「大丈夫だって」

 

有ることが
難しいから
有り難い
今あるものに
感謝伝えて

 

「ありがたいなぁ、、、」
ってしみじみ思うときがあります。

特別に何か良いことがあったわけでもなく、
日常のごく些細なことで。

ご飯を頂いているとき、
お風呂に入っているとき、
のんびりと散歩をしているとき、
神社や神棚で静かに手を合わせているとき、
自転車に乗っているとき、
家族や友達と他愛もない話をしているとき、
お酒を飲んでいるとき、
「書」を書いているとき、
「詩」を作っているとき、、、

 

「ありがたい」は漢字で「有り難い」と書きます。

「有ることが難しい」=「有り難い」

今あるもの。
これって、いつの間にか「当たり前」になり、
有難みが薄れていきます。

失って
初めて気づく
有り難さ

と表現されることもありますが、
別に失う前に、その有り難さに気づいたっていいわけです。

 

この「有り難い」という感覚は、
「自分が人生で体験すること全て」に当てはめることもできます。

ポジティブなことだけでなく、
ネガティブなことも、です。

なぜなら、ぼくたちの本質である魂が求めているのは、
成功や失敗という結果ではなく「体験」そのものだから。

表面上の意識では「ネガティブなことなんて味わいたくない」
と思っていても、根っこの魂にとっては貴重な体験と経験値になっているからです。

今、目の前に展開されている現実だけに捉われず、
自分の内面と深く向かい合い、観察してみる。

みんな、深いところ、魂レベルでは分かっています。

「大丈夫だって」

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