「真実」は果実の実のようなもの

「たくさんあることはいい」
とは限らない。
 

テレビからも、
スマホからも、
たくさんの情報があふれてきて、
便利で有り難いのだけれど。
 

「本当のことが知りたい」
「真実は?」

誰の中にも、そんな思いがある。

それを追求したいという衝動も。
 

「分からない」のは不安だし、
「答えを知って安心したい」から。
 

人の中には、
「これこそが真実だと証明したい」
「それを伝えたい」
という思いがある。

でも、これこそが絶対的な「真実」というものは、
この世界には「ない」と思う。
 

あるのは、誰かの視点を通した「解釈」だけ。

人の数だけ「解釈」があり、
「真実」は人の数だけある。
 

何かが起こったという「事実」はある。

でも、その「事実」をどう捉えるのかは、
人それぞれ違うから。
 

テレビから流れるニュースも、
スマホで検索する情報もそう。
 

この世界に絶対的なものがあるとすれば、
「理(ことわり)」
という普遍の法則だけ。

この世界、この宇宙を動かしている根本的な原理原則。

それを「真理」と呼んだりもするけれど。
 

「真理」を木に例えるならば、
「真実」はその木になる果実。

果実には、
大きなもの、小さなもの、
甘いもの、酸っぱいものもある。
 

たった一つの「果実」だけを見ても、
その他の「果実」も、
「木」という全体も見えない。
 

「真実は一つじゃない」

そう俯瞰して思えたとき、
視野も、世界も広がってくる。
 

今、起こっている出来事にも、
ネガティブに思える面もあれば、
ポジティブに思える面もある、と。

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