人生は「自分という役」と向き合う物語

”迫真の演技”という言葉は役者さんに対する褒め言葉ですよね。

その仕草、表情、声、何かを訴えかけるような迫力、、、
その瞬間、役者さんは演技を超越した境地にいるのかもしれません。

それを観た人たちもまた、思わず息を呑んで魅入ってしまう。

芝居を見たり、映画やドラマを観ているとき、
そんな体験をしたことがある人は多いのではないでしょうか。

でも、僕たちはなぜ、こんなに芝居や映画、ドラマに魅せられてしまうのでしょう?

僕はこんな風に感じています。

人には内在的に物語(ストーリー)を希求する要素がある、と。
人生そのものが唯一無二のオリジナルストーリーなのだ、と。

とはいえ、僕たちの現実は映画やドラマのようにドラマティックではない場合が多いです。
どこか、ありきたりで、煮え切らないような日常が続いていくかのように。

でも、深いところでは、そのありきたりで、煮え切らないような日常を打ち破り、
映画やドラマのようなストーリーを自分自身の人生で体現したい。

そんな風に思っている人は意外と多いのではないでしょうか。

「いえ、そんな大それたこと思っていません」
と意識では否定するかもしれません。

でも、もっと深いところ、無意識の領域では、
あなたが本当に求めている物語(ストーリー)が
眠っているかもしれません。

ただ、自分自身と向き合うのが怖いだけで、、、

先日、NHK連続テレビ小説「おちょやん」を観ていて、ふと思ったことがあります。

主人公の千代は「鶴亀家庭劇」という新たに出来た喜劇の劇団に入ります。
しかし、そこに集まったのは、喜劇が未経験の役者がほどんど。

当然、お客さんの反応はいまいちで、白けた雰囲気となり、、、

そんな中、喜劇のアドリブ王こと千之助は笑いを取るために台本にないアドリブで観客を大爆笑させます。

台本を無視して勝手なアドリブをする千之助に反発する役者たち。
そんな役者たちの反発に対し、千之助は「お前らが不甲斐ないから、わしが笑わせてやっている」とばかりにあざ笑います。

激しさを増す周囲の役者たちに浴びせる千之助の侮蔑の言葉。
それに対して、主人公の千代が食ってかかります。

そんなこんなで、千代と千之助、どちらが観客を笑わせるのかを競うことに。

しかし、もともと喜劇役者で名を馳せた千之助に全く歯が立たず、、、
公演は千之助の一人舞台とでもいうような日が続きます。

そして、いよいよ千秋楽を迎えるという前日の夜のこと。
たまたま千代たちの芝居を観ていた千代の芝居の師匠である山村千鳥が現れます。

千之助にどうやったら勝てるかを教えて欲しいと懇願する千代。
そんな千代に山村千鳥はこう一喝します。
「演じるということは役を愛した時間そのもの。そんなこともわからないなら役者失格!!!」と。

最初、その言葉の意味が分からなかった千代ですが、
「自分が本当に向き合わなければならないのは、千之助ではなく自分が演じている役のおきんだった」と気づくのです。
他の役者たちとともに、自分たちが演じる役について深く考え、それを書き出し、向き合う作業を夜通し続けます。

そして、千秋楽の公演が始り、、、
いつにもまして得意のアドリブで観客を笑わせる千之助。
それに対し千代や他の役者たちも見事なアドリブで観客を笑わせます。

戸惑う千之助をよそに、いつしか、ただ笑わすだけの喜劇ではない感動を観客に与える公演となったのです。

人はいつしか、他の人と争ったり、外側の状況と戦うことばかりに目が行き、
自分という最も身近な存在と向き合うことを忘れてしまいます。

人生とは自分自身を知るという時間でもあり、
自分という役と向き合う物語でもある。

あなたにとって自分自身とはどういう存在(役)ですか?

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