「鬼は外、福は内」の鬼の正体とは?

今日は節分ですね。

節分と言えば、
「豆まき」
「恵方巻」
が真っ先に思い浮かびますが、

そもそも節分とは読んで字のごとく、
「季節を分ける」こと。
 

季節の分かれ目を表す言葉で、
「立春、立夏、立秋、立冬」の前日を指します。

でも現代では、
「立春、立夏、立秋、立冬」
と聞いてもピンとこない人も多いはず(正直、ぼくもです)。
 

現在、ぼくたちが「節分」と呼んでいるのは、
立春の前日のことです。

そう広く認識されるようになったのは、
旧暦の正月が2月だったように、
「1年の始まりを表す立春が重要視されていたから」
と言われています。
 

豆まきは邪気を払い、無病息災を願うための行事です。

鬼を目に見えない厄災や邪気の象徴として、
「鬼は外、福は内」
として追い払うというもの。
 

大人になってからは、すっかりご無沙汰ですが、
子どものころは理由も分からずやっていましたね。

その後、豆を食べるわけですが、
「素っ気なくて、美味しくない」
というのが子ども心の正直な感想でした。
 

でも、そもそも鬼って不思議な存在だなぁって思います。

昔話や民話、地獄絵図に登場する伝説上の恐ろしい生き物として、
古来より認知されてきたわけですが、実際に見たわけじゃないのに、
心のどこかで「本当に存在する」ような感じがするからです。
 

「なんで、そうなんだろう?」
と深く考えていたわけではないのですが、

その問いかけにピンとくるのは、
「人の心の中に存在するから」というもの。

イメージとして存在するとかではありません。
 

人の心や精神って奥深くて複雑に入り組んでいて、
その中には善なる要素もあり、悪なる要素もあります。

自分で認識できているものもあれば、
そうでないものもある(潜在意識、無意識にあるものなど)。
 

その心や精神の中にある「悪なる要素」が「鬼」そのものであり、
外からやってくる邪気や厄などに影響されることによって、
その要素が肥大化してしまうのではないか、と。

そして、なにか人生に問題が起こったり、問題を起こしたり。

その規模が拡大すると戦争や災害などが起こったり。
 

「魔が差す」
と言いますが、そうならないためには、
「魔が入ってくる」
のを防ぐ必要があります。

そのために古来より様々な風習や行事が考えられてきたのでしょうね。
 

古事記や日本書紀などの神話では、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)という
八つの頭と八つの尾をもった怪物が登場します。

この怪物を須佐之男命(スサノオノミコト)が退治する話を
聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。
 

実はこの話、「ホツマツタヱ」では違った角度、視点から伝えているのです。

ホツマツタヱでは、人の邪心に群がってきた悪党の集団のことを「オロチ」と表現しています。

その悪党の反乱を鎮めた一人がスサノオノミコト(※ホツマでは「ソサノヲ」という名で記されています)です。
 

「類は友を呼ぶ」
という言葉があるように、
人の心と心は共鳴し合い、
行動をともにしたり、人生を共にしたりします。
 

「最初はそうでもないのに、側にいると段々影響されてしまう」
ということもしばしば。

それは、その人の中に「もともとあった要素」が外側からきた影響によって、
大きくなっていったのでしょう。

その影響が良いものならばいいのですが、
もし良くないものだとしたら、、、
 

現代は情報で溢れかえっていて、
ぼくたちは絶えずたくさんの情報に触れています。

その中には無意識に、無造作に影響を受けているものも少なくありません。
 

だからこそ、
「どんな情報に触れるか」
「どんな人と付き合うか」
など自分自身でしっかりと選ぶ必要があります。

その選択ができるのは、たった一人。

自分自身だけです。
 

「鬼は外、福は内」

この「鬼は外」は、
「外にいる鬼」を払うだけではなく、
「自分の中にいる鬼」を払うためのもの。

そんな意味も込められているように思います。

Follow me!


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です