちに自分にとって興味や関心があるものを
目で追っているはずです。

つまり、あなたにとって優先順位が高いものを無意識のうちに捉えているということですね。

じゃあ、他の人はどうでしょう?

あなたが顔なじみの人もいれば、ただすれ違うだけの人もいるでしょうが、
住んでいる地域で、同じ場を共有している人たちです。

それぞれの人がそれぞれの優先順位が高いものを無意識に捉えています。

これが何を意味するのかと言うと、例え、同じ場を共有していたとしても
見ている世界が違うということです。

国が違う。
宗教や思想が違う。
という大きな違いではなく、
同じ地域に住む人たちですら、
見ている世界が違う。

視点=その人が見ている世界

であり、もっと拡大解釈をすればその人の宇宙ということになります。

でも、人は錯覚します。

自分が見ている世界を他の人も共有している(はず)、と。

ここに誤解や争いが生じる原因があったりします。

でも、これを「価値観が違うからしょうがない」と切り捨ててしまうと、
結局モヤモヤしたまんまということになってしまいます。

実際は、視点(優先順位・Myルール)が違うだけなんですよね。

視点=その人が見ている世界

ということは、

視点=その人そのもの

と定義してもいいのかなと思います。

「違う」⇒「多様性」への変換

人生っていろいろな人と関わり合って生きていくじゃないですか。

その中には当然、いわゆる価値観が合わない人がいます。

でも、価値観という最もらしい言葉で無理やり自分を納得させようとすると、
結局モヤモヤしてストレスになったりするんですよね。

じゃあ、どうすればいいのか?

というと、
「あっ、視点(Myルール)が違うだけなんだ!」
って変換できたら受け止め方は違ってきます。

少なくとも、僕はそうでした。
「視点(Myルール)が違うだけなんだ!」
って変換できるようになって。

生きるのが楽になったというか、視野が広がりましたね。
まあ、この感覚を落とし込むまで紆余曲折はありましたが(笑)

もちろん、まだまだそう思えないこともありますよ。

ただ、他の人の視点(Myルール)を受けいれる分だけ、
”視野が広がり、すなわち世界が、もっと大げさに言うと宇宙が広がっていく”
という感覚がしています。

人生って、他の視点を受け入れていく分だけ広がっていくものなんだ!
という実感がありますね。

なんてたって、この地球には約78億人の人たちがいますからね。

生きている内に実際に会う人は限られていますが、
本やネットで様々な情報を得ることはできます。

もちろん、そういった情報にも限りがあり、
それを読んだり、見たりする時間だって限られていますが。

だから、世の中には瞑想やヨガ、気功のような心身を整えるメソッドが
古来より伝わっているのでしょう。

瞑想やヨガや気功などのメソッドには意識を拡大するという要素が含まれていますからね。
もちろん、それだけじゃなく、もっと奥深い要素があります。

とは言っても、必ずしも瞑想やヨガや気功をしなければならないというわけではないと思います。

その人の生きるテーマや役割、仕事を通して実践していけばいいのかな、と。

でも、面白くないですか?

他の人の視点=自分がまだ知らない世界(感覚)

だとすると、

他の人の視点を受け入れるということは、
自分という器(うつわ)を大きく広げていくということになるから。

それは、自分自身の可能性の領域(宇宙)を広げていくということにもなるから。

「違うことが悪いわけじゃなくて、多様性なんだ」
って変換できると、見方が変わって面白くなってきます。

あなたにとっての視点(Myルール)はどんなものですか?

そして、あなたの身近な人、好きな人、嫌いな人の視点(Myルール)はどんなものですか?

で、もし嫌いな人の視点(Myルール)を受け入れることができたとしたら、
どんな感じがしますか?

「いやいや、それは絶対ムリ!!!」
って思ったかもしれません(笑)

まあ、その気持ちも分かりますが(笑)

なんか、自分を曲げる気がして、損した気分になっちゃうんですよね。

「なんで俺が変わらなきゃいけないんだ!!!」って(笑)

相手に花を持たして、負けた気分になるみたいに。

でも、「損して得取れ」って言葉もあります。

ちなみにこの言葉、もともとは「損して徳取れ」と表記されていたのだとか。

得と徳。

同音異義語ですね。

音は同じ「とく」でも漢字が違う。

ちなみに、この記事のテーマである「視点」という文字の同音異義語はというと、

「支点」
「始点」

などがあります。

また、こんな単語はありませんが、

「私点」
「志点」

なんて言葉を勝手に造ったりして(笑)

でも、

視点=自分そのもの

だとすると、

「始点」・・・始まりの点(自分という視点から全ては始まる)
「支点」・・・支える点(自分という視点が自分という人間の生き方や在り方を支えている)
「私点」・・・私という点
「志点」・・・志(こころざし)という点

と捉えたときに、不思議とこれらの同音異義語(一部造語も含めて 笑)にも共通点があるんですよね。

日本語って面白いなぁって思いません?

チョット話は逸れましたが、この記事で視点についてチョットでも深掘りしてもらえたらなって思います。

P.S.ちなみに、日本では漢字以前は文字がなかったというのが通説です。

が、一方で、それ以前に文字があったという説はご存知ですか?

古代文字、神代文字と呼ばれているものです。

僕はその神代文字の一つであるヲシテ文字を知ってから、
言葉や文字、そして日本語や日本人の思想に対する興味や面白さをさらに覚えるようなりました。

それについては、また別の記事で書いていきますね。

 

Follow me!


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です