「支配」する言葉、「一体感」を求める言葉

人が言葉を使うとき、そこには二種類の相反する要素が存在しています。

心という意識があって、言葉を発するわけですから、
言葉=心と表現することもできますね。

その1つが、相手を支配(コントロール)しようとする言葉です。

言葉が発展してきたのは、
「相手との意思疎通(コミュニケーション)を円滑にする」
というのが、一つの要因として挙げられると思います。

おそらくですが、最初は純粋に意思疎通ができれば十分だったはず、です。

でも、時間とともに、つまり、言葉で表現することに慣れ、言葉で表現することの可能性に気づいた頃、意識の中にある変化が起きていったのではないでしょうか。

それは、
「こう言えば、こう表現すれば、相手より優位に立つたつことができる」
という相手を支配(コントロール)する力が言葉にはあるという気づきです。

支配(コントロール)と聞くと、なんだか物凄く悪いイメージがありますが、
人は多かれ少なかれ、日常でこの相手を支配(コントロール)するために言葉を使っています。

「えっ、私はそんなことしていません!!!」
と思った人もいるかもしれません。

でも、そう言っちゃうくらい自然に、無意識にやっていることなんですよね。

例えば、家族や友人など身近な人や親しい人ほど、自分の意志に従わせたいという思いが働きやすいものです。
また、仕事関係で利害が絡む場合などは、相手より優位に立たなければという思いが働きやすくなるものです。

二種類の相反する要素のもう1つは、純粋に自分が持っている情報を相手と共有したいという言葉です。

「この情報は腰痛で悩んでいる人の役に立つかもしれない」
「この情報はこれから農業を始めたいという人には良いかもしれない」
というものもあれば、

環境問題、社会問題などを改善するためのアイデアや情報など、社会や国、もっと広げると世界や地球がより良くなるために多くの人たちと共有したいというものもあります。

人は、
「自分の(言いたい)ことを分かって欲しい」
という思いと、
「他の人たちともっと大きな繋がり(一体感)を得たい」
という思いの両輪を兼ね備えているのです。

おそらく、多くの場合、これら2つの要素を無意識に混在させながら人は使っています。

前者を自我意識、後者を真我意識と呼ぶこともできますが、ムズカシイ理屈よりは、「自分が使う言葉も他人が使う言葉も、そういう要素があるのね」ってアタマの片隅にでも置いておくだけでもいいかなって思います。

これは書物でもそうです。

自我意識がある以上、そこには必ず「読み手をこちらの方向へ持っていきたい」という書き手の意図が内在しています。

それが正しい、間違いというわけではなく、誰もがそういう要素を持っているということです。

そういった認識で日常に触れる言葉をチョット一歩引いて見てみると、普段接する人たちの言葉(家族、友人、仕事関係の人、ニュース)を違った認識で捉えることができるようになります。

もちろん、自分が他人に使う言葉だってそうです(他人の言葉ばかりジャッジするのはフェアじゃないので 笑)。

人が言葉を使うときの微妙な意識って面白いなあって思いませんか?

えっ、思わない?(笑)

まあ、僕は言葉にすごく興味があるので、そう思うのですが(笑)

でも、きっとアタマの片隅に置いておくだけでも、世の中の言葉に対する認識が変わってくると思います。

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